☆ ギネス認定の記録であろう、ペルー中部でマグニチュード8.5の地震、約1万人が死亡(1746年)。 ☆ 船橋の競馬場にサラブレッドならぬオートバイが疾走(1950年)。これがオートレースの始まりだったりする。 ☆ 家庭用ビデオの規格としてUマチックが発表される(1969年)。だが、何時の間にかVHSとベータマックスの血で血を洗う戦争で忘れ去られてしまうことに。
本日記載附録(ブログ)
日本にもゾウやサイなど、アフリカ並みの巨大野生動物が暮らしていた
地質学的には「少し前」までの話である
国立科学博物館で開かた特別展「太古の哺乳類展」
この企画を担当したのが冨田幸光地学研究部部長
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
冨田幸光地学研究部部長(09/mn)
◇◆第4回 「原始的」ではなかったアマミノクロウサギ =2/2= ◆◇
なお、アマミノクロウサギについては、「原始的な特徴を残したウサギ」「ムカシウサギの仲間」といったことが語られる。ぼくが小学生の時に、学校で読んだ教科書か副読本にもそのような記述があったと記憶するし、今もウェブで検索すると痕跡がある。しかし、冨田さんによると、これは1960年前後に学問の世界では当たり前になっていた分類や系統関係が、日本ではアップデートされず、20世紀中ずっと残ってしまった結果らしい。「ムカシウサギ」というのは、すでに絶滅しているグループで、現生のものはすべて「ウサギ亜科」というのが、今の考え方だ。現生のウサギの中では、比較的古い方という言い方ならまだしも「ムカシウサギの仲間」は明確に間違いだそうだ。
冨田さんは、さらにウサギの系統関係について、決定的な研究をしている最中だ。
「系統関係を明らかにしようとすると、結局今生きてるウサギを全部調べないと駄目なので、じゃあ、やるか、と。7~8年ぐらい前から、時々、ロンドンの大英自然史博物館へ行って、現生のウサギ類の頭と顎をせっせと調べていたんです。で、それもついにおととし、データを取るのは終わったので、これから分析をしていくところです」
というわけで、冨田さんが中心になり、ウサギの系統関係が近い将来、より強固に確かめられたり、書き換えられる可能性がある。いわゆる系統解析という手法だ。
しかし、なぜ、ウサギ? 小型哺乳類の化石を専門に研究しつつ、ウサギに引き寄せられていったのには理由があるのだろうか。ウサギについて語る冨田さんが、とても楽しそうなのでつい聞いた。
「ウサギが面白いのは──そうですね、大体、繁殖するときはね、ものすごいガーッて増えるくせに、いったん何か状況が悪くなると一挙に絶滅するんですよね。そういう、変な繁殖パターンをするところですとか。あと、これ、人に言うと、『えーっ』と言われることがあるんですけど、今から800万年前以前のユーラシアには、全くウサギがいなかったんですよ。ナキウサギはいんたですが、ウサギは全くいなかった」
これは確かに意外だ。ウサギがいない世界! 唱歌の「ふるさと」で言及される「うさぎおいしかのやま」は、わりと最近のことなのだ。まあ、人類がユーラシアに到達した頃には、追うべきウサギはすでにあちこちに存在したのだろうが。
「2000万年くらい、相当昔までいくと、すっごい原始的なウサギがユーラシアにいたんですけど、いったんいなくなるんです。それが、800万年前になると、またユーラシアで一斉にウワーッと化石が見つかるんです。それはなぜかって、北アメリカにはその間もウサギがいて、そのうちのある一派がベーリング海峡を越えてアジアに入ってきた。さっきいった独特の繁殖の仕方で、一気にユーラシアに広がるんですよ」
今のウサギは新大陸起源? 一般に、旧大陸から新大陸へ渡った生き物は多く、逆は少ない印象がある。現生のウサギはそれに逆行して、新大陸で進化し、旧大陸に進出したのだろうか。化石証拠によっては、このあたりは、今後、ひっくり返ったり、「行ったり来たりしていた」ということにもある余地がありそうだ。
「これ、たかがウサギなんですけど、本当、面白いんですよ」
とやはり冨田さんの目が輝くのだった。
次回は“ 第5回 日本の巨獣はなぜ消えた? ”に続く・・・・・
【参考資料】 : 100年前の“史上最大級”の探検(2/3)
Ω・Ω 監修者が解説、特別展「化石ハンター展」の見どころ Ω・Ω
国立科学博物館名誉研究員の冨田幸光氏に語っていただきます
アンドリュースはこの人跡未踏の地を効率よく調査するために、普及し始めて間もない自動車で移動する本隊と、往路ではガソリンや食料などの物資を運び、復路では発掘した化石を町まで運ぶラクダによるキャラバンを組織し、特定の場所で合流して荷物を交換して調査を続けるという、ユニークな方法を取ったのである。年によってその規模は異なるが、最大で研究者本隊が40人、ラクダ隊は125頭を数えた。
このような方法で、1922年、23年、25年には主に現在のモンゴル側のゴビ砂漠を調査し、多数の全身骨格を含む大量のプロトケラトプス、恐竜の卵の並ぶ巣、オビラプトルやベロキラプトルなどの小型獣脚類恐竜などのほか、始新世という比較的古い時代の大型哺乳類であるアンドリューサルクスやエンボロテリウム、漸新世のパラケラテリウムなど、圧倒的な新発見を続けたのである。本展では、ほかにプシッタコサウルス、アーケオルニトミムス、バクトロサウルス、ピナコサウルスなどの恐竜も展示している。
そして1928年と1930年の調査では、中国側のゴビ砂漠で中新世というかなり新しい時代の哺乳類化石を大量に発掘した。この時に発掘した代表的な化石が、プラティベロドンという、下顎の前歯が四角いシャベルとそっくりな形をしたゾウのなかまである。しかし、社会情勢の悪化のために、1930年を最後に探検を断念せざるを得ず、人類の起源に迫ることは叶わなかった。余談ながら、その後、人類の起源はアフリカであったことが明らかになったことは、読者はすでにご存知であろう。
第二次大戦が終わるやいなや、アンドリュースに続けとばかりに、世界の恐竜ハンターが続々とゴビ砂漠に入った。1946年から入ったソ連隊をはじめ、1963年以降のポーランド隊、1987年以降のカナダ(中国側のゴビ砂漠)などによる共同調査である。これらの調査で明らかになった恐竜として、本展ではタルボサウルス、タラルルス、サウロロフス、プレノケファレ、コンコラプトル、シノルニトイデスなどを展示している。
さらに1990年以降のアメリカによる共同調査は、アンドリュース隊を送り出したアメリカ自然史博物館の研究者が、再びゴビ砂漠に戻って新たな研究を続けるという嬉しい話である。日本からも、1992年以降の林原自然科学博物館によるモンゴル側のゴビ砂漠の共同調査や、1995年から98年までは日本・中国・モンゴル三国による中国・モンゴル国境付近での共同調査などが行われ、それぞれに大きな成果を上げている。具体的には、卵泥棒の意味の名前を付けられたオビラプトルが、実は自分の卵を抱卵していたことを明らかにしたシチパチや、日本隊が中心になって明らかになった成果として、獣脚類のゴビベナトルやシノルニトミムスなどを展示している。
……つづく
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