ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月29日<ⰧⰊⰧ
☆★ いい肉の日。だからってうしじま嬢の××をゲットして凸してしまうのはダメだし、そのまんま氏は既にリタイアしてますからw &so 歓喜の歌が日本で初演(1924年)、なかなか好評だったので音楽家が年越し資金を稼ぐための暮れの風物詩となる。☆★ リチャード・バードらが史上初めて南極点上空を飛行(1929年)。“R.・スコット”と“R.・アムンセン”の南極点に到達競争は人類のロマンを賭けた戦であった(1911年、アムンセンが南極点に到達し、三日後にスコット到着するも帰路全員が遭難死)。☆★ 熊本市・大洋デパートが火だるまとなり(1973年)、中核派が、国労などの官僚主義的姿勢に対し鉄槌を下し、中曽根康弘による分割・民営化への支持を表明(1985年)。しかし、これを機に中核派は退潮のサーフィン。
本日記載附録(ブログ) 猿人、原人、旧人、新人―何百万年も前から進化してきた人類ホモ・サピエンス=つまり、我々=だけがなぜ地球上に拡散し、文明を発展させたのか
人類進化の「常識」を覆すフローレス原人 !!?……【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
人類進化・拡散史の解明に実証的に挑む=海部陽介=
海部陽介(08/13) ◇◆ 第3回 次の「未知の人類」もアジアから発見される !? =2/2= ◆◇──今までアジアっていうとジャワ原人、北京原人が有名でしたよね。それぞれ、ピテカントロプス、シナントロプスと呼ばれていましたが、今は全部ホモ・エレクトスに一括されてます。発見されたのは、もうずっと昔です。あと、中国とインドにもう少し進歩的な旧人というのがいて、これも謎に包まれた人類なんですが、それくらいしか知られていなかった。アフリカでは、1960年代、70年代、80年代と、新しい人類がどんどん見つかって、こんなのがいる、あんなのがいるというふうになっていたんですが、アジアでは、もう随分、動きがなかったんです」
そこに出てきたのがフローレス原人なのである。話題満載のニューカマーに呼応するかのように、新たな発見も続いた。
「今度は2010年に、ロシアのアルタイ地方からデニソワ人という変なやつが出てきて、話題になっています。ヨーロッパのネアンデルタール人の近縁と言われていて、おそらく5万年くらい前の謎の人類です。ホモ・サピエンスと交雑していたとも言われています。今までアジアの人類の研究は、古い発見に頼ってやってきたんですが、それが変わってきた。僕なんかがやってきたジャワ原人は、インドネシアで沢山みつかってかなり詳しく分かってきているんですが、それ以外の空白地帯からどんどん新しいものが出てきて、それによってアジアの人類って、僕らが思ってるより多様だったと意識できるようになりました」
その象徴が、フローレス原人なのだそうだ。様々な意味での多様性を体現してる存在であるがゆえに。
彼らがいた頃のアジアを思い描くとよい。人類の仲間、それもホモ属と呼ばれるきわめて我々に近い存在が何種類もいた。
まずは、いわゆる新人、ホモ・サピエンスである。つまり、ぼくたち自身の種。さらに、デニソワ人や「中国の旧人」といった、ヨーロッパのネアンデルタール人に相当する旧人たち。さらにさらに、5万年くらい前までは最後期のジャワ原人が生き残っていたし、フローレス島には人類進化の柔軟性と多様性の象徴、フローレス原人! 様々な種類の旧人、原人が数万年前まで共存していたわけだ。地球上をべったりとホモ・サピエンスが覆い尽くした現在とはまるで様相を異にしている。
そして、今後も「未知の人類」の発見がアジアでも期待できると、海部さんは言う。
「考えてみたら空白地帯というのはたくさんあるんですよ。東南アジアでも、例えばベトナムで奇妙な人類の歯が出てますけど、よくわからない。タイだとかマレーシアとかは、全く空白地域です。いや、もう、空白だらけなんです。インドだって事実上そうだし、パキスタンもバングラデシュも何も出てないし、日本だって旧人や原人は見つかっていない。そこから次に何が出てくるんだろうっていうのが非常に楽しみになってきています」
次回は“第4回 アジアに来たとき、ヒトは何をしていたのか”に続く
○○ 参考資料: 祖先が挑戦した命がけの航海”への挑戦 =3/9= ○○
= 私たちはどこから来たのか? 3万年前の航海再現で探る日本人の起源 =
——海部さんは、ホモ・サピエンスの日本への渡来について、「北海道ルート」(2万5千年前)、「対馬ルート」(3万8千年前)、「沖縄ルート」(3万5千年前)の3ルートが考えられるとしています。そのなかで最も長い距離で、黒潮が行く手を阻む「沖縄ルート」の航海を再現しようとしていますね。
海部 最初の実験航海は2016年で、与那国島から西表島まで草の舟で渡るというものでした。この時期の舟は遺跡に残っていないので、可能性がある草、竹、木を一通り試してみようという計画です。そしてこの実験プロジェクトでは、運営の面でもさまざまな新しい試みを行っています。一般的な研究では、成功した後に結果だけを公表して、研究途中の失敗を公開することはありません。今回のプロジェクトでは失敗にも大きな意味があると考え、当初から全ての行程を公開することにしていましたが、この最初のテスト航海でいきなり失敗してしまいました。
——どんな失敗だったのですか?
海部 台風が来て3日間出航を延長したのですが、計画に期限があるため、ベストではない日に出航する必要に迫られました。結果、たまたま普段の倍に強まっていた海流に流され、途中で航海を断念しました。でもこの失敗で、祖先が成功したはずの航海が簡単なものではないこと、そして草の舟の意外な長所と短所を理解しました。草の舟は意外にも浮力に優れ、転覆しない安定感があるのが大きな魅力でしたが、スピードが出ないため、黒潮本流を越えるのは難しいかもしれません。そこで、今年は台湾で竹の舟をつくり、台湾本島から、黒潮本流の真っ只中にある緑島という島へのテスト航海を行いました。
実験は、舟づくりから始めるところに意義があります。当時の石器などで伐採や加工ができることを確認しながら、地元に自生している植物でつくるのですが、その時には地元の伝統知識を借ります。台湾では、東海岸沿いに住むアミ族の方々に協力して頂きましたが、彼らが山に入って2〜3日もかけて割れにくい竹を選ぶこと、1つ1つの行程を丁寧に、時間をかけて舟をつくることを学びました。やはり海で使える舟をつくるのは大変なのです。でも、祖先たちもそうして海を越えたに違いありません。それをやり切る強い気持ちがなければ海には出られないということを、体験して学びました。
——竹の舟は草の舟より優れていましたか?
海部 竹の舟と草の舟は、浮く物体を束ねてつくる筏の類という意味では似ているのですが、実際には別物でした。草とは別の、長所と、そうでない部分が見つかりました。果たしてこれが3万年前の舟の候補になり得るのか、詳しいことは、来年6月頃のNHKスペシャルの番組でご覧に入れたいと思います。それともう1つ、台湾での海上実験では、初めて黒潮本流を体験することができました。祖先たちが越えなければならなかった大きな壁ですが、その流れる力は強大で、とても鮮烈な体験でした。
——海部さんは、私たちの祖先が「たまたま日本列島に流れ着いた」わけではなく、「移住のために航海をした」とお考えです。理由は何ですか?
海部 漂流で移住することは、実はとても難しいということと、当時、実際に意図的航海をしていた証拠がある、という2つの根拠があります。たとえば、沖に出て魚を捕っていた人が流されるということはあったと思いますが、魚を捕るのは、通常男性の仕事ですから、島にたどり着いたとしても、男性だけでは子孫は増やせない。たどり着いた島で集団として定着するためには、女性も一緒に行かなければなりません。
数理理論が専門の研究者に頼んで計算してもらったところ、最低でも男女5人ずつくらいで移住しなければ、新しい土地で子孫を増やし定着することはできないということでした。結果として、日本列島に人類が定着して生活を始めたわけですから、魚とりの最中の事故などではなく、何らかの理由で男女の集団が海に出たことになります。
明日に続く・・・・・
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