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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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海を通じて世界を見渡視座/小野林太郎(01/nx)_学究達=635

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年01月20日<ⰧⰊⰧ

☆ 自分とこの商品を勝手に廃棄したと清朝に言い掛かりをつけたイギリスが、香港に乗り込み(1841年)以後158年にわたって居座り続ける。 ☆ 国鉄の小荷物や郵便小包・日本通運に対して、黒猫が家から家へ小荷物をお届けするサービスが新規参入(1976年)。 ☆ バーモント州でピーナッツ農場やってるおっさんがホワイトハウスの主となり、以後4年間で素人に政治を任せるとどれだけ危ういかをアメリカ人が学習することに(1979年)。しかしその学習効果は長続きせず、2017年には性懲りも無く不動産屋のボンボンを大統領に当選させてしまった。

本日記載附録(ブログ)

アフリカ大陸で誕生した私たち現生人類は、約5万年前頃までにはアジアやオセアニアの島嶼域への移住を開始した。 

もともと陸の生き物である人類はどのように海洋世界に適応し拡散したのか――。

海を通じて世界を見渡し、人類の島嶼適応や移住といったテーマを軸とする

 人類史的な視座、巨視的な研究者/小野林太郎(01) 

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第1回  ヒト、海洋に出会う  =1/3= 

 東海大学海洋学部のキャンパスは、静岡市清水区にある。海に近い「潮の香りがする」立地で、学部付属の水族館(海洋科学博物館)は、展示も繁殖飼育研究も、評価が高い。近隣都県の人は訪ねたことがあるかもしれない。海にも人にも開かれた印象のある研究機関である。

 その中に、海洋文明学科というまさに「海と人」の関係を考える学科がある。小野林太郎准教授は「海と人」の関係について人類史を遡りつつ考える海洋考古学の専門家だ。

 小野林太郎さんがかかわる数多いフィールド中で、研究の拠点となっているのは東南アジア・オセアニア。これまで数多くの調査を主宰したり、参加してきた。その中でも、特にインドネシアの東部の島々や東ティモールの遺跡を分厚く調査・研究してきた。

 貝殻やら、魚の骨やら、研究に関係しているであろう物がさりげなく置いてある研究室で、お話を伺った。

 まず、ざっくり言って、小野さんの研究は何をしているのだろう。具体的な細部はのちに伺うとして、総じて「どんな研究?」という質問。

「ヒトにとって、海って決して、楽な環境ではないんです。もともと、陸の生き物で、ヒトが生まれたアフリカの環境もサバンナや森といったところだと言われています。それが、アフリカを出て、本格的に海洋世界に出会って、どうやって海の環境に適応していったか、というのが1つ」

 日本に生まれ育つと、実際に海が間近にあったり、魚介類をたくさん食べたり、とにかく寿司は美味いし、なにかと海に近しい生活をしている。しかし、ひとたび生活環境として見た場合、海というのが大変厳しい環境だというのは間違いない。漁師さんも、「板子一枚下は地獄」などと言うではないか。ましてや、海と縁がなかった我々の祖先が、はじめて海と出会った時、どのように接していったのか。興味深い。

「もう1つは、海の世界での人類の移動です。例えば、南太平洋の島々(リモートオセアニア)の中でもアジアから最も遠い東部に位置するポリネシアは、人類にとって最後のフロンティアで、ニュージーランドやイースター島への入植が完了するのはわずか800~1000年前頃とも言われています。どうやってヒトは、海洋世界に広がり、また、海を行き来しながらそれぞれの生活を、歴史を紡いでいったのだろうという人類史的な興味でもあるのです」

 人類が海に適応するプロセス。さらに海洋世界を人類はどう拡散していったのかという人類史的な興味。これらを、トータルに理解することが小野林太郎さんの目標のようだ。海を通じて世界を見渡し、扱う年代にしても、地理的な広さにしても、非常にスケールの大きな研究なのである。

 小野さんの論文に掲載された地図を見つつ、まずは位置確認。

インドシナ半島からスマトラ島、ジャワ島を経て、さらに東にバリ島やロンボク島、さらにさらに行けば巨大なニューギニア島やソロモン諸島がある。その「間」が、小野さんが拠点としているフィールドだ。南側を見れば、すぐにオーストラリア大陸であることも印象的な海域である。

 実はこのあたりは、小野さんが関心を持つ「海への適応」「人類の移動」の両方のテーマについて、地理的にも歴史的にも特別な場所だ。

「4万年とか5万年前の最終氷期の時代、海が退いて、オーストラリアとニューギニア島が合体したサフルランドという大陸になっていました。一方で、現在のベトナムやカンボジアなどがあるインドシナ半島からインドネシアのスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ(あるいはカリマンタン)島あたりまでがぜんぶ地続きになってまして、この陸地のことをスンダランドといいます。そんな時期に、人類が初めて海をわたってサフルランドに入いった。オーストラリア、ニューギニア、つまり、はじめて人類がオセアニアに到達し、移住した時期だと言われています。そのときに渡らなければならなかったのが、ウォーラシア海域の海です。今のインドネシア東部の島々や東ティモールのあたりですが、この海域は氷期の時代も一貫して海と島からなる多島海でした。私が調査してきた遺跡は、移住の通り道になってきたこのウォーラシア海域の島が多いのです」

= 参考資料 =

スンダランド/スンダランド(Sundaland)とは、現在タイの中央を流れるチャオプラヤー川氷期に形成した広大な沖積平野の呼称。

スンダランドと想定されている範囲は、現在ではタイランド湾から南シナ海へかけての海底に没しており、マレー半島東岸からインドシナ半島に接する大陸棚がそれに当たる。氷期に、海面が100メートル程度低くなり広大な平野であった。最近では、紀元前70000年頃から紀元前14000年頃にかけてのヴュルム氷期には陸地であった。紀元前12000年頃から紀元前4000年にかけて約8000年間にわたる海面上昇により海底に没した。オセアニアにもオーストラリアとニューギニアの間に海面下にしずんだ平野がありサフルランドと呼ばれている。

モンゴロイドの南方起源説によると広大なスンダランドはモンゴロイドの故郷とする説がある。それによると「スンダランドに住んでいた現生人類が紀元前50000年頃から一部が北上しモンゴルシベリアにまで広がり、徐々に寒さに適応して新モンゴロイドになり、更に彼らの一部はシベリアから陸続きになっていたベーリング海峡を越え、アメリカ大陸に広がっていった」とする。これは、古モンゴロイドとされる縄文人が、新モンゴロイド優性の東アジアの他集団と異なり、「スンダランド型」の歯列を持つものが多いという特徴があるためである。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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森のなかえ

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