○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠
◇◆ エクスプローラーたちの祭典 = 1/3= ◇◆
質実剛健のナショジオ本部 : 世界最大の非営利学術研究団体である「ナショナル ジオグラフィック協会」本部は、ワシントンのホワイトハウスから、徒歩で10分かからない距離にある。 ガイドブック『地球の歩き方』には、この組織の力を示す話として、「ワシントンは特別行政区なので地域産業はないと思われているが、ひとつだけある。 それはナショナル ジオグラフィックだ!」という冗談のような逸話が載っている。
この協会で、一年に一度開催される特別な内輪の祭り「エクスプローラーズ・ウィーク」に参加するため、6月、私は初めてここを訪れた。 それまでの勝手なイメージでは、ナショジオ本部は、少なくとも東京国立博物館の本館のような重厚な門構えで、中に入ると壮麗な中央ホールがあったりするのかと思っていた。 しかし到着してみると、期待に反して、建物は簡素で、エントランスもこぢんまりとしており、最初はどこが正面玄関かも分からなかった(それでも全体で14,000平方メートルほどの敷地がある)。
ナショジオ本部の建物は大きく3つに分かれている。 まず、最初の本部として1902年に建てられた「ハバード・ホール」のある歴史的な建物。 ここは小規模だが格調高く、伝統が感じられる作りになっており、現在、後援者との特別なミーティングなどで使われているらしい。
その建物を拡張するようにして建てられたのが、レクチャーが行われたり、ドキュメンタリー映画が上映されたりする「グロブナー・オーディトリアム」がある第2の建物である。 エクスプローラーズ・ウィーク中のシンポジウムでは、主にこの建物の中で様々なイベントやミーティングが行われた。
最後に、それらの建物と、中庭を挟んで建っているのが現在の本部ビルである。 ここは1階が博物館になっているが、入り口も狭く、入るとすぐにエレベーターがあったりと、作りがどことなく古めかしい感じがする建物である。 これらビルは地上では異なる3つの建物になっているが、実は地下では全て繋がっており、さながら秘密基地のようになっているらしい。 いずれも、派手な外見ではなく、質素な作りである。
カフェテリアも一カ所しかなく、食事の内容も、バランスよく食べることはできたが、取り立てて素晴らしいということもなかった。以前、訪れたことがある、和洋中印なんでもありのシリコンバレーのGoogle本社の社員食堂(食堂というより、巨大なフードコートだったが)などとは大違いだった。
だが、考えてみれば、当たり前だろう。ここで働いているのは、世界中の様々な現場の最前線に立つエクスプローラーをサポートする人たちだ。派手な見た目や、無駄にお金がかかる設備などは好まれなくて当然である。
=資料・文献=
エジプト第4王朝・歴史(3/3)
メンカウラーの後の第4王朝の歴史は不明瞭である。 メンカウラーと王妃カメレルネブティ2世の長男クエンラーは恐らく父王より先に死んだ。 跡を継いだのは別の王子シェプセスカフであり4年ほど統治した。 マネトによれば第4王朝はタンプティスという王で終わりを告げた。 これはほとんど記録のないジェドエフプタハという王と同一人物であるかもしれない。
しかし彼らの治世は短く、その詳細も明らかでない。間もなく第5王朝が開かれた(紀元前2498年頃)。 第2中間期に記されたと考えられるウェストカー・パピルスと呼ばれる文書に記された『魔法使いジェディの物語』には第4王朝と第5王朝の交代が次のように描かれている。
クフ王が気晴らしのために王子達に珍しい物語(奇蹟)を語るように命じた。 王子達は様々な物語を披露したが、最後の王子は物語を語るのではなく魔法使いのジェディを連れてきてクフ王の前で奇蹟を演じさせた。 クフ王はジェディに未来を問うと、ジェディはクフ王に予言を聞かせた。 「あなたの王朝はあなたの息子カフラーと孫のメンカウラーの治世の間だけ存続することでしょう。
そして太陽神ラーの子孫であり、下エジプトの太陽神の聖地に仕えるラー神官の妻レドジェデトの子孫として生まれる新しい王家により王位を奪われることになるでしょう。」 その後、レドジェデトはイシス神、ネフティス神、メスケネト神、ヘケト神、クヌム神の助けを得て三つ子を産んだ。 三人の子にはイシス神によってウセルカフ、サフラー、ネフェルイルカラー・カカイの名が与えられた。
その後の物語の末尾部分は失われているが恐らく予言通り第4王朝と第5王朝が交代したことが綴られていたと考えられている。この物語は到底史実として見ることは出来ないが、エジプトに古王国時代から長く伝わった俗話であると考えられる。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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