☆ イギリスに60年以上も君臨していたお婆さんが亡くなり、バッキンガムで肩身の狭い思いをしていた愛煙家が狂喜乱舞(1901年)。 ☆ 浜田国松と寺内寿一が、前日からの腹を割った口論の果てに時の総理大臣を内閣ごと血祭りに挙げる最期を遂げる(1937年)。ところで、『ラストサムライ』ほどオモシロイ映画はないよね、ハハ。 ☆ 8人もの女性をア〜ン♥♥して血祭りに挙げた画家のコスプレしたおっさんが13階段を上って彼女たちの許へお詫び行脚に出かける(1976年)。
本日記載附録(ブログ)
アフリカ大陸で誕生した私たち現生人類は、約5万年前頃までにはアジアやオセアニアの島嶼域への移住を開始した。
もともと陸の生き物である人類はどのように海洋世界に適応し拡散したのか――。
海を通じて世界を見渡し、人類の島嶼適応や移住といったテーマを軸とする
人類史的な視座、巨視的な研究者/小野林太郎(03)
【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
第1回 ヒト、海洋に出会う =3/3=
オーストラロ・メラネシアンは、ウォーラシアの島々にも住んでいたはずだが、今のところ石器などの遺物だけで2万年以上前にさかのぼる人骨は出ていない。しかし、なんと沖縄の港川で出てきた2万年前の人骨(港川人)が、このオーストラロ・メラネシアンに似ており、彼らは数万年前、とても活発に移動していた人たちだと思われる。出アフリカしたホモ・サピエンスが、早い時期にアジアに辿り着き、ウォーラシアを渡っただけでなく、沖縄まで到達していたということなのだ。
では、それに続く、第2幕の移住とは。
「新石器時代、今から4000年前から3500年前ぐらいですけど、その頃にオーストロネシア語族といわれる、現在オセアニアのほぼ全域で話されている言語の元になっているような言葉を持った集団が、南中国から台湾を経由して、さらに東南アジアのフィリピンですとかインドネシアを通ってオセアニアのほうに行ったのではないかというふうに言われていますね」
第2の波であるオーストロネシア語族の移住は、先住民であるオーストラロ・メラネシアンがいる場所と重なりつつ進んだので(オーストなんたらなので、非常にややこしい。ぼくはむしろ後半を見て識別している)、一部、波に飲まれて上書きされてしまうような地域もあったそうだ。ただし、全く同じ場所を上書きするような動きをしていたわけではない。第2幕の移住者は、先住者のいるオーストラリアやニューギニア本島にはあまり入っていかなかった反面、より大きな海洋世界に挑んだ人たちでもある。
「1回目の波では、いわゆるメラネシアのソロモン諸島までしか到達しませんでした。別の言葉ではニア(近い)オセアニアといわれるところまでです。しかし第2幕ではリモート(遠い)オセアニアと言われる地域、いわゆるミクロネシアとフィジーやヴァヌアツ等のメラネシアの離島域からポリネシアまで進出しました。ポリネシアとかミクロネシアといった地域は、3500~4000年前の新石器時代のときの移住で初めて人が到達したんです」
ニアオセアニアとリモートオセアニア。
ニアはオーストラリア大陸やニューギニアやメラネシアのことで、旧石器時代の1度目の移住で到達できたところ。リモートは文字通り遠い大洋に散らばった島々で、サモアやトンガやフィジーなどわりと近めのところから、さらに遠くマルケサス諸島やクック諸島やイースター島やハワイ諸島やニュージーランドまで壮大な拡散のドラマがある。最後に残ったイーター島やニュージーランドに移住が完了したのは1000年前から800年前のことで、つまりとっくに日本では歴史時代だ。
話が大きくなったけれど、人類が海に適応する場となり、数万年前と数千年前、2度のオセアニア移住の回廊となったかもしれないのが、小野さんの中心的な調査地ウォーラシアの多島海なのである。
第2回 人は約3万5000年前から100キロの海を渡っていた =1/2=
東海大学海洋学部の小野林太郎准教授が中心的なフィールドにしている「ウォーラシア」の多島海は、2度の人類拡散の回廊のような役割を果たしたかもしれない海域だ。
人類拡散というとよく、アフリカを出てユーラシア大陸を渡り、南北アメリカを縦断してパタゴニアまで到達して完成! というイメージを抱く。しかし、実は「海のグレートジャーニー」というべきルートが存在していたことも、海に親しい島国に住む我々は、意識しておきたいではないか! と力こぶができてしまう。
オセアニアへは、人類史上2回、核となる大きな移住があったというのが前回のお話。1度目はオーストラリアとニューギニア、そしてメラネシア。いわゆるニアオセアニアまで。2度目ははるか太平洋をわたり点在するポリネシアの島々に移住していった。この時、なぜ拡散領域に差がでたのだろうか。
「航海術が発達したことはもちろんなんですが、もうひとつ大事なのは農耕だと考えられています。1回目の波で移住された島よりも先に行こうとすると、面積が小さいんです。島嶼面積が小さいものですから、やっぱり島あたりの資源っていうのが非常に限られるわけで、そういったところに例えば狩猟採集民が行ってやっていけるかどうかっていう話があります。で、2回目の波の人たちは新石器時代の農耕が出た以降の時代です。基本的に農耕の知識や技術を持っていて、離島の非常に資源の限られている島々にも移住しても継続的に居住できたんじゃないかというふうに、一般的には考えられています」
こういった一連の流れの中で、小野さんの主たるフィールドであるウォーラシア海域の島々にはどんな特徴があるのだろう。
「第1の波にしても、第2の波にしても、ここを通って人が行ってるってことは間違いないので、通過点で一体どういうことが起きたのか。特にオセアニア域は、一言で言うならやっぱり海と島の世界なんですね。オーストラリアは大陸なので印象が違うかもしれませんけど、他のところは特にリモートオセアニアとかを含めて、海との接点が非常に多い。地球儀を見渡しても、一番、海に特化しないといけない地域です。そこに、もともとアフリカから来た大陸出身の我々人類がやってきて、アフリカから見れば一番かけ離れた環境、海洋環境にどうやって適応していったのか。人類史的な視点としては、いかにホモ・サピエンスが、海を渡る技術や島で生き抜く知恵を得たり、魚や貝などの海産物の利用法の発展させたり、海洋適応していったか。そういうのをドラマティックに示してくれる絶好のフィールドなんですよ」
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
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