○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子= ○
= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =
◇◆ 北緯79度の花畑 = 1/3 = ◇
足下には一面に無数の小さな花々が咲き乱れている。 見過ごしてしまいそうなほどに矮小化した植物たち。 キョクチヤナギの丸い葉や、チョウノスケソウの白い花びら、夜露で濡れたコケや地衣類が白夜の光を反射してキラキラと光り輝いている。 長靴でフカフカのツンドラの大地を歩くと、少し柔らかな初夏の風が草と土の薫りを運び、頬をかすめていった。
やっとここに来ることができた。 私は嬉しくて走り出したくなるような気持ちだった。 2010年7月9日、晴れ上がった空の下、私たちを乗せたセスナ機はロングイヤービンの空港を飛び立った。 滑走路がどんどん遠のいていく。 ロングイヤービンの町はすぐに小さくなり、高度を上げるにつれて切り立った地形全体が見えてきた。
山々は急勾配のまま海岸に落ち込み、その頂上がストンとまっすぐ平らになっている。 氷河で削られた痕跡だ。平地は緑に色づいてはいるが、森や林はない。 地球はつい最近になってやっと最終氷期が終わったばかりなのだということをまざまざと見せつけられる。
いくつもの氷河が、まるで舌のように山と山のあいだから海に流れ込んでいる。 普段は動いているようには見えない氷の塊。しかし、こうして見ると氷河はやはり氷の河であることがよくわかる。 決してその場にとどまり続けることなく、河のように流れ、常に動きつづけているのだ。 氷河で削られたシルトが混ざり込んだ海は、ミルキーブルーの不思議な色をしている。
3日前、成田空港からスカンジナビア航空でコペンハーゲンを経由し、オスロに到着した。 オスロから同じくスカンジナビア航空の国内線で世界最北端の大学がある街・トロムソを経由し、ノルウェーの北、北極海に浮かぶスヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島にあるロングイヤービンという小さな町にやって来た。 北緯78度、東経15度に位置する人口2000人ほどの町で、ここまではスカンジナビア航空が定期便を運行している。
ロングイヤービンから10人乗り程度のセスナ機をチャーターし、私たちは目的地であるニーオルスンを目指していた。 私たち、というのは他の研究者や大学院生たちあわせて5名のことである。 ニーオルスンはロングイヤービンから北西に約110km、同じスピッツベルゲン島にある北緯79度、東経12度の国際研究者村だ。 これからちょうど1か月のあいだ、植物の調査をするためにやって来たのだ。
私はセスナ機の窓ガラスに顔を押しつけ、北極海に浮かぶその島を見下ろしていた。 いくつの山と氷河を越えてきただろうか。 斜めから差し込む眩しい太陽が極北の大地に遅い夏の訪れを告げていた。 眼下に広がるその光景が10年前に見た光景とオーバーラップし、私はすっかりタイムスリップしたかのような気分になっていた。
10年前、21歳だった私は大学を休学し、真冬のアラスカへ旅をした。 こどものころからずっと憧れつづけていた場所だった。 フェアバンクスから小さなセスナ機に乗り、今日と同じように、私は窓ガラスにひたすら顔を押しつけていた。 窓の向こう、雲の切れ間に広がるのは、恐ろしいほどに険しく切り立った山々と、雪と氷が地平線まで果てしなく続く世界。 時折、カリブーが真っ白になったツンドラを走っている姿が小さく小さく見える。 極夜期手前のぼんやりとしたピンク色の光がやわらかく世界を染め上げていた。
突如、目の前に雲を大きく突き抜けてひときわ神々しくそびえ立つ山が迫ってきた。 マッキンリーだった。 それはもはや、白い色とは呼べないほどに透き通った光を放っていた。
すべてが圧倒的だった。 そこは私がそれまで生きてきた日常とあまりにもはるか遠くかけ離れていた。 そして、そんな気の遠くなるような光景すべてに釘づけになり、そこから数年間、私の心はまるで時が止まったかのようになってしまった。 どう表現していいのかわからないまま、時間だけが過ぎていった。
そのとき出会った風景は、いつまでも私の心の中に蓄積したまま消えることはなかった。 それどころかどんどん大きくなり、どんどん光を放っていき、ついには私の人生を大きく変えてしまった。 アラスカで見た風景によって、大きな自然、遠い自然、凄まじい自然、そんな自然に何らかの形でかかわって生きていくことを私は選択したのである。
人生の中で出会った、たかが一つの風景に過ぎないのかもしれない。 が、それは私の生き方そのものを変えてしまう力を持っていた。 決して単に美しいというわけではない。 とにかく圧倒的な世界の広がりと、生きていることの脆さと不思議さ、気の遠くなるような時間の流れ、それ自身のために存在する世界、理由や意味というものを超えた世界、そんなものを強く見せつけられたような気がした。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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