ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年06月11日<ⰧⰊⰧ ◆ この日が梅雨入りになったりすることが多いってことで、傘の日であるとともに雨漏り点検の日。無意味な語呂あわせで記念日を制定しようとする輩は見習え。 ◆ トロイの木馬による被害が世界で初めて確認される。(紀元前1184年=エラトステネスの計算による)。 ◆ 南ベトナム統治下のサイゴンで、国産の僧侶とアメリカ産のガソリンによる人間バーベキューが行われる (1963年=)仏教弾圧に抗議して焼身自殺 。
本日記載附録(ブログ)
ロシアがウクライナに侵攻した背景とその行方を広厚に理解すべく、旧ソ連諸国紛争や「未承認国家」「ハイブリッド戦争」の著作
日本の政治学者=国際政治・比較政治学・コーカサス地域が研究テーマ
=黒海地域の国際関係・政治経済変動などが主な業績=
研究課題“ロシアのハイブリッド戦争とその影響”/‘14年12月以降 継続中
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
廣瀬陽子(12/nx)
◇◆ 第5回 NATOとロシアの対立を深めたコソボという「パンドラの箱」 =1/3= ◆◇
さて、「旧ソ連」地域の未承認国家をめぐる紛争について、ここまで見てきた「ナゴルノ・カラバフ共和国」以外についても、大雑把に見ておこう。南コーカサス(カフカス)の隣国ジョージア国内には2つの未承認国家「アブハジア共和国」と「南オセチア共和国」がある。
ジョージアは、アゼルバイジャンのようなエネルギー資源を持たず、経済基盤も弱いため、未承認国家を使ったロシアの統制をさらに受けやすい状態にあったものの、2008年8月、大きく事態が動いた。
「当時、わたしは北海道大学のスラブ・ユーラシア研究センターの共同研究員もやっていたのですが、札幌から東京へ飛行機で帰ってきたところ、携帯電話にたくさんの着信が入っているのに気づきました。なにかと思ったら、ジョージアとロシアの間で戦闘が始まったことに関する問い合わせの電話でした。あの戦争を今から振り返ると、より悪いのはロシアということになりますが、実はジョージアにも問題がありました。間違いなく言えることは、双方が戦争を意識して準備をしていたということです。」
ジョージア国内にある未承認国家「南オセチア共和国」に対して、ジョージア軍は、「南オセチアからの挑発が続き、ジョージアの最後通牒にも応じなかった」として、攻撃を開始した。つまりジョージアが先制攻撃をしたことになる。一方で、ロシア側も南オセチアの「自国民保護」を名目に参戦した。それは、国際的に認められる国境でいえばジョージア領内での戦闘ということになるが、ロシアにはロシアなりの「理由」があった。
「ロシアは南オセチア住民にロシアパスポートを配布していて、当時、約9割の住民がロシアパスポートを保有していたと言われています。となると、ロシア人からすれば、当地住民は『ロシア人』、つまり自国民ということになります。こうしてロシアは参戦を正当化しました。紛争が起きた8月よりかなり前、双方とも4月ぐらいには完全に意識していたと考えています。4月の時点で、ロシアがジョージアを攻撃するために作成していたという攻撃リストのようなものが後で出てきたのですが、実際に展開された戦闘とほぼ同じなんですよね。一方で、ジョージアもかなりやる気だったと思います。」
「当時のサーカシビリ大統領は、実効支配できていない『アブハジア』と『南オセチア』を取り戻すのが大きな目標だったわけです。実際に『アジャリア自治共和国』という、ジョージア国内でやはり主権が及んでいなかった地域については2004年に取り戻せたので、それに倣って他の2つの領域も取り戻したかったのです」
アジャリア自治共和国から親ロ的指導者を追放して、奪還できたことは、国土の分裂の回復を公約として当選したサーカシビリ大統領にとって大きな功績となった。この成功体験から、さらに一歩を踏み出したのが、2008年の動きだ。
「多分サーカシビリ大統領は、ジョージアが戦えば絶対にアメリカがサポートしてくれると信じていたんですね。当時のアメリカのブッシュ大統領も確約はしてなくても、支持を匂わすようなことを言ったんじゃないかと思うんです。戦争勃発直前に、アフガニスタンでのNATO軍の活動を支援するために入っていたジョージア軍を米軍機がジョージアに連れて帰ったりもしていましたし、戦争開始についてもおそらく知らされていたはずです。それですっかりジョージアはやる気になって先制攻撃をしかけて、玉砕しました。そして、・・・・・・・・
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
【参考資料】 : 「自分の長年の研究は何だったのか」/廣瀬陽子(1/3)
Ω・Ω・Ω クライナ侵攻を予測できず悔やんだ。それでも研究を続ける理由とは? Ω・Ω・Ω
ウクライナ侵攻を予測できなかったロシア政治の専門家が「研究は戦争を止められないのか」と悔やみつつも、「研究が果たせる役割もゼロではないはず」とさらに研究を深める決意を示した文章が反響を読んでいる。
■「絶望的な気持ちに苛まれた」ウクライナ侵攻を予測できなかった廣瀬教授の失意と新たな決意
その文章を書いたのは、慶応義塾大学・総合政策学部の廣瀬陽子教授。テレビ番組にコメンテーターとして連日のように出演している。週刊文春の集計によると侵攻が始まった2月24日から3月13日までに出演した地上波番組は47本だったという。
旧ソ連圏の国際政治を研究してきた廣瀬教授は当初、ウクライナへの軍事侵攻の可能性について否定的な意見だった。ハフポスト日本版が2月20日に掲載したインタビューでも「基本的には軍事侵攻は『まず、ないだろう』という立場」と答えていた。しかし、軍事侵攻は現実に起きてしまった。廣瀬教授は「論理的な説明はできません。全く合理性がない決断です」として、戸惑いを隠さなかった。
廣瀬教授は4月5日、「研究は戦争を止められないのか」という文章を発表した。大学公式サイトにある学部長らの連載コンテンツ「おかしら日記」への寄稿だった。
「研究成果に基づけば、ロシアがウクライナに侵攻するはずはなかった」と回想しつつ、実際には軍事侵攻が起きた。そのショックを「自分の長年の研究は何だったのだろうか、そして人間は戦争を防げないのか、という絶望的な気持ちに苛まれた」と振り返った。
「研究は戦争を止められないのか」という問いに対して「残念ながら止められないことは、今回の顛末からも明らかだ」と率直に分析しつつも、「研究が果たせる役割もゼロではないはずだ」とさらに研究を続けることの意義を強調した。
これまでの常識が通用しなくなる「パラダイム・シフト」が起きているとして、「新たなパラダイムの研究」の必要性を訴えた。その上で「私の旧ソ連研究は一旦振り出しに戻ったが、また心新たに旧ソ連研究に取り組みたいと思っている」と決意を示している。
この文章の読者からは「自分が間違っていたことを認める潔さと、次に進むバイタリティがすごい」「知的に誠実な態度。これこそが研究なんだろうな」などの反響が広がっている。
_________全文は以下の通り__________
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
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https://youtu.be/GaYvWP0Vn1U == ロシアとウクライナの起源 ==
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