ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年06月23日<ⰧⰊⰧ ◆ ナポレオン・ボナパルト御一行がロシアへの遠足に出発、物見遊山の長期滞在、その後の地獄を誰もが予想できなかった(1812年)。 ◆ アメリカ軍が沖縄を解放した記念日。沖縄県民にとって最も大切な聖日で、毎年盛大に祝われる(1945年-沖縄戦の組織的抵抗が終結)。 ◆ 日米安全保障条約が、ゲバ棒やら火炎瓶が飛び交う中で大騒ぎした挙句、無事安穏に自然延長(1970年)。
本日記載附録(ブログ)
ロシアがウクライナに侵攻した背景とその行方を広厚に理解すべく、旧ソ連諸国紛争や「未承認国家」「ハイブリッド戦争」の著作
日本の政治学者=国際政治・比較政治学・コーカサス地域が研究テーマ
=黒海地域の国際関係・政治経済変動などが主な業績=
研究課題“ロシアのハイブリッド戦争とその影響”/‘14年12月以降 継続中
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
廣瀬陽子(21/nx)
◇◆ 第7回 「ウクライナ侵攻はない」と旧ソ連の専門家はなぜ主張したのか=3/5= ◆◇
ここから先は、すでに語ったことと、かなり重なってくる。修士論文(ベトナム戦争に旧ソ連がどう関わったについてのもの)を仕上げた後、さらに踏み込んだ研究をするために選んだのがアゼルバイジャンへの留学だった。未承認国家というロシアに都合よく利用されている現象も含めて、日本で入手できる情報は限定的なので、とにかく現地に行くしかない、と。
「未承認国家にしても、紛争にしても、いろいろあるわけですし、それぞれ性格が違っているので、どこを選ぶかは相当迷いました。それによって自分の最初の一歩は大きく変わってくるなと思いましたし。結果、アゼルバイジャンの首都バクーを拠点にして、その期間にジョージアにもアルメニアにも行きました。先に当時のバクーの印象が真っ黒だったという話をしましたけど、あの頃のジョージアも、厳寒期の首都トビリシですら、夜の数時間しか通電しないほど計画停電がひどく、かなり厳しい状況でした」
ちなみに、アゼルバイジャンで暮らし始めて、廣瀬さんは高校生の時の自分が熱中した、ゴルバチョフ元大統領の評判がきわめて悪いことを、今更ながら痛感することになる。これは、日本にいると「ペレストロイカを推し進めた功績はあるものの、結果的に国家運営に失敗しソ連の崩壊を招いた」という相反する評価が耳に入ってくると思うのだが、旧ソ連で聞くゴルバチョフ評は、最悪と言ってよいほどに悪いという。
「昔、ゴルバチョフが好きでした、とは一言も言えなくなりました。『最初はよかったけれど、後で国家運営に失敗した』ということではなくて、最初から評判悪いですし、それも特にアゼルバイジャンだけというわけでもないんです。ゴルバチョフ時代にソ連の各地で、反ロシア的な行動が起きたとき、彼は激しい弾圧をしていたんですよね。
アゼルバイジャンの場合ですと、1990年、ソビエト連邦軍がバクーに侵攻した『黒い1月事件』があり、相当数の一般人が殺されました。それを決断したのは、最後はゴルバチョフです。わたしが、『ゴルバチョフすごい』と思っていた頃は日本では相当なアンテナを張っていない限り、そういう情報はキャッチできなかったと思います。しかし、後で調べてみると、旧ソ連のあちこちで弾圧や流血の惨事が起きていたんです」
「黒い1月事件」があった1990年は、廣瀬さんが大学に入学した前年であり、廣瀬さんが会ったゴルバチョフ大統領は、そういった弾圧をすでに行った後だったのである。
「というわけで、旧ソ連の人から見ると、外面ばかりよくて、ノーベル平和賞をもらったりして、外国ではもてはやされているけれど、国内では残酷な流血の惨事を何度も起こしてきたひどい人間だということで、ゴルバチョフへの見方はとても厳しいです。しかも、旧ソ連で弾圧をしていたゴルバチョフに対する欧米の反応は、あくまでゴルバチョフに同情的だったって、みんな言っていました。
そして、結局、国家運営にも失敗し、大国ソ連を葬ってしまった『墓掘り人』じゃないかという、恨みつらみしかないんですよね。そういうこともあって、もう調べれば調べるほど、旧ソ連の人々のソ連、自分の生まれ育った民族共和国、ゴルバチョフなどへのさまざまな感情が実に複雑なんだということがわかりました」
これは研究者として立った廣瀬さんが、かつての自分のアイドルが地に墜ちたことを受け止め、旧ソ連というまとまりを理解していくにあたっての最初の一歩のところで起きたことだ。日本に伝わってくる情報だけでは、本当に一面しかわからないことがあるという事例でもあった。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
Ω・Ω・Ω 「ロシアのウクライナ侵攻」 なぜそこまでウクライナに執着するのか=3/4= Ω・Ω・Ω
昨年末、ロシアはウクライナ東部国境に10万規模の軍部隊を集結させて圧力を加えた。ウクライナ政府軍を牽制し、東部の軍事バランスを回復するためだ。そのうえでロシアはNATO東方拡大阻止と、ロシア周辺のミサイル基地などの攻撃兵器の撤廃といった要求をアメリカ及びNATOに突きつけた。NATO側は、「オープンドア・ポリシー」(NATOに加盟したい国は受け入れる)という旗を降ろすことはできないとはっきりと拒否した。それはNATO側からすれば当然の話で、集団防衛のための組織であるというNATOの根本的な理念にも合致している。
しかし、ロシアが求めていたのは「オープンド・ポリシー」を捨てろということではなく、「ウクライナとジョージア(グルジア)を加盟させるな」ということだったのである。プーチン大統領は、ウクライナがNATOに加盟すれば、ロシア対NATOの戦争になる、と何度も警鐘を鳴らしてきた。どういうことだろうか。
NATOの東方拡大の放棄を迫ったが…
ウクライナはクリミアとドンバスの失地回復を公約に掲げている。仮に、ウクライナがNATOに加盟すれば、NATOはウクライナを防衛する義務を負うことになる。その状態でウクライナが失地回復を求めて攻撃的な行動、例えばドンバスへの攻勢に出れば、ロシアが反撃してきた場合、NATOがウクライナ側に立ってロシアを撃退してくれるはずだ。これがウクライナの思惑だ、とロシアは考えたのである。
ゆえに、ウクライナがNATOに加盟すれば、ウクライナは必ず軍事的な攻勢に出て、クリミアとドンバスを取り返そうとしてくるだろう。それだけは何としても阻止しなければならない。NATOとの戦争になるからである。
しかも、NATOとアメリカはウクライナを軍事的に強化している。時間はロシアに味方してくれない。待てば待つほど、ドンバスやロシアの状況は悪くなっていくのである。ちなみに、ウクライナのゼレンスキー大統領は核武装の可能性にまで言及しており、これがまたプーチン大統領の不安をたきつけてしまった面もある。
ロシアが何度もNATO東方拡大の放棄をアメリカやNATOに迫ったが、ゼロ回答だった。ロシアは、アメリカやNATOが時間稼ぎをしていると考えたであろうことは想像に難くない。ミンスク合意を一向に履行しようとしないウクライナも時間稼ぎという点では同じである。一刻も猶予はならない。物欲しげな顔をして口を開けて待っていても、煮え湯を飲まされるだけだ。
そこでプーチン大統領は電光石火、ドンバス住民のロシア領内への避難、ドンバスの独立承認、ドンバス国家との友好協力相互支援条約の締結、軍の派遣、ウクライナへの攻撃、と次々と指示を出した。これがロシア側から見たこれまでの経緯だ。
ロシアの「このままではウクライナを利用したアメリカやNATOに追いつめられる」という恐怖感を踏まえれば、ロシアはどこまで進むつもりなのだろうか。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
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https://youtu.be/GqE4wL0Pb30 ==「二重世界への誘い〜未承認国家や係争地を考える」廣瀬陽子==
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