○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子= ○
= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =
◇◆ 旅をする本の物語 = 2/3 = ◇◆
東京で暮らし始めて一年後、ついにあの本を本当の旅に連れだすときがやってきた。 南極へ行けることになったのである。
私はその本をいつも本棚の目の届くところに置いていたが、旅をさせることはしなかった。 友人にはアラスカにでも連れて行ってと言われていたので、この『旅をする本』にふさわしい旅をさせたかった。
私のもとへやって来て2年目。 アラスカではなかったが、南極はこの本にとって絶対にすてきな旅になる、私はそう確信して、初めての南極へ連れて行くことにした。
南極を旅させたら、そのまま昭和基地の本棚にそっと置いてこよう。 この本にはしばらく南極で暮らしてもらおう。 そして何年後かに誰かの手で南極から持ちだされ、またどこか一緒に旅をさせてもらえれば、なんて素晴らしいだろう……すっかり南極へ行ったような気分でそんなことを想像し、胸が熱くなった。 こうやって、私は心の中で密かな計画を立てたのだった。
が、その後、予想もしないことが起きた。
私は南極行きへ向けて約一年をかけて準備をし、とにかくバタバタと慌ただしい日常を東京で過ごしていた。 はじめのころ、私は南極というあまりに未知すぎる世界への憧れ、想像もできない、見たことも感じたこともない世界へ行ってみたいという想いに心を占領されていた。 そしてただまっすぐに、脇目も振らず、調査に向けた訓練、研究計画の具体化など、あまりにも多すぎる準備に取り組んでいた。
出発まであと3か月を切った、9月に入ったばかりの暑い日。 私は大学の研究室の教員に呼びだされた。
「……あなたは、南極へ行くことができなくなった」
私には、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。 まるで、時が止まってしまったようだった。私の頭の中は真っ白で、何も浮かんでこない。 ただただ、その言葉を理解しようとしたが、無音で微動だにしない世界に私は引きずりこまれそうだった。
「え、どういう意味ですか……」
必死に口を動かし、出てきた言葉だった。 やっと世界の音が聞こえ始め、夏の眩しい太陽の中、窓の外ではセミの声がうるさく鳴り響いていた。
説明によれば、私は血液検査で引っかかったということだった。
でも、そんなこと納得できない。 自分でも身体検査結果の控えは見ていたが、はっきり言って、血液検査の項目にたいした異常などないことを知っていたのだ。 もしあるとすれば、花粉やハウスダストなどへのアレルギー、もしくは、既往歴で小児ぜんそくがあったことくらいだろうが、そんなことは大した問題ではないに違いなかった。 しかも、この話を聞くより前に何の説明もなければ、再検査といったものもなかったのだ。 あまりにも突然過ぎた。どう考えても腑に落ちないことだらけだった。
ただ南極へ行くことだけを考えていた私は、諦められるはずもなく、しばらくの間、なんとかならないものかと先生に取りすがり、その場であがいた。 しかし、私をずっと応援してくれ、南極への準備作業にともに取り組んできた信頼すべき目の前の人物は、辛く神妙な面持ちで、ひどく落胆していた。 その表情から、もうこれは覆ることのない決定事項であることを私は知ってしまった。
一年ものあいだ、ひたすらに南極へ向けて準備に取り組んできた。 もう目の前、というところだった。 部屋を出てから、私はどうしたらいいのかわからない気持ちでそれまでのことを思い起こし、現実というものを理解するにつれて涙がこみ上げてきた。 とにかくやりきれない思いで胸が張り裂けそうだったことは覚えているが、その日、その後の記憶がまったくない。
翌日は台風だった。 一晩中まったく眠れず、心に穴が開いたまま研究室を休んだ。 嵐の音を聞きながら、家の中でどうしたらいいのかを考えていた。 けれど、何も答えは見つからない。
今年行けない、ということは大きな問題ではなかった。 そこに隠されている意味はそんな一回限りのことではなかった。ここでこの結果を受け入れてしまえば、私は一生、日本の観測隊として南極へは行けないのだ。
外国の基地へ行って研究すればいいよ、などという人もいたが、なんの気休めにもならないどころか、厳然とある矛盾に大きな疑問とやるせなさを感じた。 なぜ外国の南極基地には行けるのに、日本の基地には行けないという事態が起きるのか、と。
台風が過ぎ去ると、澄んだ空と空気、夏の終わりの日差しが眩しかった。 ツクツクボウシが鳴いている。 やりきれない、悔しい、先が見えない、そんな気持ちが続いていた。 けれど、今は歯を食いしばるしかない。とにかくできることはすべてしよう、そうするしかない。 あきらめてはいけない。
それからというもの、希望の糸口を探して私は動き、もがきまわった。 しかし、結果はいっこうに覆る気配はなかった。もはやほぼ正式に近い決定事項のようだった。 私は自分に見えないところに存在する何かに不信感を抱き、大げさかもしれないが絶望を感じていた。
ところがその後、事態は急展開を見せる。 2週間が過ぎたころだった。 私はまた呼び出され、すぐに再検査を受けるように言われた。 突然、南極行きの光が差し始めたのである。
詳しいことは何も聞かされないまま、私は緊張しながら病院へ行き、検査を受けた。「何の問題もないですよ」と医者から告げられ、その日の検査はあっさり終わった。 どうも腑に落ちない。どう考えても形ばかりの再検査であることはあきらかだった。
せっかく南極行きの希望が見え始めたというのに、それからしばらく、なぜか虚ろな気持ちだった。 些細なことでも大きく心が動き、浮き沈みを繰り返す、そんなことが続いた。 私は疑心暗鬼になって、さまざまなことへの不信感がずっと消えなかった。 そして、自分のそんな状態がとにかく嫌だった。
前節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/5ac252e9b17d7a05295724d9967dd3ef
後節へ移行 : http://blog.goo._not-yet////
----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------
【壺公夢想;如水総覧】 :http://thubokou.wordpress.com
【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/
【疑心暗鬼;如水創作】 :http://bogoda.jugem.jp/
下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行
================================================
・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
================================================