○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠
◇◆ ピラミッド・タウンの船乗りたち = 2/2= ◇◆
パン焼き場は見つかったが、その周りは砂漠だった。 レーナーたちは、膨大な砂を除去しながら発掘しなければならなかったが、通常であれば、そういった作業には何十年もかかる。 しかし、ナショジオに取り上げられたということもあり、米国の富豪たちから特別な資金提供を受けることができ、なんとわずか4年で、その全貌を明らかにすることができたのである。
現れたのは、他の古代都市では見たことがないような構造だった。
町の中心となるのは、堅固な造りを持つ営舎だった。 営舎は、細く長い住戸が横に連なった長屋のような建物で、この建物がみっしりと立ち並ぶ区画が、南北に四つに分けて建てられていた。 長屋のようなそれぞれの住戸は「ギャラリー(Gallery)」と呼ばれ、大きさは、長さが35メートル、幅が7.6メートルだった。 パン焼き場はこの営舎の端にあったのである。
この営舎には誰が住んでいたのだろう? 堅固な形状から考えると、ただの一般の人々の家とは思えない。 各住戸には40人から50人ほどまとめて寝ることができる空間があり、全体で最大2000人がここで寝泊まりしていたようだ。
様々な仮説が立てられたが、現在考えられているのは、彼らはピラミッド建造に携わった建設部隊だったという説である。
当時の作業集団は、ピラミッド型の極めて見事なヒエラルキーとして組織されていたことが分かっている。
組織はおそらく3つの階層に分かれた部隊からなっており、最小のグループは20人程度からなる小隊で、中規模の部隊は200名。古代エジプトではこの中隊規模のグループを「サァ」と言った。
この時代、サァは五つ存在していた。 それらは、〈偉大な〉部隊、〈アジアの〉部隊、〈緑の〉部隊、〈小さい〉部隊、そして〈完璧な〉部隊と呼ばれていた。
200人からなるサァは、もともと船員を表す言葉として知られていたが、おそらく、それらが集まって構成されるさらに大きな大隊を一艘の船と見なしていたのだろう。その大隊をアペルと言う。 ギザには、〈メンカウラーの友人たち〉や〈メンカウラーの大酒飲み〉というアペルの名前がピラミッド内部や周りの神殿から見つかっている。 そして、この大きな部隊を2つ合わせると、営舎に住んでいた2000人と同数になる。
クフ王の時代のパピルス発見!
彼らが建造に関わった労働集団であったのはまちがいない。ではなぜ船員を指す言葉なのだろう? このことについては、よく分かっていなかった。エジプトでは現世から来世に行くには船を使うと考えられていたことから、象徴的な意味で王に付き従う船員として見なされたのか、それとも実際、彼らは船乗りだったのだろうか。
しかし、数年前、意外なところから手がかりが見つかった。ワディ・エル=ジャラフと呼ばれる紅海の港から、大ピラミッドを造ったクフ王の時代に遡る建物が見つかったのだ。 それは、なんとピラミッド・タウンの営舎と同じような構造だった。
そして、その建物から5キロほど行った砂漠の涸れ谷に、貯蔵庫として掘られた坑道が見つかり、そこに解体して保管された船と、遠征隊の隊長だったメレルという人物の日誌が書かれたパピルスが発見されたのだ。 おそらく彼らは、紅海を渡り、対岸のシナイ半島の銅山で採石活動を行っていたのだろう(不思議なことに、日誌には、彼らのワディ・エル=ジャラフでの活動については書かれておらず、大ピラミッド建造のための石灰岩を切り出し運んだことについて書かれていた)。
こういったことから総合的に考えると、ピラミッド・タウンの中心の堅固な営舎に住んでいたのは、ピラミッド建設に関わる建設部隊であっただけでなく、彼らは未開の地へおもむき探索する遠征部隊のメンバーでもあったということである。 彼らは、現在のエジプトの西方砂漠や南のヌビア砂漠の奥地、東のシナイ半島の山奥、あるいは北のレバノンなどへ向かった冒険心に富んだエクスプローラーたちであり、自らが見つけた鉱物や植物でピラミッドを建造したのだ。
=資料・文献=
クフの出生 : クフの王室はかなり巨大である。 クフが前王スネフェルの生物学的な意味での息子であると断定はできない。主流のエジプト学者はクフはスネフェルの息子であると考えている。 しかし、それは後世の歴史家が長男または選ばれた息子が王位を継承すると伝えたからである。 1925年に王妃ヘテプヘレス1世の墓、G7000xがクフのピラミッドの東で発見された。 その墓は貴重な副葬品を含んでおり、いくつかの碑文によってスネフェル王の名前を伴って彼女の称号ムト・ネスウト(Mwt-nswt 「王の母」)が見つかった。
従って、ヘテプヘレス1世がスネフェルの妻であり、クフの両親であることは明白と思われた。 しかしながら近年、この説に疑問を抱く者もいる。 なぜならばヘテプヘレスは女王位を確認するために不可欠の称号ヘメト・ネスウト(Hmt-Nswt 「王の妻」)を負う事が確認されていないからである。
この配偶者の称号の代わりにヘテプヘレスが持つ称号は唯一サート・ネチェル・ケテフ(Sat-netjer-khetef 逐語的には「神聖な肉体の娘」、象徴的には「王の肉体の娘」)である。 この称号はこの時初めて登場する。 このことから、一部の研究者はクフはスネフェルと血縁が無いかもしれないと考えている。 しかし、スネフェルは婚姻によってクフの王室内での地位を正統な物とした。 彼の母親を生きた神の如き存在として崇拝することでクフの新たな地位が保証された。 この説は、クフの母が夫のネクロポリスではなく、息子のそばに埋葬されたという事実によって支持されるかもしれない。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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