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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《河江肖剰》 =042=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ ピラミッドに新たな〝未知なる空間“の発見=後編= = 4/4= ◇◆

 実際に入ってみると、メンカウラー王のピラミッドの「上の通路」(図中の第一の下降通路)は途中、間を開けながら3つの石によってわざわざ塞がれていた。そのため、ピラミッドの大きさを変えたときに放棄された空間のようには思えない。さらにこの通路を地下の玄室から上っていくと、ピラミッドの底に突き当たってしまい、外までは達していない。にも関わらず通路に3つの石を置いて通行を妨げているのは、盗掘を防ぐためというより、宗教的、あるいは象徴的な意味があるのではないだろうか。

 メンカウラー王のピラミッドに「上の通路」をつくった理由として考えられるのは、もともとは地下の玄室をつくるために岩盤を削る際、上下の通路をそれぞれ入り口と出口として設け、玄室完成後は「上の通路」は塞ぎ、象徴的なものと見なしたのかもしれない。

 ただその場合でも不思議なのは、上の通路の突き当たりの組構造に、削って外まで繋げようとした痕跡があることだ。そして、ノミの痕からはピラミッドを建造した古王国時代に思える。こういったことを考慮すると、計画を変更し、後から通路を設けようとしたようにも思える。

 ではメンカウラー王の先代、カフラー王の場合はどうか。ここでも、ピラミッドの大きさや位置が建設途中で変わったことによって、新たに入り口をつくり直したのだという説がある。しかし、たとえそうであったとしても、「下の通路」(図中の第一の下降通路)を延ばしたらよいだけで、「上の通路」(図中の第二の下降通路)をわざわざつくり直す必要はない。

 実際、上下いずれの通路も完成しており、それぞれが使われた痕跡がある。上の通路は赤色花崗岩、下の通路は石灰岩でつくられている。赤は下エジプト(ナイル川の下流側)、白は上エジプト(ナイル川の上流側)の象徴であることから、2つの通路は上下統一を表しているのかもしれない。

 あるいはピラミッド・テキストにあるように、死した王のバー〈魂〉が地下の通路から玄室に入り、オシリスであるミイラと合一し、アク〈有益なもの〉になったあと、地上の通路から北極星に向かうのかもしれない。

 2つの通路がピラミッドの中にあるのは、ギザだけではない。クフ王の父スネフェル王が建造した屈折ピラミッドも北と西に通路がある(ただし、それは1本になることなく、別々の部屋に繋がっている)。

 加えて、スネフェル王が建造したと考えられているメイドゥムの崩れかけのピラミッドでは、2000年に玄室に通じる縦穴の側壁から未知の通路と空間が見つかっている。 おそらくピラミッドの外まで続いているのではないだろうか。

 これまでは、屈折ピラミッドの2つの通路は宗教的な変化、カフラーとメンカウラーの2つの通路はピラミッドのサイズや位置の変更が理由とされてきた。しかし、もしクフ王のピラミッドの切妻構造の裏に検出されたものが通路だとしたら、ピラミッド内部に2つの通路を設けることは、スネフェル王族にとって当然のことだったのかもしれない。そして、まだ調査はされていないが、スネフェル王の赤ピラミッドでも同じような通路が見つかる可能性にも繋がってくる。

 ここで重要なのは、今回のスキャン・ピラミッド計画の結果が、ミイラや財宝に繋がらなくとも、学術的には大きな発見であり、2つの通路の意味について様々な議論がわき上がるという点である。スキャン・ピラミッド計画は現在進行中であるため、今後、さらに新しい情報が入ってくることが期待されている。 【参考文献:Ricke, H. 1944, 1950. Bemerkungen zur ägyptischen Baukunst des alten Reiches. I&II. Zürich: Borchardt-Institut. 】

=資料・文献=

メンカウラー王のピラミッド(Menkaure's Pyramid)とは、エジプトのギーザにある古代エジプト古王国時代第4王朝ファラオメンカウラー王のピラミッドである。

高さ65.5m(現在の高さ62m)、底辺105m、勾配51度20分と三大ピラミッドのうち最も小さく、他の2つのピラミッドと比較して長さで半分、体積で8分の1ほどの大きさである。 その理由には諸説あるが、何らかの事情で財政が逼迫していたため建設費用を節約したとの説が一般的である。北面には大きな傷跡が残るが、これはピラミッドを破壊しようとしたものが破壊できずに終わったものの名残であるという。

1837年に玄室から遺体の一部が発見されたが、ロンドンの大英博物館への輸送中に船が沈没したことで石棺もろとも失われてしまい、この遺体がメンカウラー王のものだったのか不明なままである。

メンカウラー(Menkaure, またはMenkaura、生没年不明)はエジプト第4王朝ファラオ(5代目)で、在位は紀元前2532年から紀元前2504年。 メンカウラーとは、ラーの魂のように永遠である」という意。 父はカフラーであり、母はカメレルネブチ1世。 妻は二人が確認されている。 一人はカフラーとカメレルネブチ1世の第1王女、つまり兄弟姉妹婚となるカメレルネブチ2世であり、もう一人の名称は知られていないが、6代目ファラオとなったシェプスセスカフを産んだ。

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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