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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《植村直己》 =032=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠

◇◆  『青春を山に賭けて』の時代 =1/9= ◇◆

   植村直己は人とのつきあいでは、おおむね穏やかな態度に終始して、内にもっている激しさを表に出したことはほとんどなかった。 少なくとも私はたかぶった植村を見たことはほとんどない。 それだけに、次に語る例外的な一件だけは、今でもはっきり覚えている。


   植村と知りあってから数年たって、軽口を叩けるぐらい親しくなっていたころだったと思う。 他の編集者が同席しているところで、植村の1000日の海外放浪時代の話になった。私はいった。

「耐えしのぶ、という点でも、あなたはずば抜けてますね。 ほら、マルセイユからアルプス山麓のモルジンヌまで、一文無しでヒッチハイクで戻ったことがあるでしょう。 人に食べ物をもらったりしながら」

 彼は、顔を紅潮させながら、「いゃあ、オレは物乞いなんてしたことありませんよ。道端の畑から何かちょっと失敬したことはあったかもしれませんが、食べ物をめぐんでもらうなんて!」と強い口調で否定した。

 私は食べ物を誰かにもらったところで、ちっともかまわないじゃないか、という思いがあって、つい気軽に口にしたのだけれど、後で考えると、彼にしてみればこのときの苦労は冗談事ではなかったのである。 私は思慮不足から、彼のつらい体験にずかずかと土足で踏みこんでいくようなことをしてしまったのだった。

  1964年5月、明大を卒業した植村はアメリカ行きの移民船に乗りこんだ。1000日に及ぶ海外放浪時代の始まりである。

  64年10月、フランスに渡って、待望のアルプスの氷河を自分の目で見た。 しかし、モンブラン(4807メートル、ヨーロッパ第一の高峰)の単独登頂を試みるが失敗。その後、モルジンヌのスキー場にようやく就職することができた。 植村はヨーロッパに拠点を得たのである。

  ところが就職した直後に、明治大学山岳部からヒマラヤ遠征隊に参加しないかと誘いが来る。 「ヒマラヤへのあこがれ絶ちがたく」と植村は書いているが、スキー場経営者のジャン・ビュアルネの了解をとりつけて、植村はヒマラヤに飛んだ。

  めざすはゴジュンバ・カン(7646メートル)。 第1次アタック隊が失敗した後、植村は第2次アタック隊に選ばれて、シェルパのペンバ・テンジンと共に頂上に立った。

  この登頂成功は、植村にとって複雑な思いを催すものだったようだ。 そもそも遠征隊の資金調達には参加せず、ヨーロッパから飛び入りのかたちでの参加だった。 しかも、頂上に立ったのは植村とペンバ・テンジンだけ。 帰路、キャラバンの途中で日本から送られてきた新聞の書き方を見て、植村は「穴があったら入りたい」と思う。

  自分はたまたま頂上に登らせてもらったのに、大きく扱われているのは自分だけで、隊員諸氏に申しわけない。 高橋進隊長は、「隊員でただひとり頂上に登ったのだから、一緒に日本に帰れ」といってくれたが、植村はカトマンズで遠征隊と別れた。

  私が語りたいのは、じつはここからのことである。

 『青春を山に賭けて』(文春文庫)では、その後のモルジンヌまでの帰途については、淡々と書いているが、実際は大変な苦労だった。 カトマンズから陸路ボンベイに出たとき、植村はほとんど金を持っていなかった。ボンベイからフランスのマルセイユまでの船賃すらなく、カメラとか時計を処分してようやく船に乗ることができた。

 《船の中では三食が保証され、お金の心配なしに食べられるのは天国だった。 チーズも、ワインも、パンも、どれもこれもすてきにおいしかった。》 と書いている。

  明大遠征隊は、交通費の余裕がなかったのだろうか。 私の考えでは、飛び入り参加の植村が気を使って、交通費は自弁で大丈夫といったように思えてならない。 遠征隊にすまないと思う気持が半分、植村らしい見栄が半分。

 船の中ではお金の心配なしに食べられるのが天国だった。 というのは実感がこもっている。 同時に、マルセイユからアルプスの麓まで、無一文で4日間のヒッチハイクをやったという、その大変さが思いやられる。 たぶん食うや食わずの4日間だったのだろう。

 私が「人に食べ物をもらったりしながら」とからかうようにいったことに、彼が「オレは物乞いなんてしたことありませんよ」と反発したのは、この帰途のつらさが冗談事でなかったことを示しているのではないか。

  おそらく、インドからの無理がたたったのだろう。 モルジンヌでジャン・ビュアルネに迎えられ、再び働きだした植村は数日して体調不良で倒れ、入院騒ぎになった。 黄だんが発症し、1カ月の入院生活を余儀なくされた。

  このヒマラヤ行きでもその気配が強いのだが、1000日の世界放浪での植村は、やりたい登山や旅の実現と、そのための資金稼ぎ、もっと端的にいえば、金銭勘定の間を行ったり来たりしているのである。 それが彼の青春放浪の原型のようなものだった。

=補講・資料=

メスナーだけじゃない!すごい海外の登山家まとめ=アダム・ビエレツ

クライマーの憧れであるパタゴニアの大岩峰「フィッツ・ロイ」の5㎞にわたる稜線の完全縦走を成し遂げたアメリカのクライマー。 天候に恵まれたとはいえわずか5日のスピード踏破は彼らの技術の高さを証明している。2013年3月5日 - ポーランド隊のアダム・ビエレツキら4人が冬季初登頂に成功するも、マチエイ・ベルベカ、トマス・コワルスキの2名が下山中に行方不明に。 =参考: 「孤独の山」=

コードウェルは2015年1月にエル・キャピタンの最難関ルート「ドーン・ウォール」のフリークライミングでの攻略にも成功した。

 ガッシャーブルムI峰:標高8068mで、世界第11位。「ガッシャーブルム」は「輝く峰」の意味だと言われることが多いが実際はバルティ語(現地のチベット語方言)で「美しい山」("rgasha" (美しい) + "brum" (山))の意である。 インドの測量局のカラコルム測量時の測量番号はK5。

 1958年7月5日- (初登頂) - アンドリュー・ジョン・カウフマン、ピート・ショーニング(米国隊、ニコラス・クリンチ隊長)。南東稜から。

1975年5月8日- (無酸素初登頂) - ラインホルト・メスナー、ペーター・ハーベラー。8000メートル峰に初めてアルパインスタイルで登頂。1958年以来の第二登、新ルート(北西稜)。 1981年8月3日- 長野県山岳協会の下鳥康三を隊長とする隊が日本人初登頂。隊員は藤次康雄ら3名。 1984年- ラインホルト・メスナー、ハンス・カマランダー  ガッシャーブルムII峰との初縦走。 1985年6月22日- エリック・エスコフィエがメスナールートを登攀しベースキャンプから21時間で頂上往復。 7月14日- ジャンピエロ・ディ・フェデリコが北西壁新ルートで初の単独登頂。 1986年8月2日- 日本隊の清水修と和久津清が北面新ルートから登頂。後にジャパニーズ・クーロワールと呼ばれ、頂上へ至る標準的なルートとなる。 2012年3月9日- アダム・ビエレツキ、ヤヌシュ・ゴロヴが冬季初登頂。

動画資料: Broad Peak Polish Winter Expedition 2012/13 - Atak szczytowy =クリック➡ https://youtu.be/ud23iPGKHhc

 動画資料: zimowe wejście na K2 to dla mnie naturalna kolej rzeczy =クリック➡

 https://youtu.be/CNphoAZP3Ps 

 動画資料: Pierwsze zimowe wejście na Broad Peak =クリック➡

https://youtu.be/0bEZF-EQU-8 

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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