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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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今日(狂)の狂言 : 08月10日(土曜日) &旅と文化の足跡が野帳

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★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 ★

◆ 最初の神からの啓示を与える大天使にして魔界天使ジブリールがムハンマドの前に現れ、目前にしたムハンマドがハァハァー (610年)。 ◆ 進水したばかりのスウェーデン海軍の戦列艦ヴァーサが海の底へ出航(1628年)し、230年の時を経て帰還を果たす。&so、16世紀に冒険に出たマゼランがようやく金星に到着(1990年)。 ◆ 国際宇宙ステーションでロシアの宇宙飛行士が結婚(2003年)、花嫁は宇宙へ行けなかったため衛星通信を通じて愛を誓った。

◎ ◎ 型破り登山家、1カ月で6つの8000m峰に登頂成功 =中節= ◎ ◎

- - -エベレスト、ローツェ、マカルー、野心的で有言実行のニルマル・プルジャ氏- - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉  ・・・・2019.05.28 / 文=FREDDIE WILKINSON/訳=北村京子

   ニムズ氏はそう言ったが、このインタビューの直前に彼が成し遂げた3つの山(アンナプルナ、ダウラギリ、カンチェンジュンガ)の登頂については、それがどんな状況下で行われたものだとしても、すばらしい実績であると誰もが認めるだろう。しかもニムズ氏の登頂時の状況は、決して理想的と呼べるものではなかった。たとえばアンナプルナでは、彼が登頂した同日に、中国人医師のチン氏が行方不明になった。

 「僕らがベースキャンプに戻ったのは午後10時頃だ。待っていた友人たちがウイスキーをくれ、午前3時30分頃まで飲んでいた。午前6時にヘリがやってきて、あの医師が生存していると言う。だから僕はチームを集めて、ロープでキャンプ3に降ろしてもらった。そこから医師がいるところまでは通常、16時間以上かかる。僕らはこれを4時間でやった」

  チン氏は無事カトマンズへ運ばれ、その後シンガポールへ移送されたものの、数日後にそこで亡くなった。(参考記事:「隣り合わせの「死」を見つめる」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20131226/378464/

  アンナプルナから、ニムズ氏はヘリコプターでダウラギリに向かったが、悪天候のせいで状況はさらに悪化した。「ダウラギリ登頂は午後6時30分頃だった。あれほどひどい条件の中で登ったことはないくらいだ。実に苦しかった」。ニムズ氏と4人のネパール人のチームは、暗い中をベースキャンプまで下り、翌朝やってきたヘリコプターでカトマンズまで移動した。

 「カトマンズでひと晩過ごしたが、まるで休めなかったよ。大勢の友人たちがビールを飲みたがっていたからね」。ニムズ氏はウィンクをしてそう言った。「そして次の日、僕らはカンチェンジュンガに向かった」  

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 カンチェンジュンガでは、ニムズ氏は登山パートナーのひとりであるシェルパと一緒に午後1時にベースキャンプを出発して一気に頂上を目指し、翌日の午前11時に登頂を果たした。途中で、ふたり目のサポート・シェルパとも合流していた。

三人で山を下りていくと、インド人登山家のバイディヤ氏とシェルパのダワ氏が、8450メートル地点で酸素ボンベが尽きて立ち往生しているところに行き合った。ニムズ氏らはふたりに予備の酸素ボンベを渡し、手を貸して一緒に山を下り始めたが、途中でまた別のインド人登山家カラル氏が、酸素ボンベがなくなり、仲間から置き去りにされているのを発見した。ニムズ氏は彼に、自分が背負っていた酸素ボンベを譲った。

 「僕らは助けを求めることにして、何度も何度も呼びかけた。レスキューを送ってくれ、バックアップを頼むってね。先方はすぐに人を送るからってずっと言い続けていた。7時にはあたりが暗くなって、それでもヘッドライトのひとつも見えない」

  カラル氏は、ニムズ氏が与えた酸素が底をついた後、ほどなく亡くなった。チームはバイディヤ氏に手を貸しながらさらに山を下りたが、やがてニムズ氏のシェルパも次々に高地脳浮腫の兆候を見せ始めた。

  バイディヤ氏は最終的に、何十人もの人が野営をしていたキャンプ4まで200メートル足らずのところで亡くなった。それから一週間後、キャンプでインタビューに答えるニムズ氏が、その出来事をまだ引きずっていることは明らかだった。

 「彼らは自分たちを高高度のエキスパートだとか、ソロクライマーだとか呼んでいるが、だれひとり助けには来なかった……いちばん悲しいのは、彼らが嘘をつき続けたことだ。3人そっちに向かわせると言っていたのに。正確な情報を伝えないというのは、大きな問題だ」

 残念な結果にはなったものの、ニムズ氏は、カンチェンジュンガで起こったような出来事は、自身の登山スタイルの正しさを証明するものだととらえている。「もし僕が酸素なしで登っていたなら、彼らに酸素をあげられなかっただろう」(参考記事:「14座制覇の女性登山家」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130521/351337/

 力と知恵で  ニムズ氏は、今はまだ登山界で名の知られた存在というわけではない。それもそのはず、彼はつい最近まで、正規兵として英国政府に雇われていたのだ。 「僕はネパールで生まれ、グルカ兵の中で育ち、SBS(英海兵隊特殊舟艇部隊)の一員になった」

  ニムズ氏は18歳でグルカ兵となった。植民地時代の名残であるグルカ兵は、ネパールで招集され、英軍に所属して戦う戦闘集団だ。グルカ兵として6年間従軍した後、ニムズ氏はさらに厳しい6カ月間の試験をパスして、英特殊部隊のエリートであるSBSに入隊した。SBSのモットーは「力と知恵で」だ。

 「特殊部隊で学んだ最も大切なことは、意思決定プロセスと、諦めないという意志だ。兵士は、ある特定のマインドセットを保つことを求められる。僕はそれをポジティブなマインドセットと呼んでいる」  

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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