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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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政治力の背陰に幻覚剤入りの酒=チチャ= (4/5) ; 歴史深層(038)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年09月24日<ⰧⰊⰧ

☆★ お掃除のおじさんやおばさんが掃除大臣として尊敬される日。もしかして今日は…清掃の日。そして、この日から10月1日までの1週間が環境衛生週間と暇を持て余す環境省が……☆★ 西郷隆盛が、もう、この辺でよか・・・と自分で起こした戦争を集団自決で幕引きさせる(1877年=西南戦争: 城山の戦い)。☆★ 藤沢市でグライダーが使ってたりしていた飛行場に米軍機がハプニングゲストとして着陸、現場は大騒ぎとなったがマスコミの報道はお察し下さい(1959年=TAI307便墜落事故)。

本日記載附録(ブログ)

インカ帝国では、政府によって労働賦役が課せられていたが、その見返りとしてインカ主催の饗宴が執り行われていた。 饗宴では、織物などの他、チチャが与えられ、重宝されていた。 依って、チチャはアンデス中に最大限広がっていった。

国家による酒販売の独占形態であり、チチャの利用は、饗宴などを通して集団間の摩擦を和らげる働きがあった。 支配者には儀礼用としても非常に価値があった。 時には、幻覚剤を混ぜ、飲酒者の死的恐怖・肉体的苦痛を取り去り、催眠的暗示を施すのに用いた。

このように、チチャあるいはその原料となるトウモロコシは、アンデス文明の形成過程において、けっして欠かすことのできない重要なものであった。 それゆえ、品種改良で膨大な種類のトウモロコシが生み出された。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 一千年前の古代ペルーを支えていたチチャ。 政治的政略・民意洗脳の酒=チチャ= …… 

◇◆  幻覚剤を混ぜた酒で人心掌握、一千年前のインカを支えていたチチャ =4/5= ◆◇

インカ以前、ワリ帝国「ビール外交」の謎を解明 /2

  「ワリ帝国は、セロ・バウルに来るさまざまな集団をまとめようとしていたことが分かります。その方法の1つと思われるのが、地元産のビールを振る舞った大きな宴会です」。論文の筆頭著者で、米シカゴのフィールド自然史博物館で人類学部門を率いているライアン・ウィリアムズ氏はこう話す。

 ウィリアムズ氏らは、セロ・バウルの醸造所で一度に生産できたチチャを1500~2000リットル以上と推定している。工業化以前の社会の醸造所としては、かなりの量だ。チチャは傷むのが早く5日程度しかもたないことを考えると、山上の宴会には、数百人を超す指導者たちが招待されていた可能性がある。

 今回、研究者たちは、こうした宴会用の物資がどのように生産されたか解明しようとした。醸造や飲用に使われ、ワリ文化の神々の姿に似せた土器は、遠く離れた都のワリで見つかった物に似ていた。だが、粉々に砕けた土器の化学分析から、セロ・バウルの杯は現地で作られ、粘土も地元産であることが分かった。

  「このような質の良い酒器は、よそから持ち込まれたものだろうと予想していました。しかし実際には、彼らはこの辺境の地で、ワリの生活様式を丸ごと保っていました」とウィリアムズ氏は話した。「実に興味深いです。このように遠く離れた地方が、中央集権的な資源に依存せず、長期にわたって活力を保っていたことを物語っているからです」

古代の酒造りを再現
 古代の土器から、チチャの残留物も採取できた。研究者たちは、ワリの人々が醸造に使っていた材料を明らかにしようと、自らチチャ造りに挑戦。この地域では今もチチャがよく飲まれていることから、近くのアンデスの麓に住む、醸造方法を知る女性の助けを借りた。

   「これらの痕跡が何なのかを、実験せずに特定するのは非常に困難です」と話すのは、論文の共著者で、米ノースカロライナ大学グリーンズボロ校の考古学教授ドナ・ナッシュ氏だ。チチャ造りを1回再現するのに、始めから終わりまで1カ月かかった。できる限り実際のプロセスに近づけるため、材料を煮て発酵させるのに土器のつぼを使い、ラマのふんを燃料に使った。

 この実験で、セロ・バウルのチチャはトウモロコシと、現地に豊富にあるコショウボクの実から造られていたことが、初めて確認された。ピンク色のコショウボクの実は、繊細だが濃い味をチチャに与える。

    ウィリアムズ氏とナッシュ氏によれば、酒がコショウのような味にならないよう、正しい醸造プロセスで造るのが難しかったという。コショウボクの木は、干ばつにとても強い。そのため、水を大量に消費する作物であるトウモロコシが手に入らない時でも、ワリの人々はビールの供給を維持できたのだろう。

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: ワリ文化の霊廟と財宝を発見、ペルー (2/2) ⨂⨁

    首都リマから北へ車で4時間、ウアルメイ遺跡での新発見が、数々の謎を解くカギになるかもしれない。面積約45ヘクタールの遺跡は何十年もの間、墓荒らしによって断続的に掘り返されてきたが、ギェルシュ氏は地下深くに霊廟が隠されていると推測していた。

    2010年1月、数人のチームを結成し、航空写真と電磁波地中レーダーを使って精査を開始。日干しれんが造りの2大ピラミッドに挟まれた地中に、かすかな輪郭を見いだす。地上は隆起しており、もしかすると地下霊廟かもしれない。

 隆起は、墓荒らしが長年投げ捨てた瓦礫が積み重なったためと判明。2012年9月、チームが瓦礫を掘り起こすと、石の王座をいだく古代の儀式用の部屋が現れた。さらに掘り進めると、30トン分の軽石で覆われた大きな部屋にたどり着く。勢い込んだギェルシュ氏らはついに、大きな木彫りの杖を探り当てた。「墓を示すマークだ。霊廟の主室に違いない」。

 ◆埋められた財宝
 軽石を注意深く取り除くと、座った状態で埋められた遺体が何列も見つかった。体を包む布がかろうじて残っている。隣接している3つの小さな部屋には、ワリ帝国の3人の女王の遺体が横たわり、純金製の織物道具などの貴重な副葬品が多数並んでいた。

   「ファーストレディーたちは宮廷で何をしていたと思う? 金の道具で布地を織っていたんだよ」。プロジェクトの科学顧問を務める考古学者クリシュトフ・マコフスキー・ハヌラ(Krzysztof Makowski Hanula)氏は語った。

 大量の財宝はこれだけではない。金銀細工の耳飾り、銀製のボウル、青銅の儀式用の斧、珍しいアラバスター(雪花石膏)製のカップ、ナイフ、コカの葉を入れる箱、各地のアンデス文化で見られる鮮やかな彩色の陶磁器など、お宝の数々。「こんな経験は初めて。王室の墓が無傷の状態で見つかるとは」とギェルシュ氏は興奮を隠せない。

 同氏のチームは、今後8~10年かけて遺跡の発掘を進め、霊廟やまだ地下に埋もれているほかの部屋を調査する予定だ。 / Photograph by Milosz Giersz

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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森のなかえ

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