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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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アネリカ先住民がが築いた大都市=カホキア=(8/9); 歴史深層(047)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年10月04日<ⰧⰊⰧ

☆★ 就寝前にお父さんが見る定番番組だったきょうの出来事が放映開始(1954年)、でも櫻井キャスターが登場するには更に四半世紀以上待たねばならなかった。☆★ ローマ教皇パウロ6世がドルを求めて初訪米(1965年)。☆★ 土曜8時にいかりや長介の「8時だョ!全員集合」の号令が初めて日本全国に響き渡ったり(1969年)、世にも奇妙な物語のホストが仕切るお昼の看板番組が放映開始(1982年)したりとこの日は長寿番組にとっての特異日。尚、1970年の『遠くへ行きたい』は現在も放送中。

本日記載附録(ブログ)

カホキア (Cahokia) は、アメリカ先住民が築いた大遺跡。現在のアメリカ合衆国中西部、東部および南東部に広まり、ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)の大遺跡。1450年頃から衰退に向かうが、人口過密と伝染病が原因と考えられている。

ミシシッピ文化(Mississippian culture)は、マウンド(塚、上に住居や墳墓などを建設するために積み上げた人工の丘)を構築したインディアン文化であり、地域により様々な形態をなした。その人々は持っていた技術からみてヨーロッパの銅器時代に比定される。マウンドの機能はミシシッピ文化共通の特徴でもあるが、基本的には神殿と考えられる。

防御用と推定される柵で囲まれた遺跡の中心部分には、「中央広場」を囲んで20基ほどのマウンドがある。そのうち最大のものはモンクス=マウンド (Monk's Mound) で、底面積の大きさでは、エジプトのピラミッドやテオティワカンの太陽のピラミッドを上回る。遺跡の中心部を囲んで北側、東側、西側にも広場を囲むようにしてマウンドが築かれ、マウンド数は合計120基ほどである。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆ アネリカ先住民が築いた大遺跡・カホキア(仁徳陵古墳の長辺60%、高さは同相)の謎 =8/9= ◆◇

== 大都市・カホキアの衰退はなぜ? 「過剰な伐採」説を否定 ==

カルーサ族は植民地化とキリスト教への改宗に激しく抵抗したことで知られる。1521年、ヨーロッパ人として初めてフロリダに到達したフアン・ポンセ・デ・レオンを矢で射て致命傷を負わせたのもカルーサ族の戦士だった。

メネンデスは、南フロリダを植民地化する任務を負ってこの地にやって来た。しかし、カルーサ族の敵意が高まってきたり、暗殺計画が不首尾に終わるなどした結果、着任から3年で撤退を余儀なくされた。その後スペイン人は100年以上カルーサ族に接触することはなかった。1697年にフランシスコ会士がやって来たが、すぐに追い出され、のちにフロリダキーズ諸島で、カヌーの中で、裸で死にかけているところを発見された。

その後もカルーサ族は独立を保ち続けたが、スペインの植民地政策による被害は非常に大きかった。ヨーロッパ人がフロリダに持ち込んだ病気の蔓延により、カルーサ族の人口は17世紀末には約2000人まで減少し、銃によって武装したほかの先住民による攻撃にさらされるようになった。]

18世紀末までにカルーサ族の王国は崩壊し、生き残った人々はフロリダキーズ諸島やキューバに逃れた。

大規模な労働力
 米ジョージア大学のビクター・トンプソン氏らは、カルーサ族についての謎を解くため、フロリダ州エステロ湾にある島、マウンドキーで発掘調査を進めている。

 今回の新たな研究は、カルーサ族の人々が「大きな構造物を建築したり、その指示をしたりする能力と、膨大な労働力」をもっていたことを示している。

 発掘チームは、マウンドキーに残された柱穴と基礎溝に基づいて王の住居の構造を推測した。彼らは、この住居がマウンドキーの頂上にあたる「マウンド1」と呼ばれる場所いっぱいに広がっていたと考えている。やや卵形をした構造物の奥行は約25メートル、幅は約20メートルで、約150本の木の柱によって支えられていたという。

 すり減ったハマグリの貝殻もいくつか見つかった。これは、柱が長持ちするように樹皮をはぐ道具だったと考えられる。発掘の際に見つかった小さな木片からは、この建物が、フロリダ本土から舟で運ばれてきたマツの木で造られていたことがわかる。

「彼らは大きな材料を運んできて、大きな建物を造りました。つまり大規模な労働力をもっていたことを意味しています」と、トンプソン氏は言う。

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: 1500年前の捕鯨の岩絵、チリのアタカマ砂漠で ⨂⨁

乾いた高地で見つかったクジラの絵、当時の生活を浮き彫りに

 いかだに乗り、銛で大きなクジラを突く。世界有数の乾燥した地域、南米チリのアタカマ砂漠で暮らしていた1500年前の狩猟採集民にとっては、歓迎すべき出来事だったろう。

 そんな古代の漁の様子が、酸化鉄で描かれた鮮やかな赤色の岩絵に残されていた。そこにはクジラだけでなく、カジキやアシカ、サメなども描かれていると、フランス、パリ第1大学の考古学者ベンジャミン・バジェステル氏は説明する。

 同氏は、当時の狩猟採集民にとって海での狩猟がいかに大切であったか、またそのことを岩絵がいかにして伝えているかを調査、考古学の専門誌「Antiquity」に発表した。

最初の発見
 チリのこの地域で学者が初めて岩絵を発見したのは、20世紀初頭のこと。海と砂漠に挟まれた「エル・メダノ」と呼ばれる谷にある岩絵が文献に記録された。それまで1000年以上もの間、この岩絵の存在を知るのは、地元パポソ村の住人だけだった。

 今回の論文が扱っている岩絵は主に、エル・メダノの数キロ北にある「イスクーニャ」という遺跡で発見されたものだが、一般に「エル・メダノ美術」と呼ばれる時代のものだ。

新たな岩絵
 イスクーニャ峡谷では、24個の岩で328点の絵が新たに発見された。多くは劣化しているが、残った絵から、これらがほかのエル・メダノ美術と同時代のものであることが確認された。
 最も多く描かれているのは、大きな海洋生物のシルエットだ。いかだと道具を使った漁の場面を表したものもある。陸の動物の絵もあるが、このような海の生物が描かれた岩絵の方が貴重だ。                     

参考資料: 先住民と入植者の協力示す壁画を発見、カリブの島 =前節=

先住民の絵と十字架やラテン語が共存、出会った16世紀頃の様子物語る

 プエルトリコの西66キロにポツンと浮かぶカリブ海の孤島。石灰岩からなる島の洞窟の懐深くで、考古学者の一団が壁一面に文字や絵が描かれた見事な地下画廊を次々に発見した。描いたのは島の先住民とヨーロッパからやってきた初期の入植者たちとみられ、全く異なるふたつの世界観が初めてこの島で出会った当時の様子もうかがわせる。この調査結果は、7月19日付で考古学専門誌「Antiquity」に発表された。

 面積わずか49.2平方キロのモナ島には、約200個の洞窟がある。調査団はそのうち70個を調査し、先住民の遺した壁画は20個以上の洞窟で発見した。

 島には現在住む人はなく、自然保護区に指定されている。島内で恒常的に淡水を得ることができる場所は、洞窟の中だけだ。専門家は、生命を支える水資源がある場所と、壁一面に描かれた壁画には明らかな関連性があるとみる。

先住民の霊的信仰示すモチーフ
 幻想的な曲線や直線、模様は、壁や天井の柔らかい表面を爪で削って描かれている。「指で描かれたこれらのモチーフは、先住民たちの霊的信仰を反映しています」と、ロンドンにある大英博物館の学芸員ジャゴ・クーパー氏は言う。アメリカ大陸を専門とするクーパー氏の研究の一部は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けている。 ・・・・・・明日に続く

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= カホキアの失われた都市|神話の物語 =

https://youtu.be/HypZvynfVGM 

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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森のなかえ

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