☆ 火星人がアメリカを襲撃したぞ!!って迫真の演技で演じてみたら、120万人が右へ左への大騒ぎになったでござる(1938年=オーソン・ウェルズ演出の『宇宙戦争』)。 ☆ ニキータ・フルシチョフの肝煎りで超特大サイズの水爆による花火大会が行われたが、これ以上やり過ぎると危険なので1回切りのイベントで終わる(1961年=ツァーリ・ボンバ)。 ☆ ハワイにいた海兵隊の一人が、ハワイでやられてる水泳大会と自転車レース・マラソンで全部優勝すれば最強じゃね?ってぴーなことを口走ったことから、トライアスロンが生まれることに(1977年)。
本日記載附録(ブログ)
日本にもゾウやサイなど、アフリカ並みの巨大野生動物が暮らしていた
地質学的には「少し前」までの話である
国立科学博物館で開かた特別展「太古の哺乳類展」
この企画を担当したのが冨田幸光地学研究部部長
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
冨田幸光地学研究部部長(10/mn)
◇◆第5回 日本の巨獣はなぜ消えた? =1/3= ◆◇
国立科学博物館の2014年夏の特別展「太古の哺乳類展」は、日本で発掘された絶滅哺乳類が一堂に会する希有な機会だ。それにしても、本当にかつての日本にはいろいろな動物がいたものだ。
化石記録があるかぎり集めてあるわけだから、たとえばゾウにしても数百万年前のミエゾウや、もっとまえのゴンフォテリウムもいて、進化の不思議に思いをいたす。
と同時に、なぜ、今、こういった動物たちがいなくなったのか、という疑問を抱く。2万年から3万年前までは、ナウマンゾウのような「超大物」の他にも、ヒョウやオオツノシカやヘラジカやバイソンなど、巨大動物相があった。北海道にはマンモスもいた。もちろん、今の日本列島にも、シカやツキノワグマやヒグマ(北海道)やキツネやタヌキやニホンザルもいるわけだが、この特別展で見るものに比べると小振りだ。かつての動物相と肩を並べられるのはせいぜいクマくらいだろうか。
では、なぜ?
どうして、かつての巨大哺乳類たちは消えてしまったのだろう。
「ええっと、これ、まずはアメリカの話からしてもいいですか」と冨田さんは前置きして、この手の話題でよく引き合いに出される南北アメリカから説き起こしてくださった。
「北アメリカと南アメリカでは、いろんなゾウもいたし、大きなラクダもいたし、ウマもいたし、オオナマケモノもいました。それらがほとんど、今から1万1000年前ぐらいにバタバタッていなくなるんです。それが我々哺乳類化石の世界では七不思議の1つになってまして」
有力な仮説は2つあるそうだ。
「1つは、最後の氷期が終わると急激にあったかくなりますから、その環境変化が問題だったのではないか、と。だけど、もし環境変化だとしたら、大型動物だけが絶滅するのはおかしいじゃないかと。というのは小型哺乳類、具体的にはネズミとかビーバーとかですが、ああいうちっちゃいやつがどれだけ減ったかっていうと、5%から10%ぐらいなんです。一方で、大型哺乳類は70%ぐらい絶滅してるんですよ。環境変化説は、これを説明しなきゃならない」
ここでいうパーセンテージは、種の数で計算している。北米の化石は非常に良く調べられているので、こういった数字を出して意味がある程度には信頼できるとされているそうだ。
「もう一つは、人が狩ったせいだ、という説ですね。オーストラリアでは、5万年前にアボリジニの祖先がやってきて4万5000年くらい前にバタバタッと大きな哺乳類がいなくなった。だから、やっぱり南北アメリカも人間のせいでしょっていう意識が強いんです。ただ、ネイティヴアメリカンの祖先がアジアからアラスカに渡ったのは、3万年ぐらい前。それは氷河時代の真っただ中なので、南に進めたのは、今から1万2000年ぐらい前なんです。南へ下ってきた人間がほんの少し来たからといって、1000年後の1万1000年前にすぐに狩り尽くすっていうことは不可能ではないかっていう疑問が出てきます」
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
【参考資料】 : 100年前の“史上最大級”の探検(3/3)
Ω・Ω 監修者が解説、特別展「化石ハンター展」の見どころ Ω・Ω
国立科学博物館名誉研究員の冨田幸光氏に語っていただきます
アンドリュース隊が発掘した哺乳類化石産地の一つであるプラティベロドン・クオリーは、半世紀も経つうちにどこだったかがわからなくなっていたが、それを現在の化石ハンターのひとりである王暁鳴(ワン・シャオミン)が1990年代に探し出して調査し直し、その学問的価値を高めた。これをきっかけにして、王暁鳴がアンドリュースに続く現代の探検の地に選んだのがチベット高原であった。
インド亜大陸は白亜紀前期(1億数千万年前)には南半球のマダガスカル近くに位置していたが、大陸移動によって北上し、今から5000万年前頃にアジア大陸に衝突した。インド亜大陸の北の部分はアジア大陸の下に潜り込み、衝突前には海の底にあった部分がヒマラヤ山脈となり、その北側に位置したアジアの広い範囲が上昇して広大なチベット高原ができたのである。
ヒマラヤは、北極、南極に次ぐ第三の極地とも言われ、その北側に広がるチベット高原は第三極圏と捉えることができる。インド亜大陸の衝突後、次第に高地化、寒冷化するチベットで、そこに生息していた哺乳類が寒冷環境に適応していき、氷河時代である更新世の到来とともにユーラシアの高緯度地域に放散した、というのが「アウト・オブ・チベット」説である。この説のきっかけになったのが、2007年に王暁鳴がチベット高原西部で発見したチベットケサイの頭骨化石であった。氷河時代末期頃のシベリア地方からは毛の長いケブカサイがよく知られているが、それより少し古い時代で、中国北部からもその祖先と思われる仲間が見つかっていた。そこへ、もっと南のチベットでもっと古い時代の化石が見つかったことから、「アウト・オブ・チベット」説のアイデアが浮かんだのである。
本展ではこの頭骨をもとにして、チベットケサイの全身骨格と実物大の生体モデルを世界で初めて復元し、かつ世界初公開している。その後、チベットケサイの他にも、チベットユキヒョウ、プロトオービス、チベットザンダギツネなどの化石がチベット高原から発見され、「アウト・オブ・チベット」説を支持している。本展では、これらの化石とそれに対応する現生の哺乳類を比較することによって、その証拠を示している。
アンドリュースを突き動かした原動力は、新しいことを知りたいという好奇心であった。彼に続いた世界の化石ハンターたちも、チベットを探検の地に選んだ王暁鳴も、同様な好奇心をもっていたに違いない。本展が、若い化石ハンターの新たな出現のきっかけになれば幸甚である。
おわり
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