ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月25日<ⰧⰊⰧ
☆★ 破産した父が夜逃げの後、機雷製造で成功。 四男坊のA.ノーベルは爆発物の研究に没頭し、ダイナマイトの特許を取得(1867年)。以降 戦争特需で稼ぎに稼ぎ“ダイナマイト王”と呼ばれ、バクーでノーベル兄弟石油会社を設立、巨額の資産を得る。☆★ 三島由紀夫を代表とするアングラ劇団「楯の会」が、自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室で、9年前に発表した短編小説『憂国』を本人主演で上演。しかし三島婦人が麗子の役を拒否したため、やむなく森田必勝が代わりに追い腹を切った(1970年)。☆★ かの府中市で起きた三億円事件の二匹目のドジョウを狙って、フランスからやって来た3人組が有楽町で強盗事件を起こす(1986年=有楽町三億円事件)。
本日記載附録(ブログ)
猿人、原人、旧人、新人―何百万年も前から進化してきた人類
ホモ・サピエンス=つまり、我々=だけがなぜ地球上に拡散し、文明を発展させたのか
人類進化の「常識」を覆すフローレス原人 !!?……
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
人類進化・拡散史の解明に実証的に挑む=海部陽介=
海部陽介(05/13) ◇◆ 第2回 3Dプリンタでフローレス原人の脳サイズを測定 =2/3= ◆◇
「──記載論文を任されたので、誰よりも詳しく見る余裕があったんです。化石をインドネシアから日本に持ってきてもらって、東京大学で非常に高精度のCTをとって。そのデータと実物を何度も何度も見て、まだ土が残ってたりするのを自分でクリーニングしたり、一部強化したり、そういうことを繰り返しながらじっくりやっていきました。
そして、地理的に近いジャワ原人と関係あるのではないかと思うようになりました。僕が一番ジャワを知っているからという自信からも来ているんですが、ホモ・サピエンスではありえないし、アフリカの他の人類よりも、インドネシアのものとよく似てる。だから劇的な矮小化がありえないっていうよりも、実際に起きたと考えなきゃいけないと」
「──ただ、ジャワ原人といっても100万年ぐらい年代幅があるんですね。新しいやつと古いやつと。それで、フローレス原人は、古いタイプのジャワ原人と似ているんです。新しいジャワ原人では、眼窩上隆起の中で端っこのほうが分厚くなったり、額の幅が広くなったり、大後頭孔(だいこうとうこう)と呼ぶ脊髄の通る穴がちょっと細長くなったりするんですね。
ホモ・フロレシエンシスはそういう特徴を一切欠いていて、古いほうによく似ています。要するにジャワ原人が古い時代にフローレス島に入って、100万年ぐらいかけて独特の進化をとげたと、そういうシナリオと整合すると僕らは思ってるんです」
病気のホモ・サピエンスだという説にはさまざまな批判が投げかけられ、さすがに今ではほとんど支持されなくなった。残るのは、ジャワ原人が劇的に矮小化したのか、元々小さい最初期の原人ホモ・ハビリスなどがやや矮小化したのか、その2つの立場が今対立をしているのだという。
「実は多くの研究者は、アフリカのホモ・ハビリス説に流れてるので、僕らはある意味、孤軍奮闘なんです。だけど、大きな問題点は、ホモ・ハビリス級の古い人類がアジアに進出している証拠がこれまでにないことなんですよ。もちろん、単に今その証拠がないだけでいずれ見つかるだろうと考えることもできます。
でも僕らは僕らの根拠があって、やっぱりジャワ原人に一番よく似ているってことですよね。僕らにしてみると、アフリカの人類をこれまで見てきて、ジャワ原人をあまり知らない人が、ハビリス説を支持しているように思えるんですね」
とりわけ脳サイズが極端に小さくなることは「あり得ない」とされるので、海部さんらは、この4月の論文では、3つの論点から「実はそれほど極端な矮小化ではない」と示した。
1つ目は、もちろん脳サイズの厳密な測定だ。
「頭骨の高精度CTスキャンデータから3Dプリンタでレプリカを作って、それを切ってみて、内腔のダメージの様子を見たんです。実物だと切って中を見るわけにはいかないので。そして、ダメージのあるところに粘土を張りつけて復元して、脳サイズは426cc、誤差はせいぜいプラスマイナス3ccだとまでつきとめました。
これまで380ccから430ccの間とされていた推定の幅の中では、大きめの脳サイズだと分かったわけです。これはたいへん骨の折れる仕事でしたが、筆頭著者で東大の特任研究員の久保大輔君が、粘り強く成し遂げてくれました」
2つめの議論は、フローレス原人の祖先となったと海部さんたちが考えているジャワ原人の脳サイズだ。
・・・・・・明日に続く
○○ 参考資料: 人類はどのように日本列島にやって来たのか?=5/5= ○○
草舟、竹筏、丸木舟を作って実験してみた
最大の謎は舟です。素材は地元にあるものを使って、当時の道具で加工できるかやってみました。候補となるのは草、竹、木です。これらそれぞれの舟を試してみて、どれが使われたかを探りました。
草は貝殻などで簡単に刈り取れました。石器を使うと、太い竹が予想より早く切れました。砥石で磨いた石斧を使えば、丸木舟を作れるぐらいの大木も伐り倒せることがわかりました。こうして3万年前の技術でそれぞれの舟を作ってみると、3種類の舟の特徴がわかってきました。
これまで草と竹の舟で3回のテスト航海を行ってきましたが、黒潮は越えられていません。海は生き物のように絶えず変化します。大きな波や突然の天候の変化、海流に苦しめられます。実際にやってみると思っていたよりも難しいことがわかりました。でも、祖先たちが島に渡ったことは確かなのです。
丸木舟で台湾から与那国島へ―3万年前の航海を再現する
少しずつ解けてきた謎もあります。台湾から与那国島は見えないと思っていましたが、高い山に登れば見えることを突き止めました。山の上から島を見つけた彼らは、黒潮の強い流れを計算に入れ、より南から島を目指したに違いありません。しかし、海上では50kmまで近づかないと見えないため、大半は目標が見えない航海になります。それはどれほどの冒険だったのでしょうか。
しかも移住するということは、男性だけでなく女性も一緒に舟に乗っていたということです。男だけで行っても未来はありませんから。それをどう実現したのかを突き止めたいんですね。
2018年10月に、日本で制作した丸木舟で、千葉の館山から伊豆大島を目指すテスト航海をしましたが、見事に流されました。海の上では何が起きたのか、よくわかりませんでした。でも、海洋研究開発機構の高精度の海流予測図をその日の航跡に当てはめてみたら、黒潮分流の強い流れに当たっていたことがわかりました。
大島までは行けませんでしたが、丸木舟はその海流を横切ることができていたんです。それで、どうやら丸木舟なら闘えそうだと思えるようになってきました。
いよいよ今年6~7月に台湾から与那国島を目指す最後の実験航海に挑みます。必ず夜が1度は来ます。舟を作って実験することで初めて舟のスピードがわかって、航海の日数もわかりました。これがやってみることの大事さだと思うんですね。本番がんばりますので、応援よろしくお願いします。
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