◆ ベルリンオリンピックで試合を観戦していた一個人の前畑ガンバレが、公共の電波に乗るアクシデント(1936年)。いや、作家マーガレット・ミッチェル、風と共に去る(1949年)。…ともにフェィクだね。 ◆ ロナルド・レーガンがラジオ演説前の予習で「今から5分後にソ連攻撃を始める」と口走って、ボケているんじゃないか?と全世界から訝しがられる(1984年)。 ◆ 初の4日間開催となったコミックマーケット3日目で待機列が実に3時間以上炎天下にさらされて、熱中症で危篤状態になる人も。これも全部来年の東京オリンピックのせいだ(2019年)。
◎ ◎ 型破り登山家、1カ月で6つの8000m峰に登頂成功 =後節= ◎ ◎
- - -エベレスト、ローツェ、マカルー、野心的で有言実行のニルマル・プルジャ氏- - -
=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉
・・・・2019.05.28 / 文=FREDDIE WILKINSON/訳=北村京子
兵士から登山家へ
ニムズ氏は重大な決意のもとに、軍を離れてプロの登山家へと転身した。 「英国軍には16年間在籍した。あと6年もいれば、満額の恩給が受け取れるはずだった。50万ポンド(約6900万円)くらいにはなっただろう……だけど僕が働くのはお金のためじゃない」とニムズは言う。「仕事だからやるんじゃない。仕事でやるには危険すぎる。僕は恩給をあきらめて、このプロジェクトのために仕事をやめたんだ」
ニムズ氏は、自身の8000メートル峰へのチャレンジを「プロジェクト・ポッシブル」と名付けた。当初予定していたスポンサー話が頓挫した後、ニムズ氏は自ら資金調達に奔走した。「知り合いに片っ端からメールを送って、10週間でなんとか25万ドル(約2700万円)を調達したが、これは相当な金額だ。あんなに大変なことをやったのは初めてだよ」。このとき集めた25万ドルは、ネパールの6峰に登頂する分にしかならなかった。パキスタンでの第2段階は6月7日に開始される予定だが、資金は30万ドル(約3300万円)不足している。「今後どうするか決めるまでには、まだ10日ある」と、ニムズ氏は言った。
「プロジェクト・ポッシブル」が資金繰りに苦しんでいるのは、無理もない話だ。アスリートは通常、数十万ドルの支援を得るために、何年もかけて人間関係を築いてスポンサーを獲得するが、ニムズ氏が登山家として活動を始めたのはわずか6カ月前なのだ。そして、たとえ奇跡的に資金を調達できたとしても、彼がパキスタンの8000メートル峰5座の登頂に成功するという保証はない。
しかし、次の登山が成功しようが失敗に終わろうが、ニムズ氏はすでにあることを証明している。それは、彼がだれにも似ていない、個性的な人物であるということだ。
ポジティブなニムズ氏が、計画の続行をためらうことはない。「僕はこのために家をもう一度抵当に入れた。このために仕事も捨てた。自分が持っているものはすべて賭けた。もしうまくいかなければ、自分にこう言うよ。『ニムズ、おまえは自分に出せるものを100%出した。それが、ひとりの人間が人生で賭けられるものすべてだ』ってね。僕はそれで満足だ」
===おわり===
さて、ニルマル・プルジャ氏(ニムズという通称)の驚異的なアルピニズムは野心過ぎて追随者が現れるとは思われぬが、記述したごとく、この地球上には、標高8850mのエベレストを筆頭に、標高8000mを超える山が全部で14ある。1986年にイタリアの登山家であるラインホルト・メスナーが14座すべてを登頂した。酸素ボンベを使うことなく、多くは単独での登頂である。弟を亡くした事も・・・・・・。 以来、多くの登山家が独自のスタイルで14座登頂を目指してきた。
メスナー氏以降の先鋭的アルピニズムを探究する登山家を紹介していこう。 日本人初の14座完登者となったのが、プロ登山家の竹内洋岳さんである。さまざまな困難を乗り越えて成し遂げた偉業を振り返りつつ、山に入ると思いを彼は語る。
第1回 山頂は到達点ではなく単なる通過点
=== ナショジオ・インタビュー 竹内洋岳 / 文=西野淑子/写真=田中良知) ===
――日本人初の8000m峰14座登頂、おめでとうございます。
ありがとうございます。
――14座目のダウラギリに登頂をされたのが2012年5月26日でした。登頂した瞬間、どんなことを考えておられましたか?
早く帰りたいと思っていました。 頂上は天候があまりよくなかったです。ファイナルキャンプを出てからクーロアール(岩壁の溝)を抜けるまでは無風快晴で、これまで登頂した8000m峰の中でもかなり暖かく、条件はよかったのですが、クーロアールを抜けて頂上への稜線に出たとたん、体がよろけるほど強い風に吹かれて。頂上のあたりは風が強くて、雪も氷になってしまうほどなんですね。そこをよろよろと歩いて山頂を目指しました。そして山頂に着いたときには「もう早く帰らなきゃ」という気持ちでした。
――山頂でたくさん写真を撮ったり、ゆっくり滞在して景色を楽しんだりはしないのですね。
天気がよくても、山頂にいる時間は5~10分ぐらいまでです。今回は3分いたかどうか。 8000m峰の山頂は、まったく生命感のない場所で、人間がいることが明らかに不自然なんです。「ここにいちゃいけない」という感じが満ちあふれているんですよね。自分の命を守り、無事に下山するためには、一刻、一秒でも早く下りなくてはならないと、正常に頭が働いていればだれでも感じることだと思います。とくに無酸素で登っているときや、天気が悪いときは一秒でも居たくない、早く下りたいと思います。
――そんな過酷な場所に14回、いや14回以上いらしているのですね。テレビ番組の登山レポートのような「楽しそうな山頂」と、「早く帰りたくなる山頂」の境目はどこにあるんでしょう。
そうですね……。 山によって、また登ったときによって違います。たとえば日本の山で、眺めがよくて暖かくて気持ちいい山頂でも、冬になったら「とどまることはできない」場所だったりします。そこにいていいのか、少しでも早く帰らなくてはと感じ取れなくてはならない。山頂に登って、そこで動けなくなってはだめなんです。自分の足で登って、自分の足で下りてくることが登山の絶対的な条件なんです。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
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