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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《田邊優貴子》 =74=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 旅をする本の物語 = 3/3 = ◇◆

  その後、少しして正式に南極行きが決まった。 嬉しさの反面、拭いきれないモヤモヤ感が残った。 が、そんなことを気にしている場合ではなかった。 とにかく、南極へ行く、それだけだと自分に言い聞かせた。 しかし、ふと思う。果たして私は何をしたかったのだろう。

 あらめてじっくり思い出してみることにした、南極に行くことしか考えていなかったころ、私は何を思っていたのか。 南極にはどんな世界が存在しているのだろう。 どんな音、どんな色、どんな光、どんな風、どんな匂い。 人間が決して根づくことができなかった世界はどんなものなのか。 生命の気配は本当にないのか。

どんな音が聞こえるか、ひとつひとつ音を数えてみよう。 どんな匂いがするか、ゆっくり空気を吸い込んでみよう。 私は何を思うのだろう、何を感じ、見つけるのだろう。 なぜ自分がこの世界で生まれて生きているのか、もしかしたらほんの少しはわかるのかもしれない。

  目をつぶると、どんどん思いが溢れ出て、次々と鮮明に浮かんで止まらなくなった。 このとき、一番大切なことを、私はやっと取り戻したような気がした。 見えない大きな力、見えない誰かへの不信など、どうでもよかった。 心の中がスーッとし、静まり返っていった。 こんな静かな心はなんだか久しぶりで、自分の中心にある大事なものが、またこれでぐんと強くなったように感じていた。

 そして、私は南極へ旅立ち、いくつもの心震える瞬間に遭遇した。 いくつもの驚きがあった。 刺すような風を感じながら、荒々しい剥きだしの岩肌の大地を毎日のように歩いた。 水晶のように透き通ったいくつもの湖にボートを漕ぎだし、そのたびに心奪われた。 白夜の美しい薄紫色の空、そこにできる地球の影。 頭上に輝く南十字星と青白い炎のように揺れるオーロラ。 いくつもの信じられない光景を見上げた。 3か月という時間があっという間に経ち、南極大陸をあとにし、ついに帰るときがやってきた。

 しかし、密かにあたため続けていた『旅をする本』を昭和基地に置いてくるという計画…………ちょうど帰るころ、私はすっかり忘れてしまっていたのである。 あの本は、確かに南極大陸の旅をしたのだが、そのまま船に乗り、南極海を航海して、私と一緒に再び東京へ舞い戻ってきてしまったのだ。 仕方がない、もう一回一緒に南極へ旅に出よう。そして、その時は絶対に置いてこよう。そう誓った。 

  “⑥田邊優貴子 2007年12月南極・昭和基地→2008年03月東京→” ついに、最後のページに書き加えた。 最後には矢印。 もう1回南極へ行くためのしるしだった。 そして2年後。 私は2度目の南極へ行くことになった。 またいつもの本棚から、前よりももっとボロボロになったその本を取りだした。 

「ついにもう一回行けるよ。 今度は一体どんな心震えることに出会えるかな」 話しかけ、やぶれて取れそうになっていた表紙をセロハンテープで補強した。

 2010年2月、南極大陸上での野外調査が終わり、昭和基地に本を置くときがやって来た。 まるで親友のような存在になっていたその本と別れを済ませ、忘れずに無事、置いてくるはずだった。 しかし、その本はやはりその後も昭和基地で暮らすことはなかった。  なぜなら、そのとき一緒に南極へ行った友人に、この『旅をする本』の話をしたところ、是非譲ってくれないかと頼まれたからだ。

 そういうわけで、『旅をする本』は二度も南極を旅したのちに、友人の手に渡っていったのだった。 帰国後、友人からサハリンに連れて行ったという話を聞いてはいたが、その後の消息を知ることもなく、あの本のことは私の記憶の片隅に置かれ、ほとんど思い出すこともなくなっていった。 きっと、またこの世界のどこかを旅しているに違いない、そう思っていた。 

 「単独無補給徒歩で北極点を目指す若者と土曜日に会うから、あの本を彼に渡そうと思う」 つまりそれは、私がその友人にあげた『旅をする本』のことだった。 もし、一回目の南極で、あのとき忘れずに昭和基地に置いてきたとしたら、あの本は北極点へ行くことなどなかったのかもしれない。 もし、友人Tがバンコクの古本屋に立ち寄らなければ、あの本は南極に行くことなどなかったのかもしれない。 すべては無数の偶然がただ連なっているだけのことに過ぎない。 けれど、確実にあの本はあのとき私のもとへやって来た。 そして一緒に南極大陸を旅し、さらには北極点を目指し始めたのである。
 友人からのEメールを見ながら、私はあの本が私のもとへ来てからのことを思い出していた。 

 北極点への冒険…………想像すると胸が高鳴った。 あの本はどんな旅をするのだろうか。 きっと、想像をはるかに超えた壮大な旅になる。 そしてまた、いくつもの物語がそこから生まれるのだろう。 もしも北極点まで行けたなら、『旅をする本』は本当にすごい本になる。 

 ふっと風が走り抜けていった。 気の遠くなるような真っ白な広がりのなか、若い冒険家の足音、息づかいが聞こえるような気がした。

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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