☆ 馬鹿が馬鹿を見ても見なくてもどっちでもいい日(たいていはみんな馬鹿なことになる)。 &so、宝塚の風呂場で少女たちが桃太郎の芝居をやる(1914年)。これこそ、かの宝塚歌劇の初公演。
☆ 1989年のこの日から、売り手も買い手も消費税の計算で悩まされ始まる。最初は3%だったのが次第次第に税率が上がり、今や税率が2ケタになるばかりか軽減税率やらインボイスやらで余計に頭痛の種に。
☆ 平成の失われた30年の後始末をする時代の年号として令和が公に発表される(2019年)。「零和」ではなく「令和」である。大事なことなので二度言いました。言ったのは菅義偉内閣官房長官でした。
ᙡᙢᙡ 幕間の迷言・狂言・毒舌 = ニヒリズム = ᙡᙢᙡ
ニヒリズムあるいは虚無主義(Nihilism)とは、「無」を意味するラテン語のNihilに由来する哲学的立場のうちの一つである。その内容は真理や(本質的な意味での)価値など存在しない、というものであるが、これにはより2つの強い系と弱い系が考えられる。強い系は得てして能動的ニヒリズムともいわれ、世界の無価値さを積極的に取り入れる事によって、逆に自らの行動をより良い方向へと導くべく努力する、というものである。逆に弱い系は受動的ニヒリズムとも云われただただ状況の流れに身を任せて生きるようなことを指す。
一般的な意味で「ニヒリズム」というと後者を連想する人も少なくない。ただしこのような人に対して「哲学的な人だ」などと感動してはいけない。要するに自主性がないだけのことである。さらにこの意味が転じて何事にもシニカルな笑いを浮かべるだけで積極的に意思の主張を行わない者もニヒリズムなどと、やや揶揄をこめて呼ばれる。
虚無夢想氏曰く、事に及んで鋭く事の核心を突く秀逸な言動のひとつらしいのだが、余りに秀逸すぎるために多くの者がその真珠を疑うらしい。これに一切戸惑うことなく笑えるようならあなたもニヒリズムの仲間に入れるだろ。
フリードリヒ・ニーチェは、今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となる事態のことをニヒリズムと呼んだ。 旦、ニーチェによれば、ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けると・・・・・・。
1. 従来の最高の価値を信じる精神力を失ったために、そうした価値が無意味に感じられるということ[1]。何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、消極的・受動的ニヒリズム)。
2. 精神力が高揚し、従来の価値を乗り越えてゆくがために、従来の価値が無意味に感じられるということ[1]。すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、新しい価値を能動的に創造していく生き方(強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズム)。
3. 絶望すること・能動的になることにもやはり価値はないと考え、弱さのニヒリズム・強さのニヒリズムを否定する。自分では何も考えずに、しかし他者からの干渉も価値がないものだと無視して生きるという、一種の『悟り』のような態度(中心・無関心的ニヒリズム)。
◒ ◓ ◒ ◒ ◓ ◒
Today’s B.G.M, = Miles Davis - Human Nature live in Paris_._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._
----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------
【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/
【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/
================================================
森のなかえ
================================================