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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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海を通じて世界を見渡視座/小野林太郎(02/nx)_学究達=636

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年01月21日<ⰧⰊⰧ

☆ のど自慢で腕を鳴らす一少女が世に生を享け(1980年)、成長して声優ヲタクファンから崇めたてられ紅白歌合戦に出場するまでになる。 ☆ ウサーマ・ビン=ラーディンがアメリカに向かう飛行機を火の玉にしてしまうパフォーマンスを1995年のこの日にやろうとするも、パフォーマーが相次いでお縄になったためニューヨークの摩天楼などを舞台とするカミカゼに変更することに。 ☆ 宮崎県でそのまんま東によるワンマンショーが始まり(2007年)、以後4年間にわたるロングランを記録。

本日記載附録(ブログ)

アフリカ大陸で誕生した私たち現生人類は、約5万年前頃までにはアジアやオセアニアの島嶼域への移住を開始した。

もともと陸の生き物である人類はどのように海洋世界に適応し拡散したのか――。

海を通じて世界を見渡し、人類の島嶼適応や移住といったテーマを軸とする

 人類史的な視座、巨視的な研究者/小野林太郎(02) 

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第1回  ヒト、海洋に出会う  =2/3=

= 参考資料 =

サフルランド/サフル大陸(サフルたいりく)とは、ニューギニアオーストラリアタスマニア島など今のオセアニアを形成している国をカバーする大陸である。

現在の大陸棚が示す範囲が更新世の氷期に1つの陸地として地表に現れていた。この大陸棚をサフル大陸棚と呼ぶ。サフルという言葉は最初17世紀のオランダの地図に見られる。1845年にサフル大陸棚スンダ大陸棚の概念が提唱され、1919年にモレングラーフとウェーバーが命名した。1970年代に考古学者はオーストララシアという言葉を使っていたが、1975年の総会でサフルを大陸棚だけでなく大陸を指すようになった。

サフル大陸の誕生

現在のアフリカ大陸南アメリカ大陸インド亜大陸南極大陸オーストラリア大陸などを含む超大陸先カンブリア時代末期の約6億年前に誕生した。その後、ゴンドワナパンゲアなど超大陸の分裂・形成があり、現在のような大陸になっていった。4千万年前にはオーストラリアとニューギニアは分離していた。

ユーラシア大陸氷期ベーリング地峡の形成でアメリカ大陸と繋がっていたので、氷期にはアフロ・ユーラシア・アメリカ、サフル、南極の三大陸があった。そして約7万年前から1万年前、直近の氷期で、海水面が低くなり、オーストラリア大陸とニューギニア周辺の大陸棚が一体化して再びサフル大陸が陸続きの亜大陸となって復活した。人類がサフル大陸に到達するのはこの時代である。

人類の進出

人類がサフル大陸に進出したのは、最終氷期にあたる紀元前6万~5万年の旧石器時代である。そのため、当時は海面が現在より80メートルも低かったとされ、大陸が形成できた。しかし、それでもサフル大陸に最も近い現在の東南アジアとなるスンダランドからは80キロメートルの距離があり、意図的な航海だったことが予測されている。この時代の人間は簡単な石器しか作れなかったため、サフル大陸に渡った人類の痕跡は、石器類の人工遺物、埋葬された人骨などである。最も古い人類の痕跡は北部、東南部から発見されており、年代は約6万年前なので、上陸した地からかなり遠い東南部から報告されているということは、かなり速いスピードで人類がサフル大陸に進出して行った事が分かる。また、オーストラリアの古い遺跡が、サフルの海岸沿いに位置していることから、海岸沿いに人類が進出したものと思われる。

人類の特徴

移り住んだ人類の特徴は、オーストラリア東南部からの出土人骨から解析されており、大きく分けて2タイプある。1つ目は頑強な体型で、ウィンランド湖コウ沼遺跡コフナクーボル遺跡などから、1万5千年前から5千年前にかけて出土しているタイプである。2つ目は華奢な体型で、明らかに新人類(現代型ホモ・サピエンス)に属していると思われ、6万2千年前とかなり古いタイプである。このことから、サフル大陸に移住してきたのは新人類で、そこから頑強な体型の人々が派生したという一元説が現在の通説となっている。

生活形態は旧石器時代のままで、簡単な石器しか作れなかった。そのため、狩猟や採集を主とする生活を送っていた。また、海洋資源の利用も3万年から2万年前には行われていたとされる。3万年前には、中央部の乾燥地域にも進出した。ただし、当時は冷涼・湿潤な地域で、大変暮らしやすい地域だった。

また、サフル大陸からニューギニア北東沖の島国、ビスマーク諸島ソロモン諸島などへ旧石器人類はどんどん拡散していった。

第1回 ヒト、海洋に出会う (2/3)

 アフリカから出た人類がはじめて本格的に海と多数の島からなる環境に向き合ったのがここウォーラシアだと言われる。地続きだった土地はおしまいだけれど、その先にはたくさんの島々がある。さいわい赤道に近く海はそれほど冷たくない。こんな環境はたしかに、アフリカから出てきた人類にとって、はじめてだったかも知れず、人類は海を渡る移住のための「航海」も経験することになった。海洋適応として世界でも最初期の事例だ。

「この地域の人類の移住というのは、歴史上2回、核となる大きな波があると考えています。もちろん人間だから行ったり来たりしているんですが、考古学的にも動きが分かるものとしては2回ですね。最初の動きは、4万年とか5万年前、更新世後期っていわれる、いわゆる最終氷期の時代の動きで、いきなりオセアニアまで行っています。同じ更新世の間に、大体3万年ぐらい前までですけど、ソロモンのあたりとか、ウォーラシア海域内の離島部にも移住した痕跡が出てきていて、こういうのを含めて第1幕の移住としています」

 氷期の時代、海面が下がった時期にウォーラシア海域を渡り、ニューギニアやオーストラリア(つまりオセアニア)や、その通り道であるウォーラシア海域の島々に住み着いた人たちがいた。この時に来た人たちはどんな特徴を持った人たちだったのか。

「オーストラリアなんかで幾つか人骨が出てるんですけど、その形態学的な分析でいくと、いわゆるオーストラロ・メラネシアンっていわれる人たちです。今も暮らしてるアボリジニの人たちですとか、メラネシアの人たちの祖先ですね。髪の毛がチリチリで、結構色が黒い人たちで、背がやや小さかったりするんですけど、そういう人たちの頭蓋骨に比較的近いというふうに言われてるので」

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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森のなかえ

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