ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月28日<ⰧⰊⰧ
☆★ ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』が初演(1811年)。言っておくがフランスの山師に捧げた訳ではない!! 山師と言えば、海を荒らしまわったマゼランがマゼラン海峡を通過。太平洋を命名(1520年)。☆★ 時の政府の肝煎りで、白人と富裕層専用の社交クラブ・鹿鳴館がオープン(1883年)。有閑マダムと白人がこの館に隣接する逢瀬を楽しむ場所が必要と帝国ホテルが計画される(1886年=落成は1890年11月3日)。☆★ フランキー・レインの「Rollin' rollin' rollin'」が全米の電波に乗り始め(1959年)、数年後にはそのテーマに乗る格好でサントリーウィスキーの売り上げが伸びる。
本日記載附録(ブログ)
猿人、原人、旧人、新人―何百万年も前から進化してきた人類
ホモ・サピエンス=つまり、我々=だけがなぜ地球上に拡散し、文明を発展させたのか
人類進化の「常識」を覆すフローレス原人 !!?……
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
人類進化・拡散史の解明に実証的に挑む=海部陽介=
海部陽介(07/13) ◇◆ 第3回 次の「未知の人類」もアジアから発見される !? =1/2= ◆◇
ホモ・フロレシエンシスという非常に魅力的な2万年前の人類をめぐる論争を、海部さんの目を通して素描した。
それにしても、この化石人類は、「ホビット」という愛称に留まらず、とことん興味深い存在だ。もしも、ホモ・ハビリス由来説が正しければ、人類の「出アフリカ」の歴史が書き換えられる。一方、海部さんたちが信じるようにジャワ原人が祖先だとすると、人類進化は従来思われていたよりも可塑性に富み、島嶼という環境で矮小化した示唆に富む実例となる。
そして、想像してみよう。
本当に小さな人類だったホビット、ホモ・フロレシエンシスは、どんな存在だったのか。フローレス島でどんな暮らしをしていたのだろうか。
国立科学博物館には、フローレス原人を身長110センチメートルとして復元した模型がある。立体データをもとに3Dプリンタで出力した頭骨のレプリカもあるから、それとあわせて見て、まずはサイズ感覚をイメージする。トールキンの作品を映画化した『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』に登場したホビット族とまさに符合する大きさだ。
そして、彼らがどんな生き物と一緒に暮らしていたのかも考えてみよう。展示には、その頃のフローレス島に生きていた主立った動物も再現されている。
海部さんは「みな実物大ですよ。ゾウも鳥も」と強調した。
島嶼化の効果で、生きものが小型化したり大型化したりして、今から見ると変なサイズ感覚の動物がたくさんいた島なのだ。
ゾウはピグミー・ステゴドンと呼ばれるもので、日本でも発掘されているアケボノゾウの近縁(同じステゴドン属)だ。子どものゾウではないかと一瞬思うほど小さい。牙の間隔が狭く、鼻がその間を通らなかったともいわれる、変わった特徴を持つ。
大きな鳥は、ハゲコウだ。今も生きているアフリカハゲコウは、体高が120センチくらいになるが、こちらは180センチとさらに巨大だ。復元のたたずまいは、日本の動物園でもかなり人気者のハシビロコウにも似ている。
ステゴドンもハゲコウもすでに絶滅しているが、コモドオオトカゲは今も生き残っている。コモドドラゴンとの異名を持つ、肉食の巨大なトカゲだ。今でもよく家畜が食べられたり、人間が襲われ怪我をしたりしている。ホビットサイズの人類は、まさに捕食対象でもあっただろう。
さらに、現生人類であるホモ・サピエンスもある時期からは存在したはずだ。どのように出会い、共存していたのだろうか。
「こんなに小さくて、よくここで生きのびたなって思いますよ。本当に、こうも小さいっていうのがよくわからないんですよね」と海部さんも、この点については、いかに島嶼化とはいえ、大いに不思議がっていた。
さらに、アジア全域に視野を広げると、またも、興味深い事実に直面する。ホビットことホモ・フロレシエンシスの発見をきっかけに、アジアの人類の多様性がにわかに注目されるようになっているのだ。
・・・・・・明日に続く
○○ 参考資料: 祖先が挑戦した命がけの航海”への挑戦 =2/9= ○○
= 私たちはどこから来たのか? 3万年前の航海再現で探る日本人の起源 =
——国立科学博物館だからこそできたということですか?
海部 大学では隣の研究者と助け合うことはありますが、ここまで一体となることは難しいかもしれません。博物館では事業系の事務員もたくさんいて、普段からイベントを開催していますから、ノウハウもあります。チラシ配りもみんな進んでやってくれました。
僕は博物館の同僚たちにプロジェクトのレクチャーをしたり、クラウドファンディングのリターン(出資者に対する特典)を何にするかなど、ランチ会を開いてアイデアを募ったりしました。また、博物館の来場者のみなさんにもご支援を募り、設置した募金箱には120万円も入っていたことがありました。
3万8千年前、ホモ・サピエンスが日本にやってきた!?
——アフリカからホモ・サピエンスがどう拡散していったかについては、「海岸移住説」というのがありますね。
海部 ホモ・サピエンスはそれまで人類が口にしていなかった貝や魚などを食べるようになったことで、海岸でも暮らせるようになりました。この海洋適応に重きを置いた「海岸移住説」という仮説がもてはやされています。
アフリカを出てアジアへ向かったホモ・サピエンスの大移動には2段階あったとされていますが、その第1波は、インド洋沿岸を何千キロとつたって東南アジアへ到達し、インドネシアの海を渡ってオーストラリア大陸へ渡ったというものです。しかし、その根拠は実に薄弱で、僕は疑問を持っています。
実際に初期のホモ・サピエンスが残したと確実に言えそうな遺跡をアジアの地図に書き込んでみると、遺跡の年代はユーラシア全域に渡り、4万8千年前から4万5千年前の間に集中しています。移住が2段階に分かれていたようには見えません。むしろ、ユーラシア大陸全体への移住は、爆発的なたった一度のイベントとして起きたように見えます。さらに詳しく見ると、ヒマラヤの北を通ってアジアに至ったルートと、ヒマラヤの南を通ったルートの2つが考えられます。
——日本にホモ・サピエンスがやってきたのは、いつごろと考えられますか?
海部 日本には、縄文時代より前の旧石器時代の遺跡が、驚くことに1万カ所以上も存在します。これだけ遺跡があるということは、当時ここにそれなりの人口がいて、活発に活動していたことを表しています。そしてもう1つ面白いことに、これらの遺跡の年代は、3万8千年前以降に集中しています。
2000年に旧石器ねつ造事件(国内の数十万年前の地層から石器を次々と発掘していた考古学愛好家の発見が、ねつ造だったと発覚した事件)というのがありました。ねつ造の発覚前は、この愛好家の“発見”によって日本の人類史の始まりがどんどん古くなっていくということで、研究者もメディアも踊らされていたわけですが、「最古」に大きな価値があると思い過ぎていたと思います。それが、みんなの目を曇らせたんです。
僕は、古さにこだわる必要はないと考えていました。それよりも、日本では3万8千年前のラインを越えると突然、爆発的に遺跡が増えることに興味を持っていました。ねつ造が発覚したことで、これ以前の日本に人類がいたかどうかは白紙となり、一方でアフリカ起源説が出てきたことによって、この頃、ホモ・サピエンスがアフリカから世界へ大拡散していたということがわかってきた。
この2つを結びつけると、3万8千年前のラインを越えたら突然、爆発的に遺跡が増える現象は、ホモ・サピエンスがついに日本へ到来したサインということになります。つまり、日本列島における私たちの歴史は、3万8千年前に始まったと言えるわけです。
明日に続く・・・・・
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