ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年09月23日<ⰧⰊⰧ
☆★ 京都市下京区にて花札屋が店開き(1889年)、100年経つと何故かファミコンの会社になっていた次第。創業者は山内房治郎。☆★ VIP満載の特急列車が、集中豪雨で宙吊りとなった線路に突入して脱線転覆(1926年)。山陽本線特急列車脱線事故。☆★ 頭の固い百科事典によると、秋はこの日から始まるそうだ。即ち、秋分。なぜか、国民の祝日の一つ。
本日記載附録(ブログ)
インカ帝国では、政府によって労働賦役が課せられていたが、その見返りとしてインカ主催の饗宴が執り行われていた。 饗宴では、織物などの他、チチャが与えられ、重宝されていた。 依って、チチャはアンデス中に最大限広がっていった。
国家による酒販売の独占形態であり、チチャの利用は、饗宴などを通して集団間の摩擦を和らげる働きがあった。 支配者には儀礼用としても非常に価値があった。 時には、幻覚剤を混ぜ、飲酒者の死的恐怖・肉体的苦痛を取り去り、催眠的暗示を施すのに用いた。
このように、チチャあるいはその原料となるトウモロコシは、アンデス文明の形成過程において、けっして欠かすことのできない重要なものであった。 それゆえ、品種改良で膨大な種類のトウモロコシが生み出された。
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
一千年前の古代ペルーを支えていたチチャ。 政治的政略・民意洗脳の酒=チチャ= ……
◇◆ 幻覚剤を混ぜた酒で人心掌握、一千年前のインカを支えていたチチャ =3/5= ◆◇
インカ以前、ワリ帝国「ビール外交」の謎を解明 /1
現在のペルーに位置するセロ・バウルは、古代アンデスで最初の帝国と言われる「ワリ」の最南端に作られた、辺境の入植地だった。急峻な山の上に位置し、天然の水源はなく、実用性に乏しい場所だったが、紀元1050年ごろまでのおよそ4世紀にわたり、ぜいたくな饗宴が催されていた。
宴会を開いたのはワリ帝国の有力者たちだ。招かれた客は、隣国ティワナクのライバルや、ワリとティワナクという2大帝国に脅かされていた小さな村々の長たちだった。
彼らはモケグア渓谷の景色を楽しみながら、テンジクネズミ、ラマ、魚料理を味わい、古代アンデス発祥のビールであるチチャを酌み交わした。トウモロコシとコショウボクの実を発酵させて作る酒である。
だが、ワリ帝国が崩壊しつつあった950年余り前に、酒盛りを楽しんだ者たちは、自らお祭り騒ぎに終止符を打つ。
このとき、ワリ帝国の人々は辺境の入植地から避難するつもりだったらしく、すでに神殿と宮殿を取り壊していた。最後に壊されたのが醸造所だった。彼らは建物に火をつけ、焼け落ちるのを眺めた。ワリの貴族たちはチチャを飲み干し、大事にしてきた杯を火に投げ入れた。
醸造所が灰になると、何人かが首飾りを外し、最後の供物として残り火の中に置いた。誰もこの建物を二度と使えないよう、廃墟を砂で覆った。こうして醸造所は、20年前からチチャ造りの中心地を発掘している考古学者たちにとって、貴重な「タイムカプセル」となった。
研究者たちはこのほど、セロ・バウルでの最後の宴で使われた土器を分析。研究結果が4月18日付けで学術誌「サステイナビリティ」に掲載された。それによると、この国境付近の入植地で、帝国が滅ぶ寸前までそれほどの宴会を続けていられたのは、醸造も酒器作りも地元の材料を使っていたおかげだという。
一度に1500~2000リットルを生産
紀元600年ごろから1050年ごろにかけて、ペルー沿岸とアンデス山脈の広い範囲を支配したワリ帝国。インカ帝国が力を持つずっと前に、大規模な道路網とかんがい用水路網を作り上げたワリの人々にとって、セロ・バウルは政治的に重要な場所だった。
外交の中心だったこの地は、帝国の都ワリから南東へ徒歩で2~3週間かかるところにあった。そして、セロ・バウルの神殿の中には、ライバルを取り込もうと、隣国ティワナクの神々を祭ったものもあった。
・・・・・・明日に続く・・・
⨁⨂参考資料: ワリ文化の霊廟と財宝を発見、ペルー (1/2) ⨂⨁
南米ペルーのエル・カスティーリョ・デ・ウアルメイ(El Castillo de Huarmey)遺跡で、未盗掘の王族の墓が発見された。西暦700~1000年頃に南アメリカに最初の帝国を建設した古代文明、「ワリ文化」の霊廟と考えられている。
しかし、薄暗い埋葬室で黄金の輝きを目にしたポーランド、ワルシャワ大学の考古学者ミロシュ・ギェルシュ(Milosz Giersz)氏は素直に喜べなかった。「ニュースが漏れたら、略奪者が大挙して押し寄せる」。
ギェルシュ氏はすぐにそう危惧したという。ポーランド・ペルー合同チームが発見した1200年前の「死者の殿堂」には、貴重な金銀の財宝が溢れかえっていたのだ。
ギェルシュ氏とプロジェクト共同責任者のロベルト・ピメンテル・ニタ(Roberto Pimentel Nita)氏は公表を思いとどまり、密かに埋葬室の1つを数カ月間掘り進めた。
チームが掘り当てたのは、精巧な金銀の宝飾品、青銅製の斧、純金の道具など、工芸品1000点以上におよび、ワリ文化の3人の女王や60体分の遺骨も収集した。一部は人間の生贄だったと見られる。
6月27日、ペルーの文化相や高官が現地で記者発表を行った。この調査は、ナショナル ジオグラフィック・グローバル探検基金と探査協議会が支援している。
◆見過ごされた帝国
ワリ文化は長い間、後代のインカ文明の影に隠れていた。インカ文明の繁栄についてはスペイン人征服者が幅広く記録を残しているが、実際のワリの支配体制の詳細は未だ不明である。
現在のペルーの大部分に広がる帝国を、8~9世紀に築いていたことはわかっている。アンデス山脈の首都ウアリは当時、世界最大の都市の1つだった。ウアリの全盛期の人口は控えめに推定しても約4万人。一方、フランク王国のパリは、わずか2万5000人に留まっていた。
彼らはどのように帝国を築いたのだろう? 力ずくで周囲を征服したのか、それとも交渉で説得したのか。一方で、ワリの精巧な工芸品は略奪者の格好の標的となり、帝国の宮殿や神殿の遺物は荒らし尽くされている。重要な考古学情報の破壊が止まらず、さまざまな謎が残されたままとなっていた。 ・・・・・・明日に続く
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