本日記載附録(ブログ)
ロシアがウクライナに侵攻した背景とその行方を広厚に理解すべく、旧ソ連諸国紛争や「未承認国家」「ハイブリッド戦争」の著作
日本の政治学者=国際政治・比較政治学・コーカサス地域が研究テーマ
=黒海地域の国際関係・政治経済変動などが主な業績=
研究課題“ロシアのハイブリッド戦争とその影響”/‘14年12月以降 継続中
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
廣瀬陽子(16/nx)
◇◆ 第6回 ウクライナ侵攻の伏線、欧米が関与した旧ソ連の「民主化」と「ハイブリッド戦争」=2/4= ◆◇
現在、ロシアのお家芸のように語られる「ハイブリッド戦争」の要素が感じられてならない。ハイブリッド戦争とは、情報戦、サイバー戦、非正規戦などを組み合わせて、『軍事的な全面戦争』に至る前に要求をのませたり、戦闘が避けられない場合も、それを有利に運ぶ現代的な戦争の形態を指す。バラ革命も、オレンジ革命も、抗議運動からほぼ「無血」で実現したもので、リアルな「戦争」には至らなかった。その一方で、情報戦の面ではかなりのことが行われた形跡がある。また、「革命」のノウハウを、海外のNGOや政権の梃子入れで「輸出」するというのは、内政干渉と言われても仕方がない部分があるだろう。
「結構、節操ない手段で欧米も関与しているんですよ。例えばオレンジ革命のときも、わたしのアゼルバイジャン人の知人で、お母さんがウクライナ人の人がいて、やっぱりウクライナ語も上手なので、2004年、米国にリクルートされたと言っていましたね。キーウ(キエフ)に豪華なマンションを買ってもらって、そこを拠点に諜報活動をやって、情報をアメリカに伝えたり、アメリカからの情報をウクライナの活動家に伝えていたそうです」
ロシアが、内政に干渉する手段として、いわゆる「政治技術者」を送り込むのはよく知られた手法だが、それに相当することは、欧米側もしているという見立てだ。ロシア側は、さらに、ネットインフラへのサイバー攻撃や、情報戦、民間軍事会社を使って非正規戦を行わせ、状況を有利にお膳立てするなど、ありとあらゆる手法を組み合わせた「ハイブリッド戦争」を成熟させた。
「ハイブリッド戦争」が最も成功した事例として挙げられるのが、2014年のロシアによるクリミア併合だという。2008年のロシア・ジョージア戦争の記憶が薄れた頃、また国際社会に大きな衝撃が走ることになったわけだが、まず、そこに至るまでの流れとして、廣瀬さんはこのように素描した。
「2014年3月、ロシアによるクリミア併合が起きるまで、ロシアはプロービング(『探りを入れる』の意)、つまり低強度の様々な攻撃をして、それによってどれくらいの反応が起きてくるかを見て、自分たちがやることと反応のコストパフォーマンスで最大利得を得るような動きをしていたと思います。2008年のときは、ジョージアが宣戦布告をしたとはいえ、最終的にはロシアに都合のいい形で終わったわけですよね。
欧米は、その後、ロシアを厳しく咎めなかった。特に米国は、2009年にオバマ大統領が誕生すると、『リセット』を呼びかけ、これまでの米ロ間の問題はなかったことにしましょうと言いました。これは、ジョージアでやったこともなかったことにできるという、間違ったインフォメーションになったと思うんですよ」
そして、2014年。まず、ウクライナの首都キーウ(キエフ)での「マイダン革命」で、ロシア側に接近しつつあったヤヌコビッチ大統領が失脚する欧米志向の事件があった。
一方、ウクライナの中でも多くのロシア人が住むクリミアでは、2014年2月27日から28日にかけて、軍隊章をつけていない親ロシアの武装集団、いわゆる「リトル・グリーン・メン」が侵攻、地方政府庁舎と議会を占拠して、親ロシア政権を誕生させた。
3月11日にはウクライナからの独立宣言を採択、3月16日には住民投票を実施、即日開票の結果、ロシアへの編入賛成が実に96.77%ともなる圧倒的多数の賛成を得た。
なお「リトル・グリーン・メン」がロシアの特殊部隊だったことは、クリミア併合後にプーチン大統領自身が認めた。非正規戦を取り入れた「ハイブリッド戦争」において、この時点で、ロシアは鮮やかな成功を収めた。本格的な戦争には至らず、大きな人的な損害を出すこともなく、これだけのことを「成し遂げた」のだから。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
【参考資料】 : 「ウクライナは民族国家なのか」(2/4)
Ω・Ω・Ω ロシアとウクライナが「こじれた」複雑すぎる経緯 歴史で紐解く Ω・Ω・Ω
小ロシアとなったウクライナ
しかし、歴史は残酷だ。このキエフ公国はモンゴルに潰され、やがて隣のリトアニア=ポーランド王国に潰されていく。そしてウクライナのロシア人を奪回したのがロシアだ。ヨーロッパに接近することで力をもったロシアが大国になるのは、ピョートル大帝(1682~1725年)からだ。その後ロシアの拡張は進み、ウクライナはロシア本体の辺境である小ロシアになる。それが辺境を意味するウクライナということばとなって現れる。
今の大国ロシアから見れば不思議な話だが、ロシアはつねに西に位置するスウェーデンやポーランドの侵入を恐れてきた。とりわけカトリックの宗教騎士団の侵攻である。ロシアは正教会であり、13世紀のアレクサンドル・ネフスキーの名前はカトリックの侵入を阻止した人物としてロシアの歴史に刻まれている。
だからこそ、ロシアにとってスウェーデンとの間に横たわるフィンランドは重要で、この国を親ロにすることが重要であった。フィンランドもスウェーデンを恐れていたからある。
スウェーデンとポーランドの侵攻を抑えるために重要なのが、プロイセンである。18世紀に起きたプロセイン、ロシア、オーストリアによるポーランド分割は、ロシアにとってリトアニア=ポーランド王国の残滓を消すことであった。
しかし、状況は19世紀に一変する。そのきっかけをつくったのが、ナポレオンである。今のリトアニアのヴィリヌスに入ったナポレオンは、1812年初夏ロシアへと侵攻する。ロシア侵攻は、結局ナポレオンの敗走によって幕を閉じるのだが、ヨーロッパに民族独立の火をつけ、その後進展する国民国家独立運動を引き起こしてしまう。
それがギリシアのオスマントルコからの独立運動である。英仏の支援を受けたギリシアは独立に成功するが、これがポーランド独立運動の高まりを生み出し、若者たちの独立運動を引き起こす(青年ドイツ、青年イタリアなど)。こうした独立運動は、当然ながら絶対王政による支配に対する抵抗運動として、社会主義者や共産主義者も巻き込み、ポーランド独立運動支援を生み出す。そんな中、1853年イギリス・フランスとロシアが戦ったクリミア戦争(~1856年)が起き、ウクライナの民族独立運動が生まれる。この頃生まれたのが、ウクライナ民族は存在し、ウクライナは独立国であるべきだという主張である。
ウクライナ民族主義がロシアのツァー体制に向けられたことで、ソ連共産党となるボリシェヴィキもウクライナ独立を支援するようになる。ソビエトが成立して、レーニンはウクライナを連邦共和国の一員として迎えることで、ウクライナをロシアとは別の民族だと認めることになる。
一方、第一次大戦が終わると同時にこの地域に西欧が軍事介入し、赤軍と戦うことになる。一方、レーニンの主張に対して、マルクス主義の革命家・哲学者であるローザ・ルクセンブルク(1871~1919年)は、ウクライナ民族の創設について、民族は恣意的に創られるものではないと批判する。この問題が、ウクライナには重くのしかかることになる。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
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https://youtu.be/brRl5MyhP3Y == 【ウクライナ侵攻】ロシアによる軍事行動の歴史と各国の思惑をわ解説 ==
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