ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月22日<ⰧⰊⰧ
☆★ いい夫婦の日。どの夫婦が今後離婚するのかしないのかはっきりする日でもある。 &so ヴァスコ・ダ・ガマが不安と恐怖で喜望峰を通過(1497年)。☆★ リー・ハーヴェイ・オズワルド、昼休みにダラスの教科書ビルへ行って6階から外へ銃弾をお見舞い。その後大急ぎで階下へ降りて、コーラを一杯飲ってバスに乗り俺は今、ケネディを撃ってきたのさ! ウヒャハハハハ!と車内で大笑いする。(1963年)。☆★ 静岡にあるポピュラーソングの聖地で観客が過熱し過ぎてガス爆発、14人が死亡(1983年)。
本日記載附録(ブログ)
猿人、原人、旧人、新人―何百万年も前から進化してきた人類
ホモ・サピエンス=つまり、我々=だけがなぜ地球上に拡散し、文明を発展させたのか
人類進化の「常識」を覆すフローレス原人 !!?……
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
人類進化・拡散史の解明に実証的に挑む=海部陽介=
海部陽介(03/13) ◇◆ 第1回 人類進化の「常識」を覆した“小さな巨人”、フローレス原人 =3/3= ◆◇
ウォレス線というのは、進化論の「もう1人」の提唱者アルフレッド・ウォレスにちなんだもので、生物の分布境界線だ。フローレス島はその東側に位置し、つまりはアジアの生き物が移動しにくい立地なのである。ホモ・サピエンスは航海術を身につけそれを越えたのだが、ホモ・フロレシエンシスのような原人の段階では無理だったであろうという予断があったという。
アルフレッド・ウォレス;愚生のBlog; https://thubokou.wordpress.com/2021/01/23/ 参照➡
170万年前以降に原人の大型化が起こったことを考えると、それ以降の人類として極端に小さいこと、わずか2万年あまりと「最近」まで生きていたこと、さらにはウォレス線を越えて海を渡ったことなど、どれをとっても大きな話題である。
そして、さらにこんなふうに海部さんは付け加えた。
「もうこれらだけでもすごくて、余りに話題が多いんですが、フローレス島自体が、動物が島嶼化(とうしょか)した島なので、本当にワンダーランドみたいなところだったんです。小型化したゾウの仲間であるピグミー・ステゴドンだとか、巨大化したハゲコウという鳥だとか、今も生きているコモドオオトカゲとか。そこに原人が紛れ込んでああいう不思議な進化を経験していたっていうのは、本当に誰も考えてなかったことだったんです」
島嶼化というのは動物学の概念で、その名の通り、孤立した小さな島で動物が矮小化したり、時には巨大化したりする現象をさす。島国に住むぼくたちは実例をいくつか知っているはずだ。 例えば、屋久島のニホンザルやシカは、九州や本州のものより小さい。巨大化の方は、それほど顕著な例は身近にないものの、ニュージーランドの絶滅した鳥モアが体高3メートルにもなったことを思い出すとよいかもしれない。
フローレス島は、この島嶼化の顕著に起きたところで、小さなゾウや巨大なハゲコウなどが闊歩する不思議世界だったのである。そして、その中で、フローレス原人は、人類では予想もしていなかった極端な矮小化を経験した。
人類進化の「非常識」ここにきわまれり。
それゆえ疑義があったわけだが、海部さんの研究は否定的な見解に対して、「そんなことはない」と述べるものだった。発見者であるオーストラリア・インドネシアのチームから、頭骨の研究を任されて、明らかにした。
具体的には、フローレス原人の脳サイズの測定を、従来、他の化石人類に対して行われていたものよりはるかに厳密な方法で行った。
次回は“第2回 3Dプリンタでフローレス原人の脳サイズを測定”に続く
○○ 参考資料: 人類はどのように日本列島にやって来たのか?=3/5= ○○
ルーツを遡れば人間本来の姿が見える
ホモ・サピエンスが誕生した時は、広い意味でそれはひとつの集団で、言語もそうだったかもしれません。それが世界中に拡散して今のようになったのですから、ぼくらの身体的多様性、遺伝子の多様性、文化的多様性の理由はすべてホモ・サピエンスの移動史の中に答えがあるわけです。
幸いにして最近そのスケールの歴史がよく語られるようになってきたので、やっとこういう時代が来たかとぼくら人類学者は思っています。
もうひとつ大事なのは、ホモ・サピエンスの移動の歴史の中に人間本来の姿が見られるんじゃないかということです。関野さんのグレートジャーニー(人類拡散の道のりを遡る旅)がまさにそれを体現しています。今の社会でぼくらがあたり前だと思っていることは、必ずしもあたり前ではない。文明社会の常識が人間としての常識では必ずしもない、ということを歴史が教えてくれます。
ところで、よく「昔の人は清らかで自然を大事にしていたが、現代人は平気で自然を壊す。けがれている。だから昔に戻らなければいけない」という話がありますね。みなさんはそれをどう思いますか?
実はホモ・サピエンスが世界に拡散していく時に、マンモス、オオナマケモノなど各地の生き物がどんどんいなくなっていきました。日本でもナウマンゾウやオオツノジカがいなくなりました。彼らははたして自然を大事にしていたのでしょうか。
たぶん、当時は「自然を大事にする」という考えはなかったと思います。ただ生きるために狩猟採集をしていただけです。ぼくは良くも悪くも人間の本当の姿を直視したいと思いますし、それを知るためにはルーツを遡って行くのがいいと思うんですね。
日本人の祖先は約3万8000年前に海を渡って来た。
アフリカから拡散したホモ・サピエンスが日本に来たのは3万8000年前ごろだということがわかっています。日本列島中にその時期の遺跡があるからです。
3万年前の人というといわゆる素朴な“原始人”だと思う人が多いと思います。でも、ぼくはあることに気づいて、180度考え方が変わりました。それが「3万年前の航海」です。
当時の地形を、海面の変動の歴史からだいたい復元することができます。今より海面が80mぐらい低く、台湾海峡は水深60mですから、台湾は大陸の一部でした。瀬戸内海はありませんでした。ナウマンゾウの化石がたくさんみつかるのはそのためです。
北海道は極東ロシアの沿海地方までつながっていて半島でした。ぼくらは「古サハリン-北海道半島」と呼びます。北海道でマンモスの化石がみつかるのは、大陸から陸路をたどって来たからです。
・・・・・・明日に続く
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= 日本人はどこからきた? 3万年前の巨大な謎にせまる =
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