○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠
◇◆ エクスプローラーたちの祭典 = 2/3= ◇◆
物語の力 : 今年新たに選ばれた、私たち13人のエマージング・エクスプローラーは、「エクスプローラー・シンポジウム」の始まる3日前に、このナショジオ本部に集結した。
メンバーは世界中から来ていた。七大陸の最高峰をバングラデシュ人で初めて制した女性。 ハーバード大学で微生物の研究をし、火山、海底、火星まで探索する地球生物学者。廃棄物からあらゆるもの(服、家具、飛行機)を作る台湾の天才。 コンゴで密猟者と戦う野生生物犯罪の調査員。 近年の人類学における最大の発見のひとつ、新種のヒト属ホモ・ナレディの発掘メンバーなど、みなが多彩で情熱と才能に溢れた連中だった。
「ナショナル ジオグラフィックへようこそ! 皆さんをファミリーの一員として、心から歓迎します!」ナショジオ本部での1週間は、まずエクスプローラー・プログラムの統括責任者であるアレキサンダー・モーエン氏の挨拶から始まった。
続いて、コミュニケーション・トレーニング・インストラクターのトム・バレット氏が、どのようなプレゼンが好ましいかというレクチャーをした。 このエクスプローラー・シンポジウムのメイン・イベントのひとつは、私たち13人のプレゼンだった。 持ち時間は一人12分。 TEDのようにステージに立ち、聴衆に語りかけるスタイルだ。
トムは、最初の「つかみ」が重要で、そこで一気に聴衆を惹き付けること。 その後、パーソナル・ストーリーを織り交ぜ、共感を促すこと。 それぞれのスライドには見出しとなるような語りから始めること。 ところどころに小話を挟むことなど、プレゼンテーションの仕方を教えてくれた。
しかし正直、プレゼン方法を知らない学生に対する授業のように感じてしまい、私は鼻で笑ってしまった。 いままで、TED含め、数え切れないほど講演してきたため、いまさら聞くような話ではないと思った。
トムの話が終わった後、実際に、自分たちが用意してきたスライドで話をしてみることになった。 選ばれたのは、七大陸の最高峰を制した登山家のワスフィアと、ハーバードで微生物研究をしているジェフだった。 彼らのプレゼンは素晴らしかった。 内容はもとより、ストーリー性や、その完成度の高さに唸ってしまった。
しかしプレゼン終了後、そこにいるメンバーたちから「最初の映像が強烈なので、まくし立てるように話すのではなく、一呼吸置くことで、強い印象を聴衆に与えることができると思う」とか、「パーソナル・ストーリーが強すぎて、その直前の話が吹き飛んでしまうので、あえて、そこで用いる言葉を柔らかくするか、あるいは1分以内にすべきだ」など、次々にアドバイスが飛んだ。
私はそれを聞いて唖然とし、同時に、自分の思い上がりを恥じた。
ナショジオにいる間、耳にたこができるほど聞いたのは、「物語の力」だった。 あなたたちは皆、それぞれの現場で活躍している。だが、足りないのは、それを世界にもっとシェアする、あるいは伝えるということである。 そのために、ナショジオという媒介があるのだとスタッフたちは折に触れて強調した。
ナショジオ・イニシエーション : シンポジウムが始まるまでの3日間の間、この協会についてのありとあらゆる知識が私たちに詰め込まれた。
ナショジオの哲学、組織のあり方、どの担当者が何をしているのか、年間の収入がどれほどあり、その内訳がどうなっているのか、年間どれほどのプロジェクトがナショジオの助成金で行われているのか、シンポジウムの際に後援者である富豪たちに会ったときにはどのように振る舞うべきかなど(一定以上の金額を寄付している後援者は、この特別イベントに招かれる。 彼らは紫色のバッジをつけているため、「紫色のバッジをつけている人を見たら、くれぐれも行儀良く振る舞うように」と注意された)、ミーティングにつぐミーティング、プレゼンにつぐプレゼンが行われた。
私の脳みそは溶けそうだった。 ナショジオの内部ツアーも行われた。 行き先は3カ所だった。 まず訪れたのは、フォト・エンジニアリング・セクションだった。
ナショジオといえば写真の迫力やクオリティの高さが有名だが、この部局では、樹高100メートルにもおよぶセコイアの巨木を全て1枚の画像に納めるべく開発したパノラマ撮影機材や、海底写真を撮るための特別な小型潜水艇、ツタンカーメン王墓の壁画を調査した地中レーダーなど、様々な最新技術について説明してもらった。 機材の貸し出しやコラボレーションによって、それらの最新機器を用いた調査も可能だということだった。
次に訪れたフォト・アーカイブ・セクションでは、800万枚のスライド・フィルムが収められた場所を見た。 そこには海洋学者のジャック=イブ・クストーの未発表の写真など、マニア垂涎もののコレクションがあった。
=資料・文献=
エジプト第4王朝・ピラミッド(1/2)
第4王朝は史上最大のピラミッド建築が行われた王朝である。 ピラミッド建設は第3王朝時代のジェセル王の階段ピラミッド建設以来、第3王朝の歴代王が継続したが、それらはいずれも階段ピラミッド、またはその変形である。 そして大規模なものの多くは未完成であったり、崩壊してしまっている。
これは国力の問題でもあり、また技術的な問題でもあったと推定される。 第4王朝最初の王スネフェルは第3王朝時代の建設政策を引き継いで大規模なピラミッドを建造した。 しかし、その建築様式は第3王朝時代とは様変わりし、階段ピラミッド様式から真正ピラミッドへの移行が模索された。 真正ピラミッドとは、旧来のピラミッドのように階段状の外観を持つのではなく、直線のラインを持った方錐形のピラミッドである。
方錐形は太陽光線を具現化したものであると考えられており、王権と太陽神信仰との結びつきが強くなったこの時代に王は死後階段ではなく太陽光線を通って昇天するとされたことが反映している。 方錐の斜面角は52度が理想とされた。 この角度はヘリオポリスの聖なる石ベンベンに由来すると考えられている。
スネフェルによって建設されたピラミッドは3基ある。 屈折ピラミッド、赤いピラミッド、崩れピラミッドの三つがそれである。 これらのピラミッドはいずれもその形状が特異な物であり、理屈の上では理想とされたピラミッドを建設を目指した時の試行錯誤の跡が見て取れる。
最初に建設された屈折ピラミッドは、高さ101メートル、一辺189メートルの規模を持ち、その名の通り途中で斜面の角度が変更されて「屈折」している。 これは一般には、階段ピラミッドと同じ石積みの方法で方錐形のピラミッドを建設しようとしたが、工事途中でこのまま建設した場合に構造的にピラミッドが自重に耐えられなくなると判断されて設計変更を施されたものであると言われている。
次に建設された赤いピラミッドは、石積みの方法を従来の傾斜積みから水平積みと呼ばれる方法に変更して建造され、初めて直線のラインを持った方錐形のピラミッドとして完成した。 しかし、斜面の角度は43度余りであり、理想とされた52度には遠く及ばなかった。 そこで次のピラミッドは、既にある階段ピラミッドを埋めて建設するという方法が試された。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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