ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年10月30日<ⰧⰊⰧ
☆★ 火星人がアメリカを襲撃したぞ!!って迫真の演技で演じてみたら、120万人が右へ左への大騒ぎになったでござる(1938年=オーソン・ウェルズ演出の『宇宙戦争』)。☆★ ニキータ・フルシチョフの肝煎りで超特大サイズの水爆による花火大会が行われたが、これ以上やり過ぎると危険なので1回切りのイベントで終わる(1961年=ツァーリ・ボンバ)。☆★ ハワイにいた海兵隊の一人が、ハワイでやられてる水泳大会と自転車レース・マラソンで全部優勝すれば最強じゃね?ってぴーなことを口走ったことから、トライアスロンが生まれることに(1977年)。
本日記載附録(ブログ)
表向きは生物統計学の上席研究員にして大学教授。しかし、その裏では体系的な認識のルーツと本質を探求/宗教、写本、はては「百鬼夜行絵巻」など
曰く、日本の進化学者/国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センター環境情報基盤研究領域 統計モデル解析ユニット専門員にして、農学博士(東京大学)
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
統計学を駆使してさまざまな対象に切り込む“系統樹ハンター”=系統樹思考の世界=
三中信宏(11/13) ◇◆ 第五回 文系理系の壁を超えた新しい科学がやってくる! =1/3= ◆◇
さて、今回、話を伺ってきた農業環境技術研究所の三中さんのお話は、まずは「系統樹の蒐集」という、なにやら訳が分からないけれど面白そうな話から始まり、「チェイン・ツリー・ネットワーク」という図像言語の普遍性と威力を知り、「分類と系統」という一見、近しそうなものが、実は常に葛藤していることを垣間見、系統推定の科学が「アブダクション」というあまり聞き慣れない方法で成り立っていることを知った。
すべて「系統樹」に注目することから始まった議論だ。あまりに幅広いので、深く突っ込んだ説明はできなかったものの、見た目、美しい系統樹から世界を見渡すだけで、これだけの広がりがあるのか、と驚いていただけたとしたら成功。
その一方で、「だからなに?」という反応もありえるだろう。その疑問の半分は、インタビュアーであるぼくが、三中さんの議論をうまく掬い上げられていないことが原因のはずだが、とはいえ、かりに10倍の紙幅を割いて説明しても So what? と思う人はいるはずだ。
そこで、三中さんのような「系統樹」の森を見渡す人が中心となって、新しい「科学」の研究分野が実に具体的な形で生まれつつある、ということを報告して最終回としたい。
文化系統学、である。まだ、学会もないし、専門誌もあるわけではないのだが、三中さんが「系統樹」の森を渡り歩くうち、生物進化とは違う研究で「似たこと」をしている人たちが沢山いることが明らかになってきたのである。昨年、三中さんらが編者となって『文化系統学への招待』(勁草書房)という論文集が出て、俄然、注目が集まっている。収められている論文のタイトルをいくつか眺めるだけでも刺激的だ。
・「百鬼夜行絵巻」写本の系統
・『老葉』に対する系統学的アプローチ──宗祇による連歌の系譜
・系統比較法による仮説検定──社会・政治進化のパターンとプロセス
・一九世紀擬洋風建築とG・クブラーの系統年代について
・文化の継承メカニズム──学ぶことと教えること
・イメージの系統樹──アビ・ヴァールブルクのイコノロジー
・文化系統学と系統樹思考──存在から生成を導くために
といったふう。
「系統樹的な考え方というのは、色々な分野でパラレルにやってきているんですね。言語学もやってきたし、写本系統学もやってきた。あるいは建築様式の進化でも、社会・政治の進化でも。それぞれの分野で同じようなことを考えながら、それでそれぞれの分野のオブジェクト、つまり、言語なり写本なり、建築様式、文化構築とかですね、そういうものの進化を考えてきたんですけど、そろそろ、相互の乗り入れを考えたほうがいいだろうと」
件の論文集の冒頭を飾るのは「「百鬼夜行絵巻」写本の系統」という、写本系譜にかかわる研究。室町時代から江戸時代にかけて模写されてきた「百鬼夜行絵巻」のうち、データが利用できる64の伝本を調べた。化け物の配列に着目して、それらがどう入れ替わったり、無くなったり、付け加えられたりしてきたかを示す「編集距離」という概念で指標化して、系統関係を推定している。
・・・・・・明日に続く・・・
=== 参考資料: 進化論(3/5) ===
チャールズ・ダーウィンの進化論
チャールズ・ダーウィンは、1831年から1836年にかけてビーグル号で地球一周する航海をおこなった。航海中に各地の動物相や植物相の違いから種の不変性に疑問を感じ、ライエルの『地質学原理』を読んだ。そして地層と同様、動植物にも変化があり、大陸の変化によって新しい生息地が出来、動物がその変化に適応したのではないかと思った。1838年にマルサスの『人口論』を読み自然選択説を思いついたと自伝には書かれている。ハトの品種改良についての研究でさらに考えがまとまっていった。
1858年にアルフレッド・ウォレスがダーウィンに送った手紙に自然選択説と同様の理論が書かれていたことに驚き、自然選択による進化理論を共同で発表したダーウィンはさらに執筆中であった『自然選択』と題された大著の要約をまとめ、1859年11月24日に『種の起源』として出版した。
『種の起源』のなかでは、現在の「進化」を指す用語として、あらかじめ内在的に用意された構造の展開出現を意味する"evolution"ではなく、「変更を伴う由来」(Descent with modification)という語を使っている(evolutionの原義については下の項目を参照のこと)。
また自然選択(natural selection)、存在し続けるための努力(struggle for existence、現在では通常生存競争と訳される)、そして後の版ではウォレスの提言を受け入れ自然選択をわかりやすく説明する語としてハーバート・スペンサーの適者生存を使用した(生存競争や適者生存は誤解を招きやすいために近年では用いられない)。これらの要因によって環境に適応した形質を獲得した種が分岐し、多様な種が生じると説明した。
自然選択説の代替理論
ダーウィンの進化理論は多くの批判・反論を受けたが、多くの支持も得て次第に影響を広げていった。この影響はその後、自然科学の枠外にまで広がった。しかし進化を駆動する原因として自然選択説の承認は時間がかかった。ジュリアン・ハクスリーはこの時期を「ダーウィンの黄昏」と呼んだ。19世紀後半以降、自然選択説の代替理論として当時有力視された代表的なものは有神論的進化論、ネオラマルキズム、定向進化説、跳躍説である。
有神論的進化論
有神論的進化論は神が生物の進化に介入したと考えた。これはアメリカでダーウィンを強く支持した植物学者エイサ・グレイによって広められた。しかしこの考えは、当時、学問的に非生産的とみなされ、1900年ごろには議論されなくなった。
この考え方は現代のインテリジェント・デザイナー論に受け継がれている。
定向進化説
定向進化説はより完全な方向に向かって直線的に生物が進化するという概念である。この考えも19世紀にはかなりの支持者がおり、アメリカの古生物学者ヘンリー・フェアフィールド・オズボーンがその代表である。定向進化説は特に古生物学者の間で人気があり、彼らは20世紀半ばまで化石記録が段階的で安定した方向性を示していると考えていた。
跳躍説
跳躍説は新しい種が大きな突然変異の結果として出現するという考えである。ダーウィンの強力な支援者であったトマス・ハクスリーも「自然は飛躍しない」というダーウィンの主張に疑問を呈し、跳躍的な進化を先験的に排除すべきではないと考えた。アーガイル公など当時の進化論の支持者の多くも跳躍説を支持した。ユーゴー・ド・フリース、ウィリアム・ベイトソン、そしてトーマス・ハント・モーガンも経歴の初期には跳躍論者だった。これは突然変異説発見の基盤となった。
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