ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年03月02日<ⰧⰊⰧ
☆★ ミニの日。元々は変態紳士どもの国民車のための日だった筈だが、今ではミニカーにミニスカート・ミニバン・ミニデスク・ミニトマト・ミニストップ・ミニモニとミニなんたらが増えたので、何のための日なのか訳が解らなくなっている。☆★ 国策の線に沿い、「ストライク」「セーフ」が「よし」・「ファウル」が「だめ」・「アウト」が「ひけ」と言い換えが始まる(1943年)。☆★ ウスリー川の中洲でブレジネフと毛沢東が珍宝を取り合い、配下の軍隊が大勢駆けつける大喧嘩となる(1969年)。
本日記載附録(ブログ)
「動物園」は福澤諭吉が『西洋事情』ではじめて使った言葉だ
英語は”Zoological Park”/“Zoological Garden”であり、 忠実に訳せば「動物学公園」
「横浜動物園ズーラシア」の 村田浩一園長は学者であり教育者である
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
人はいかにして大切な価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか
村田浩一(01) ◇◆ 第1回 「動物園」は福沢諭吉の誤訳だった? =1/2= ◆◇
神奈川県横浜市旭区にある「よこはま動物園ズーラシア」は、1999年に開園した比較的新しい動物園だ。開園後も徐々に新しいエリアが増設され、現在は42.3ヘクタール、2014年度の全面開園後は53.3ヘクタールと、日本の水準では非常に広々とした動物園だ。
日本ではじめて希少なオカピ(キリンの近縁種)を飼ったことでも有名だし、また、設立時から「横浜市繁殖センター」という非公開施設を併設したのも日本初。いや、それどころか、世界でも珍しい、特色ある動物園なのである。
2011年、園長に就任した村田浩一さんは、日本大学生物資源科学部の教授でもある。獣医師であり、研究者としての専門領域は、野生動物医学、野生動物学。もともと神戸市立王子動物園に勤務してから、大学研究者のキャリアに転身、そして、今、ふたたび動物園に深くかかわっている。
動物園は、娯楽、レクリエーションの場として、非常に人気の高い場所だ。小さな子どもを連れた親子連れ、遠足の小学生、そしてデートスポットとして使う若いカップルなどなど、多くの社会的ニーズを満たしている。そこにいけば、普段会えない動物がいて、緑が多くてリラックスできて……というのを我々は当たり前のように感じている。でも、それは実は凄いことなのである。人間とともに生きるように品種改良されてきた犬猫や家畜ではなく、飼育が難しい野生動物を扱っているのだから。
よこはま動物園の園長室を訪ね、まずは園内を散策しつつ、村田さんが語ったのは、「動物園学という学問の領域を確立すべき」ということだった。
「動物園って、本当に色々な要素があるんです。まず、レクリエーションとか、エデュテイメント的な教育普及が表から見える部分。でも、それは氷山の一角です。私は『動物園の氷山』モデルと言っているんですが、表から見える氷山の一角を支えるために動物園学の諸分野が必要だと思うんです」
動物園学と聞くと、唐突だろうか。
楽しくてリラックスできる場所としてのみ動物園を捉えている人にしてみれば、どこが「学」なの? ということになるだろう。
でも、もともと英語で動物園はZooであって、正式にはZoological ParkやZoological Gardenである。動物園という言葉は福沢諭吉が『西洋事情』の中ではじめて使った言葉だが、もう少し忠実に訳していれば「動物学公園」となっていただろう。博物学全盛期の欧州に起源を持つ近代的な動物園は、学問と切っても切れない関係にある。いや、それでなくとも、動物園では日々、科学的・技術的探究が不可欠なのだ。
「まず日常的な飼育をしっかりしなければならないですよね。それに繁殖もさせていきたい。これは飼育管理学とでもいいますか。栄養学、遺伝学、育種学、それから、獣医学との関連で予防医学、外科学、内科学、寄生虫学、感染症学、生物学よりの分野では、動物学、比較解剖学、生態学、行動学、繁殖生理学……もう数え切れないくらいのサブジャンルが動物園の飼育と繁殖にかかわっているんです」
考えてみれば、当たり前である。
・・・・・・明日に続く
…… …… 参考資料: チャンスをつかむかどうかは自分次第(1/4) …… ……
動物園から伝える環境保全の大切さ
【よこはま動物園ズーラシア園長/日本大学生物資源科学部特任教授・村田浩一】
母からもらった言葉が決断の指針に
生まれたころの私は健康ではなく、医者に「この子は3年も生きられないかもしれない」と言われていたそうです。 そんな医者に母は「私が守ります」と宣言して懸命に育ててくれ、無事に3年を超えることができました。 母からすると、私の命は大切に大切に守ってきたもの。 そんな母心からか、「あなたの意にそぐわない生き方をしないように」と言われて育ちました。
社会全体がそれほど裕福ではない中、私も炊事場や便所が共用で風呂がない小さなアパートで暮らしながら、「もっと広い世界へ飛び立ちたい」という思いを抱いていました。 テレビも一家に一台ない時代です。 テレビがある人の家に集まってはテレビ番組を楽しみ、アメリカの一般大衆向け西部劇の影響を受けて「カウボーイになりたい」と思っていましたね。
外遊びや須磨海岸での海遊びに夢中になる中で、自然と環境や動物に興味を抱いていきました。 高校生になると、北杜夫の小説「どくとるマンボウ」の影響を受け、獣医として世界を巡って仕事をしたいとか、造船技術者になりたいなど、さまざまな夢を抱くようになりました。 しかし、これといった将来を定められないまま受験生に。
悩みに悩み、医師か獣医師を目指すことにしました。 医師は6年間通う学費が厳しく、働けるようになるまで時間もかかるので、当時4年制だった獣医学科に進むことを決めました。 勉強するうちに、飼い主とのコミュニケーションが必要な動物病院で働くのは自分には難しいと思うようになりました。
大学を卒業するオイルショックの直前は新卒採用人数がどの企業も多く、どこでも選べるような情勢でしたが、なんとなく会社員になることには疑問がありました。 このまま就職すると、母から言われてきた「自分の意にそぐう生き方」ができないのではないかと思い、フリーターを選択。 山小屋を転々としながら過ごす生活を送りました。 しかし、息子の私が自由に暮らしている一方、母はずっと働き続けてくれています。
一年ほどフリーター生活を送ったところで、母を働かせたまま自分が自由に生きているのはおかしいと思うようになり、公務員試験を受けることにしました。
国家公務員の道もありましたが、自分の住む地域社会に貢献したいと思い、地方公務員試験を受けて神戸市職員として働くことになりました。 野生動物に関わる仕事に就きたかったのですが、ここで動物に関わる仕事となると、選択肢は保健所か食肉処理場の2択。 私が働きたいと思える仕事内容ではなく、早々に退職が頭をよぎりました。
公務員を辞めたら、青年海外協力隊になってアフリカかネパールに行こうと思いました。 海外が選択肢にあがったのは、母方の祖父の存在があったからです。 祖父は若いころに苦労しながら海外渡航し、現地の小学校で英語を身につけて大学進学を果たし、日本初の歯学博士(DDS:Doctor of Dental Surgery)になったという経歴の持ち主でした。 そんな祖父の生き方を見てきて、負けてはいられないと思ったんです。
しかし、せっかく公務員になれたのだからという気持ちもあり、ひとまず働きながら土日に神戸市立王子動物園に実習に行かせてもらうことになりました。 本来、公休日に他機関へ実習に行く公務員などほとんどいませんでしたが、特別に飼育業務に携わらせてもらっていました。
そんなある日、毎週やってくる私の姿を見ていた園長が取り計らってくれ、事務職員として動物園に異動できることが決まりました。
次回 “女神の前髪をつかむかどうかは覚悟次第”
⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡
=よこはま動物園ズーラシア=
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/6577683eeb3da9f69bee5fc2a9b8b949
後節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/学究達=407=/xxx
----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------
【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/
【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/
================================================
森のなかえ
================================================