ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年09月30日<ⰧⰊⰧ
☆★ くるみの日。頭の固い百科事典によると「く(9)るみ(3)まるい(0)」の語呂合わせだそうだが、0にはかなりのこじつけ臭が・・・。クレーンの日にしてHAPPY FM93の日とくればどうでもいい。☆★ 『フジ三太郎』がこの日を限りに定年退職(1991年)。翌日からいしいひさいちが朝日新聞朝刊の4コマ漫画を担当し始めるが、既に30年近くもの長期連載になるとは・・・。☆★ 日本版ニョンビョンのとある核施設で、放射性物質をバケツリレーして大量被曝(1999年=東海村JCO臨界事故発生)。
本日記載附録(ブログ)
カホキア (Cahokia) は、アメリカ先住民が築いた大遺跡。現在のアメリカ合衆国中西部、東部および南東部に広まり、ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)の大遺跡。1450年頃から衰退に向かうが、人口過密と伝染病が原因と考えられている。
ミシシッピ文化(Mississippian culture)は、マウンド(塚、上に住居や墳墓などを建設するために積み上げた人工の丘)を構築したインディアン文化であり、地域により様々な形態をなした。その人々は持っていた技術からみてヨーロッパの銅器時代に比定される。マウンドの機能はミシシッピ文化共通の特徴でもあるが、基本的には神殿と考えられる。
防御用と推定される柵で囲まれた遺跡の中心部分には、「中央広場」を囲んで20基ほどのマウンドがある。そのうち最大のものはモンクス=マウンド (Monk's Mound) で、底面積の大きさでは、エジプトのピラミッドやテオティワカンの太陽のピラミッドを上回る。遺跡の中心部を囲んで北側、東側、西側にも広場を囲むようにしてマウンドが築かれ、マウンド数は合計120基ほどである。
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ アネリカ先住民が築いた大遺跡・カホキア(仁徳陵古墳の長辺60%、高さは同相)の謎 =4/9= ◆◇
世界遺産にも登録されている米国の古代都市カホキア。今から1000年ほど前、現在の米国イリノイ州にあるこの町は、メキシコより北の北米大陸で最大の人口を誇るまでに急成長した。そこで暮らす人々は、町の中だけで1万5000人、周辺部も入れるとその倍ほどだったと考えられている。しかし、わずか数百年後には人口が減りはじめ、1400年ごろには誰も住まない場所になってしまった。
ミシシッピ川の氾濫原にあったこの古代都市で多くのマウンド(墳丘)が見かってから、考古学者たちはその謎に挑み続けてきた。マウンドの中でも10階相当の高さを持つモンクス・マウンドはじつに1867年まで、米国で一番高い人工物であり続けた。しかし、カホキアがどのように誕生し、どうやって急成長を遂げたのか、そしてなぜ人がいなくなり廃墟と化したのかは、まだわかっていない。仮説はたくさんあるが、データは乏しいからだ。
しかし今回、カホキア滅亡の仮説の一つが除外されそうだ。その仮説とは、過剰な伐採によって洪水が起き、町に住めなくなったというものだ。米イリノイ大学の地質考古学者、ケイトリン・ランキン氏は先日、学術誌「Geoarchaeology」に掲載された研究を通して、伐採説は誤りであると述べるだけでなく、カホキアが環境破壊を引き起こしたため滅亡したという前提そのものに疑問を投げかけている。
ランキン氏はこう述べる。「ヨーロッパ人がやってくる前、カホキアは北米で一番人口密度が高い場所でした。人口が多いことは問題だと考えがちですが、必ずしもそうとは限りません。重要なのは、資源をどのように管理し利用するかなのです」
頻繁な洪水はなかった
1993年、南イリノイ大学エドワーズ校の研究者、ニール・ロピノット氏とウィリアム・ウッズ氏が、カホキアは環境の悪化によって滅びたという仮説を提唱した。カホキア人が町の東側にあった高地で伐採を行ったため、浸食や洪水が起き、収穫が減少したり居住地が浸水したりしたという説だ。
たくさんの木が切られたことは明らかなので、この「過剰伐採説」には説得力があった。ほとんどの考古学者たちは、それがカホキア滅亡の引き金になったか、その可能性が高いと考えた。ただ、その検証はほとんど行われなかった。
しかし2017年、当時セントルイス・ワシントン大学の大学院生だったランキン氏がカホキアのマウンドの近くで発掘を行い、洪水に関連する環境の変化について検証すると、思わぬ事実が明らかになった。過剰伐採説から考えられるような頻繁な洪水はなかったという明確な証拠が得られたのだ。
・・・・・・明日に続く・・・
⨁⨂参考資料: ミシシッピ文化(4/4) ⨂⨁
知られているミシシッピ文化の首長制国家―その2―
• エトワー:別の主要ミシシッピ文化の首長制国家。ジョージア州にあり、マウンドビル政体の長い敵対者であると信じる者もいる。
• ジョアラ(en:Joara):ヨーロッパ人が接触したときのノースカロライナ州で最大の首長制国家。最も北東のミシシッピ文化の首長制国家群の「首都」であった可能性もある。
• キンケイド・マウンズ州立歴史史跡(en:Kincaid Mounds State Historic Site):ケンタッキー州パデューカからオハイオ川を渡った所。主要なミシシッピ文化の祭祀センター
• オクマルギー国立史跡(en:Ocmulgee National Monument):オクマルギーはミシシッピ文化の首長制国家であり、この場所は後の有史時代にクリーク族インディアンに使われた。
• マウンドヴィル:カホキアと並び、古典的ミシシッピ文化の中核となる最も重要な2つの遺跡の一つ。アラバマ州タスカルーサ近くにある。
• ノデナ遺跡(The Nodena Site):ノデナは1400年頃から1700年頃の後期ミシシッピ文化の重要な要素、ノデナ期[7]の典型的な遺跡。
• パーキン遺跡(The Parkin Site)
• ミズーリ州セントルイス:主要なミシシッピ文化の祭祀センター。現在はほとんど全部が破壊されているが、セントルイスの中心街にかつてマウンド群があったため、セントルイスは「マウンドの市」という渾名がある。
• スパイロ・マウンド(en:Spiro Mounds):ミシシッピ文化で最も考古学的な研究が進んだ祭祀センターの一つ。オクラホマ州東部にある。
• タウンクリーク・インディアンマウンド(en:Town Creek Indian Mound):ノースカロライナ州のミシシッピ文化の首長制国家。一般に歴史的ピーディー族のものとされる。
• ウィクリフマウンド(en:Wickliffe mounds):ケンタッキー州西部の首長制国家
• ウィンタービル遺跡(en:Winterville Site):ミシシッピ文化ウィンタービル期の典型的な遺跡
関連する現代の種族
ミシシッピ人は有史時代にこの地域に住んだ多数のインディアンの先祖である可能性が高い。広義でのミシシッピ文化の担い手であったと信じられている歴史上の、また現代のインディアンは、あまりにも多いが強いてあげると、アラバマ族、アパラチー族、カド族、チェロキー族、チカソー族、チョクトー族、クリーク族、グアレ族、ヒチティ族、ホウマ族、イリノイ族、カンザ族、マイアミ族、ミズーリ族、モビリアン族、ナチェズ族、オーセージ族、クオポー族、セミノール族、ショーニー族、ティムクア族、チュニカ・ビロクシー族、ヤマシー族およびユチ族である。
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= Cahokia Mounds 世界遺産 北アメリカ最大遺跡 カホキア =
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