ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年09月13日<ⰧⰊⰧ ◆ 乃木希典が明治天皇に殉じて、奥さんを道連れにセカンドインパクトを起こす(1912年)。 ◆ 千里の山から流れていた三波春夫の歌声がこの日を限りに千秋楽となる(1970年=大阪万博が閉幕)。 ◆ 毛沢東同志に取って代わろうとしたNo.2反革命分子の林彪が、家族・側近らとソ連に逃げようとするも途中ゴビ砂漠で墜落死、力尽きる(1971年)。
本日記載附録(ブログ)
日本からも200人以上が参加する素粒子物理研究の最前線
欧州原子核研究機構、通称CERN(セルン)、欧州21カ国の共同運営
ノーベル賞を受賞したヒッグス粒子発見の舞台である
スイスとフランスの国境地帯にあり、全周はなんと27キロ
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
CERN/セルン(07/mn)
◇◆第3回 そして、ヒッグス粒子発見の瞬間がやってきた =1/3= ◆◇
アメリカの大型超伝導加速器SSCは、1993年、トンネルを20%掘ったところで中止が決定した。その時点で、CERNでも新しい計画があり、それが現在実現しているLHC加速器だ。しかし、SSCよりも小さくエネルギーも低い。作ったとしてもエネルギーフロンティア実験としては物足りないということで、実は計画が「瀕死」の状態だったという。
「ノーベル物理学賞をとったカルロ・ルビアが非常にがんばっていて、エネルギーは3分の1でも、ルミノシティを10倍上げれば対抗できると。東西ドイツが1つになったり、欧州が政治的にも大変だった時期なので、人員削減など、いろいろ苦労があったようです」
実際、高いエネルギーを実現することが、素粒子物理実験、それも新粒子を探すような実験では本質的なところなのでそこのところはいかんともしがたい。しかし、総エネルギーで劣っても、狭い空間に押し込めば話は違ってくる。「ルミノシティ(衝突輝度)」は日常的な英語ならば「輝度」「明るさ」のような意味だが、素粒子実験の世界では、単位時間あたりどれだけ狭い断面積にたくさんの粒子を通過させられるか、言い換えれば、衝突頻度を意味し、これもまた重要だ。たくさん衝突させれば、その分、データの量が増えるわけだから。LHCはエネルギーでは負けても、ルミノシティで勝負、というロジックでかろうじて計画が生きのびていた。また、当時、逆風だったはずの政治的な不安定さも、CERN設立の精神からすると、順風として作用した可能性もある。
「CERNの設立は1954年で、この時期、第二次世界大戦で疲弊したヨーロッパから、科学者がアメリカに流出する状態だったそうです。加速器にしても、アメリカではすごい強大なものをつくり始めたんで、欧州の1国じゃもう対抗できなくなってCERNをつくったと。欧州の結束のため、平和的な意味もあったし、科学者をとどめておくために、やっぱり1つのターゲットが必要だったといいます」
欧州の結束、平和、科学者をとどめておくターゲット……。半世紀前の設立の経緯が、1990年代の欧州の不安定な政情と妙にシンクロするところがあり、LHC加速器の計画は規模縮小しながらも命脈を保っていた。そして、その結果、アメリカのSSC中止に伴う「物理難民」を救い、世界の知恵を結集させるターゲットにもなったわけだ。日本は、LHC加速器の建設時に、非メンバー国としては、いち早く貢献を表明しており、その後、アメリカ、ロシアなども続いたことから、LHC加速器での実験の国際化に大きく寄与したともいえる。
「私たち、アメリカのSSCが駄目になった2カ月後にみんなこっちに集まったんですよ。93年の12月です。アメリカでSSCやっていた連中と、私みたいな日本の機関に所属しながらSSCやっていた連中。その時、すでにLEP加速器の時代からここで研究していた東京大学の小林富雄教授(現・東京大学素粒子物理国際研究センター)のグループなどがATLAS実験のグループに入っていたので、私もそこに入りました。もともとはライバルだった関係の人たちと力を合わせることになったわけです。日本からもお金を出すといってもそう分散する訳にはいかなかったので。ATLASは、建設にかかった費用の7パーセントを日本が出しています」
やっとATLAS実験にたどりついた。前にも述べた通り、ATLASはLHC加速器にある主要な4つの検出器のうちのひとつだ。CMS検出器とともに、ヒッグス粒子の発見を成し遂げ、また、今後、さらなる新粒子の発見も期待されている。CMS検出器との関係は、新粒子の発見を目指すライバルでありつつ、互いに追試し合う補完的なものだ。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
【参考資料】 : ヒッグス粒子(1/3)
Ω・ ヒッグス粒子/ ヒッグス・ボソンは素粒子の一種 ・Ω
質量の起源を説明する理論であるヒッグス機構において存在が予想された素粒子であり、2011年以降にヒッグス粒子の存在が観測されたため、ヒッグス機構の正しさが示された。
概要
質量の起源を説明するため、1964年にエディンバラ大学のピーター・ウェア・ヒッグスは、自発的対称性の破れの考えに基づいた理論を提唱した。この理論はヒッグス機構と呼ばれる。
ヒッグス機構においては、ヒッグス場と呼ばれるスカラー場が導入され、それに対応するスカラー粒子も同時に導入される[注 1]。これをヒッグス粒子と呼ぶ。ヒッグス粒子はスピン0・電荷0 のボース粒子である。
ヒッグス機構を含む理論模型が現実に即しているかどうかを判定する上で、その模型に対応するヒッグス粒子が存在するかどうかの実験的検証が鍵となる。ヒッグス粒子という言葉は、広い意味ではヒッグス機構において現れる粒子のことであるが、特に標準模型(ワインバーグ=サラム理論)のヒッグス粒子を指して使われる場合が多い。標準模型においては、ウィークボソン(W±,Z)はヒッグス機構により質量を獲得しているとされており、クォークやレプトンもヒッグス場との相互作用を通して質量を得ているとされている。
ヒッグス機構
ヒッグス機構とは、ピーター・ヒッグスが1964年に提唱した、ゲージ対称性の自発的破れに関する理論である。この理論の下では、南部・ゴールドストーン粒子は物理的には現れず、その自由度はゲージ場の縦成分として吸収され、ゲージ場はベクトル粒子としてふるまうことになる。この理論は、質量をもつベクトル粒子を、きわめて基本的な対称性に基づいたゲージ場として解釈することを可能にする。つまり、ヒッグス機構は質量の起源について合理的な説明を与えることができる。
この理論では、「真空」と同じ量子数を持つスカラー粒子が現れる、とされるので、この仮説が正しいものだと証明するためには、このいわゆる「ヒッグス粒子」を実験的に見つけることが課題になる。
なお、似たようなメカニズムは、ブリュッセル自由大学のロベール・ブルー (Robert Brout) とフランソワ・アングレールも1964年に、ヒッグスとは独立に提唱していた。
・・・・・・・・続く
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https://youtu.be/S-bbIrhQAKs == CERN 核研究センターで、誰も説明できない奇妙なことが起きました ==
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