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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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進化から見るヒト・日本人のルーツ / 海部陽介(02/13)_学究達=344

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月21日<ⰧⰊⰧ

☆★ 日蓮が亡くなった日(1282年)なので、富士の麓のお寺では前日とこの日に追悼法要。何故か身延のお山や蒲田の近くのお寺では10月13日に行うそうだ。☆★ ナポレオン・ボナパルトが宿敵イギリスを兵糧攻めにしてしまえと大号令を発する(1806年=ナポレオン戦争, 大陸封鎖令)が、逆にヨーロッパ全体が封鎖される破目に。☆★ 夜の蝶達が挙って読んだ『特殊な相対する性の理論』発表される(1905年=アインシュタインの特殊相対性理論/ E=mc²)。その難解さに彼女たちは独自の性理論を展開したとやら・・・・

本日記載附録(ブログ)

猿人、原人、旧人、新人―何百万年も前から進化してきた人類

ホモ・サピエンス=つまり、我々=だけがなぜ地球上に拡散し、文明を発展させたのか

人類進化の「常識」を覆すフローレス原人 !!?……

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

  人類進化・拡散史の解明に実証的に挑む=海部陽介= 

海部陽介(02/13) ◇◆ 第1回 人類進化の「常識」を覆した“小さな巨人”、フローレス原人 =2/3= ◆◇

 学校教育を受けた時期によって、こういった現在の通説自体が「え、そうだったの?」という驚きを呼ぶかも知れない。60年代生まれのぼくはまさにそうで、ヒトの歴史上、大きな進化が起きたのが常にアフリカであり、その都度「出アフリカ」を果たしていたということ自体、「へえ!」という驚きの対象である。高校教育を受けたのが80年代であり、現生人類ホモ・サピエンスの起源について論争が活発に行われたのが90年代ということなので仕方ない。

 そんな大きな背景を踏まえつつ、今回の旬の話題は、様々な意味で興味深いフローレス原人、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)。2003年にインドネシアのフローレス島で発見された約2万年前の人骨は、さまざまな「常識」に反したもので、それゆえ疑義も呈されてきた。

 では、その常識外れの部分はどういうものなのか。海部さんに語っていただこう。

「まずは劇的な矮小化(わいしょうか)ですね。あまりに小さいんですよ。身長が1メートルほどしかないんです。最初に化石を研究したオーストラリア人研究者は、一番地理的に近いジャワ原人から矮小化したという説を、考えられる説明のひとつとして述べたんです。

でも、人類の進化というのは、原人以降は脳も体も大型化するので、それが全く逆の方向へいってるわけなんですね。特に脳が小さいのは問題でして。そもそも、ホモ属の定義が、脳がある程度大きいことも入っているので、定義変更しなきゃいけないことになる。それぐらい大ごとなんです」

 フローレス原人、ホモ・フロレシエンシスは、その小ささゆえにJ・R・R・トールキンの名作『指輪物語』にちなんで「ホビット」という愛称で呼ばれる。疑義というのは、あまりにも小さいため、原人から矮小化したという考えには無理があるというものだ。現生人類ホモ・サピエンスでたまたま低身長症などで小さかった人の骨が見つかったのではないか、という「そんな化石自体、信用ならん!」というのに等しい意見まであった。

「時期的には一番最近まで生きていた原人ということになりますし、当然、ホモ・サピエンスがいた時代です。それに場所も興味深いんです。フローレス島は、サピエンスがアフリカから拡散してオーストラリアまで入るルートの途中にあるんですね。そこに、あんな原始的な人類が生き残っていたわけですから。

僕自身、ウォレス線を越えるのは、ホモ・サピエンスになってからだと思い込んでました。あの海は渡れないだろうと。フローレス島から古い石器が出る話は前からあったんですけど、あんまり真剣に見てなかったんです。フローレス原人の化石が出て、ああ、自分が間違っていたと思い知らされたんですね」

・・・・・・明日に続く

○○ 参考資料: 人類はどのように日本列島にやって来たのか?=2/5= ○○

ジャワ原人の化石がみつかったのはインドネシアのジャワ島ですが、彼らは海を渡っていないのでしょうか? 実はこの海域は浅くて、かつてはスンダランドと呼ばれる大きな陸地でした。東南アジアの大陸部とつながっていたので、海を渡らなくても行けたのです。その後なぜ島になったかというと、暖かくなったからです。

過去260万年間は氷河時代で、氷期と間氷期を繰り返し、そのたびに海面が上がったり下がったりしていました。今は地球温暖化で海面が上昇していますが、寒くなると海面は下がります。なぜなら、氷が拡大すると海水量が減るからです。

人類が大きな海を渡ったのは約5万年前からで、そのころオーストラリア大陸に初めて現れたことがこれを示しています。ホモ・サピエンスはやがて帆のついた大型の船で太平洋上の島々に進出していきました。

もうひとつ、原人や旧人は寒さが苦手でした。人類はサルの仲間で、もともと熱帯性の動物ですから。

防寒服や暖かく機能的な住居の工夫によって寒さに適応したホモ・サピエンスたちは、シベリアに進出し、陸続きだったアラスカからアメリカ大陸に入っていきました。「アメリカ大陸を最初に発見したのはだれですか?」と聞かれて「コロンブス」と答えちゃだめなんですよ。最初に発見したのはアメリカ先住民たちですからね。教科書には間違っていることがたまに書いてありますから、注意しましょう。

食糧生産革命によって世界が激変した
 その後、1万年前ごろに農耕の技術は世界のいくつかの場所で同時多発的に生まれたと言われています。これによって食糧生産革命が起こると、ホモ・サピエンスの社会は激変しました。定住することで持ち運べない重い道具を作るようになり、住居の形も変わっていきました。

人口も増加します。穀物があれば社会が巨大化し、複雑化します。食糧生産の技術は世界に伝播しました。西アジアから8000~6000年前にヨーロッパへ伝わり、日本には弥生時代に朝鮮半島経由で入ってきます。この辺の歴史はジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』にも紹介されています。

食糧が貯蔵できるかどうかが人口増のターニングポイントです。たとえば、ニューギニアではタロイモやバナナを作っていたので貯蔵できず、社会はある程度大きくなっても巨大化はしませんでした。

農耕によって大きく複雑になった社会では、組織的な戦争が始まりました。南アフリカやオーストラリアには地理的な理由で農耕がなかなか伝わらなかったので、ブッシュマンやアボリジニなどの採集狩猟民が残りました。やがて文明の発展の下に技術を蓄えたヨーロッパの人たちは、大航海を始めます。
   ・・・・・・明日に続く

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森のなかえ

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