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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 08月12日(月曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

◆ サルの言いつけで三河の狸親父が関東地方全域の支配者に(1590年)。そして、時は流れ、のび太行きつけの三河屋でコカ・コーラが1本しか売れず、その王冠が一時はウン千万円の値がつく(1975年)。 ◆ キツネ目の男がグリコ・森永事件の事件終息を宣言(1985年)。ちなみに、この事件に巻き込まれていたハウス食品の社長は事件終息を先代である父の墓前に報告しに行く途中、下の日航機事故=御巣鷹の尾根=で死亡。運が悪すぎる… ◆ 四万十川の水まで温まりアユも水煮になり兼ねないくらいの猛暑で、真夏の暑さにしても限度があるだろ!って誰もが思った日(2013年=日本国内観測史上最高の41.0度)。…今年を経験する以前のお話

◎ ◎ 第1回 山頂は到達点ではなく単なる通過点 (2/2) ◎ ◎

- - - ナショジオ・インタビュー 竹内洋岳 / 文=西野淑子/写真=田中良知) - - -

  ====日本人初の14座完登者となったのが、プロ登山家の竹内洋岳さん。さまざまな困難を乗り越えて成し遂げた偉業を振り返りつつ、山にかける思いを聞いた。(インタビュー・文=西野淑子/写真=田中良知) =====

 ――山頂はゴールではない、ということですか。

  はい。山頂は到達地点ではありません。折り返し地点でもなく、単なる通過点なのです。ベースキャンプを出発して、山頂を通って、またベースキャンプに戻ってくる。私にとって、登山は「ひとつの輪」みたいなものです。

  そう考えると、山頂は輪のなかのほんの一部です。そして、ベースキャンプに帰ってこないと、輪は出来上がらない。そして、ひとつの輪が出来上がると、次の輪、つまり登山のことを考え始めています。私にとっては、新しい山を思い描いたときが「新しい輪の始まり」でもあるのです。

 ――今回も次の輪のことを考えましたか?

  もちろん。どこに行こうか、どこから登ろうか、というのもありますが、今回の登山を振り返って、次は何を持っていこうか、というのもありますね。今回使った道具のここを改良しようとか、今度はこんなジャケットを着よう、とか。  

――ダウラギリ登頂から3カ月ちょっとたちました。気持ちの変化はありましたか?

 いや……、何も変わっていません。私にとっては「14座を登った」というより、「ダウラギリを登った」というだけのことで、他の山を登ったときと同じ。山に行って、登って、帰ってきて、よかったなぁ、次はどこへいこう。ずっとその繰り返しです。登りたいメンバーと、登りたい山に、登りたい方法で登ってきました。

  私は「14座」という山に登ったのではありません。初めて8000m峰を経験してから21年、マカルー東稜で初めて登頂してから17年、ひたすら登り続けていただけ。その過程で14の山を登ったに過ぎないのです。

 ――8000m峰14座の完登は、ずっと登り続けてきた結果であり、これからも続く登山の過程なのですね。では、竹内さんが山の世界に、そして8000m峰の世界に足を踏み入れたときの話を聞かせてください。

 第2回 何事もなく終わった山はひとつもない(1/2)

 ――山登りを始めたきっかけを教えてください。

  祖父が山好きで、小学生の頃はハイキングに連れていってくれました。その前からスキーには一緒に行ってましたね。私が子供の頃はまだ昔のスキーで、初めて買ってもらったスキーは木の板でした。ゲレンデでリフトに乗って、リフトの終点からさらにスキーを履いて山の上に登って、滑って下りてくる。そういうことが山を始めるきっかけというか、素養になっていると思います。

 ――高校で山岳部に入られたのですよね。

  山岳部といっても、ハイキング部みたいな感じでしたよ。顧問の先生が大学山岳部の出身で、雪山や岩登りの話をいろいろと聞かせてくれて、大学に入ったら、山岳部に入って岩や雪をやりたい!と思っていました。そして大学の山岳部に入りましたが、翌年の1991年にちょうど海外登山の計画があったんですね。標高8027mのシシャパンマという山です。自分は登頂しなかったのですが、これが初の海外登山でした。

――それ以来、8000m峰の世界に足を踏み入れたのですね。14座の中で、一番記憶に残っている山はどこですか? 

 ううん……、ひとつには決められないです。振り返ってみると、何事もなく終わった山はひとつもありません。すべてが予定通りにいかないというか。敢えて印象に残っている山を挙げるとしたら、1995年のマカルーですね。

 ――日本山岳会隊でいらした、竹内さんにとっては「初めて登頂した8000m峰」ですね。

  このときは「東稜」を登ったのですが、ここは今までだれも登った人がいない、それまで外国人は立ち入り禁止だった、未踏のルートでした。ロシアから届いた非常に不鮮明な衛星写真があるだけで、地図も、何の情報もありません。だから、どこから登るか、というところから探さないといけなかったんです。

 ――それは大変ですね。想像がつかないです。

  私も含めて4人の先発隊で、山麓の村の村長の家に下宿しながら、登れる尾根の末端を探すんです。一歩先に行くと、もう何があるかわからないんですよ。何日もかけて峠を越えて、ラッセルして、崖を下って行ってみたけど行き止まり、また戻って次の谷……と、何度も何度も行き来して。食糧が底を尽いて、現地の人と物々交換で食べ物を分けてもらったりもしました。1930年代からヒマラヤや世界各地の山に登っていたイギリスの登山家・シプトンの探検と同じレベルのことをやっていましたね。  

・・・・・・・・明日に続く・・・・・ 

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