○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ 故郷・・・・・・・・ =4/4= ◇◆
学校が終ると、毎日のように牛を円山川の土手に連れていって、放牧する。 この放牧の話と、それでできた時間で魚取りをした話を、植村からたびたび聞かされた。 手伝いはいやでいやでたまらなかったとやや大げさにいいながら、牛の世話と魚取りの話をするときの植村の表情は生き生きと輝いていた。 私は後年の冒険家をそれで説明しようという意図をもっているのではない。 彼の少年時代の幸福なときを思い描いて、ホッと安堵しているにすぎない。
少し長くなるが、『植村直己の冒険学校』(文藝春秋)から植村の話を引いてきて、この「故郷」の章の結びにしたい。 《子供のときの、いちばん楽しい遊びというと、やっぱり魚とりを思い出します。 いろんな方法でやりました。 小学校、中学校の頃は、そんなことばっかりしていたような気がします。
昔は田んぼのわきに、必ず小川が流れていましたよね、田に水を引くために。 いまも流れはあるけれど、コンクリートで固めた水路になってしまいました。 ともかく、1メートル幅ぐらいの小川があって、あれを堰き止めて魚をとりました。 稲の収穫のあと、稲の切り株と泥、それからどこかから板切れをもち出してきて、適当な場所を堰き止める。 そして、手早くやらないとダメなんです。
堰き止めた所から水があふれ出ちゃいますから、ぐずぐずしてると。 だから堰き止めたら、その下のだんだん細くなる流れに入って、魚をザルですくったり、手づかみでとったりする。 フナ、ナマズの小さいやつがよくとれましたが、うまくするとウナギもとれました。 ウナギっていうのは、土手の側面に穴をつくってもぐっていますから、穴のなかに手を突っ込んでみておさえるんです。
そうしてとった魚は、全部家に持って帰って、焼いたり煮つけたりして食べました。 ウナギはもちろん御馳走でしたが、ナマズもけっこうおいしかったですね、白焼にして、醤油をかけて食べると。》
男が子どもの頃の魚取りの思い出を語ろうとするとき、なぜ一様にこのような幸福感がただようのか、不思議なほどである。 植村も例外ではなく、ふつうの男の子として、幸福な思い出をもっていた。 私は、植村が表向きには少しも目立たない、地味な子どもだったという話が好きだし、この魚取りの幸福な話がまた好きである。 もう少し耳を傾けてみよう。
《水の流れを堰き止めるのは収穫が必ずあるから楽しいんですが、それができないときは、流れの中に入って、ザルを使ったり、手づかみで魚をとったりしました。 草が岸からこんもり垂れさがっているその陰あたりにそっと近寄って、手にしたザルを水中に入れ、片足でそのへんをバッと蹴って、ザルをあげるとなんぼか入っている。
しかし、ほんとの醍醐味は、ザルを使うんじゃなく、いそうな所へそろそろと手を入れて、ナマズなんかを手づかみにするときですね。 手の中に、ビクビクビクと魚の感触が伝わって、あれは最高に気分がいいですね。 土手の下のえぐれた部分に手を這わせると、ときにはでっかいカニがいて、カーッとやられてギャッと跳びあがることもありましたけれど、でも、手づかみが最高でしたね。》
《それから、もう少し大きな川に入って、素もぐりをして、ヤスで魚を突きました。 フナ、ハエ(オイカワ)、それにナマズとウナギ。コイはすばしっこくて、なかなか突けませんでしたが。 ヤスは市販されているものもありましたが、太い針金買ってきたり、古い火箸を使ったりして、先を研いで自分でつくったものでした。
もう一つ、これは少し高学年になってからですが、コウモリ傘の骨をつかって、アユかけ用のヤスみたいなものをつくりました。 ナマズ鉤のような大きな鉤をタコ糸に結び、その糸を骨の脇に通し、その骨を竹に装着しておくわけです。 魚を引っかけたときに糸が出ていくという仕掛けです。 円山川で、この引っかけ鉤を使ってアユを追っかけるんですが、まあ、そんなにたくさんはとれません。》
《置き鉤もやりました。 9月頃、やや流れが増水したぐらいのときがいいですね。 30メートルのタコ糸に、約1メートル間隔で鉤をつけ、いちばん先端にわりに重い石をつけて、流れのゆるいところで川の中に放り投げるんです。 はえなわ式の仕掛けですね。 鉤には、ミミズ、でっかいシマミミズをつけます。
糸を流れと直角に置き、こっちの端は川べりのネコヤナギの枝に結びつけておきます。 ひと晩おいて、翌朝、そろりそろりとあげるんですが、まあ1匹か2匹かかっていて、多いときは3、4匹。 ウグイの大きいのとか、ナマズの大きいやつ、それにうまくするとウナギ。》
第二第三の植村直己の出現を願っていうのではないが、こういう植村の思い出話を聞いていると、少年たちよ、野外に出て遊びなさいと、切実に思うばかりである。
=補講・資料=
1937年、ルートヴィヒ・フェルクとマティアス・レビッシュのドイツ・オーストリア混成隊が死のビバーク地点まで到達するものの悪天候により撤退。北壁上部からの最初の生還者となる。
1938年7月24日、アンデレル・ヘックマイヤー、ルートヴィヒ・フェルク(ドイツ人隊) ハインリヒ・ハラー 、フリッツ・カスパレク(オーストリア人隊)がアイガー北壁初登頂。両隊は登頂開始時は別々のパーティだったが、後から登頂に挑んだドイツ人隊がオーストリア隊に追いついた時点で同一パーティを組み、初登頂に成功した。 1947年、リオネル・テレイ、ルイ・ラシュナル(フランス隊)が第二登。
動画資料: FACE TO FACE =クリック➡ 動画資料: 命綱無しで登攀【アイガー北壁】 =クリック➡=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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