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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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政治力の背陰に幻覚剤入りの酒=チチャ= (5/5) ; 歴史深層(039)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年09月25日<ⰧⰊⰧ

☆★ ワルツの親父が死去し、大変な悲しみを訴えるあまり倅がいつも明るく元気な歌ばかり作ることになる(1849年)。☆★ 染料工場の爆発で何故か赤痢が蔓延、真相は検閲により削除(1937年=大牟田爆発赤痢事件)。☆★ 某国の親日感情への配慮から、ア〜ン♥♥風呂をこの日からソープランドと呼ぶことに(1984年)。全日本特殊浴場協会連合会が高度な政治的配慮を断行したのだそうだ。

本日記載附録(ブログ)

インカ帝国では、政府によって労働賦役が課せられていたが、その見返りとしてインカ主催の饗宴が執り行われていた。 饗宴では、織物などの他、チチャが与えられ、重宝されていた。 依って、チチャはアンデス中に最大限広がっていった。

国家による酒販売の独占形態であり、チチャの利用は、饗宴などを通して集団間の摩擦を和らげる働きがあった。 支配者には儀礼用としても非常に価値があった。 時には、幻覚剤を混ぜ、飲酒者の死的恐怖・肉体的苦痛を取り去り、催眠的暗示を施すのに用いた。

このように、チチャあるいはその原料となるトウモロコシは、アンデス文明の形成過程において、けっして欠かすことのできない重要なものであった。 それゆえ、品種改良で膨大な種類のトウモロコシが生み出された。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 一千年前の古代ペルーを支えていたチチャ。 政治的政略・民意洗脳の酒=チチャ= …… 

◇◆  幻覚剤を混ぜた酒で人心掌握、一千年前のインカを支えていたチチャ =5/5= ◆◇

インカ以前、ワリ帝国「ビール外交」の謎を解明 /3

    米ペンシルベニア大学考古学人類学博物館の研究者で、古代のアルコール飲料に詳しいパトリック・マクガバン氏は、新たな研究成果を「科学技術を駆使して土器や植物考古学の遺物を調査しており、現代の生体分子考古学の最もよい例」になっていると評価する。

   「古代の発酵飲料が、世界各地で人間社会の中心にあったという証拠が、また1つ増えました」。マクガバン氏は、ナショナル ジオグラフィックに対してEメールで語った。同氏は、今回の研究には関わっていない。

幻覚薬も含まれていた?
 ナッシュ氏は、チチャの一部には幻覚薬が含まれていたかもしれないと話す。ワリの土器には、サン・ペドロ・サボテンやビルカの木など、幻覚作用のある植物を描いたものがあるからだ。

    今後の実験で、こうした物質も醸造所の土器に残っているかどうか調べたいとナッシュ氏は考えている。またウィリアムズ氏は、遺物のDNA分析から、ワリが醸造過程で使っていた酵母の菌株も明らかになればと期待しているという。

 なぜセロ・バウルが放棄されたのか、正確なところは専門家にも分からず、彼らはワリ帝国がどのように滅んだのか議論している段階だ。いくつかの植物考古学的証拠が示す通り、深刻な干ばつが貧困と暴力につながったのか? 

    政治的な内紛で帝国が分裂したのか? いずれにせよウィリアムズ氏は、セロ・バウルから何かしら教訓を得られるのではと考えている。巨大な政治的権力のもとでも、地域的な活力を育んでいくのが、いかに重要かということだ。

「まだ解明が必要な点の1つは、ワリの崩壊が空間的、時間的にどう進んでいったかです」とウィリアムズ氏は話す。「滅亡したのは950年ごろだったと主張する人たちもいます。

    我々が調べた最後の酒宴は1050年ごろのようです。他の地域が大きく衰退していても、一部の地域は伝統を維持できていた期間が100年ほどあったのかもしれません。逆境を跳ね返す活力を保っていて、物資を現地調達していたからです」

 最近のクラフトビール人気で古代の醸造技術ににわかに関心が寄せられても、新大陸のビール造りの伝統はやや見過ごされていると、ウィリアムズ氏は指摘する。

    そんな中、フィールド自然史博物館とシカゴのクラフトビール醸造所「オフカラーブルーイング」は、ナッシュ氏の研究を元に「ワリ・エール」を造った。コショウボクの実を使ったピンク色のエールビールが、6月にシカゴ周辺の地域で再び日の目を見る。

・・・・新企画 “謎に満ちた「ルリスタン青銅器」、誰が作ったのか” に続く・・・

⨁⨂参考資料: 古代ペルー 深紅の王墓 ⨂⨁

 ペルーの海岸近くにある遺跡「エル・カスティージョ・デ・ワルメイ」は、ここ100年ほどの間に盗掘者たちに荒らされ、広大な丘全体が穴だらけになっていた。盗掘者の目当ては、埋葬された遺骸が身に着けた黄金の装飾品や上質な織物だ。

 首都リマから北へ車で4時間ほどの場所にある遺跡の丘には、古代の人骨や現代のごみが散らばり、荒涼とした風景が広がっている。その発掘は困難で、時間と金の浪費に終わるだけだろうと、多くの人が忠告した。だが、考古学者ミリオシュ・ギエルシュは断念する気などなかった。

 ポーランドのワルシャワ大学でアンデス考古学を教えているギエルシュは36歳。かつてペルーで繁栄したワリ文化の織物や土器の破片がこの丘で見つかっていたことから、「1200年前に、エル・カスティージョで何か重要なことが起きていた」と確信していた。

 ワリ文化の中心地はエル・カスティージョよりはるか南にあった。ワリの人々は、現在のアヤクチョ市の近くに広大な都を建設し、最盛期には人口4万人を擁していた。同時代に人口2万人弱だったパリをはるかに上回る規模だ。ワリの支配層はこの都を拠点に領土を広げていった。ワリこそが南米アンデス地方に生まれた最初の帝国であると、多くの考古学者は考えている。

最新機器がつきとめた王族の墓

 ギエルシュの調査隊は、磁力計を使って地下構造物の形状を探り、凧に装着したカメラで一帯を空から撮影した。すると、長年にわたって墓泥棒たちが見落としていたものが浮かび上がってきた。南の岩山の尾根沿いに埋まっている壁の、かすかな輪郭だ。

 迷路のように複雑かつ大規模な構造が、エル・カスティージョの南端に不規則に広がっていた。祖先崇拝のための神殿だったらしく、もともとの外壁は深紅に塗られている。ギエルシュ率いるポーランドとペルーの合同調査隊は、発掘の許可を申請した。

 2012年秋に、驚くべきものが発見された。未盗掘の王族の墓だ。ワリ帝国の王妃あるいは王女の遺体が計4体、貴族の遺体が少なくとも54体、そして大きな金の耳飾り、銀製の器、銅合金の斧など、一流の細工が施された遺物1000点以上が埋葬されていた。

「ここ数年間で最も重要な発見です」と、リマ美術館の学芸員セシリア・パルド・グラウは語る。出土品は、ワリ帝国とその裕福な支配階級の謎を解明する新たな鍵となる。

 ワリは8世紀の終わり頃、エル・カスティージョのある沿岸部に攻め込んだと推測される。エル・カスティージョの遺跡からは、長柄の斧を振り回すワリの戦士たちと、投槍器を使って応戦する沿岸部の人々を描いた儀式用の酒杯が出土している。

 激しい戦いの末に、この土地を征したのはワリだった。新たな支配者はエル・カスティージョの丘の麓に宮殿を建設。その後、自分たちの祖先を祭るために、急峻な斜面を利用して、高くそびえる深紅の神殿を建設していったのだ。

 ワリ帝国が広大な領土をどのように手に入れ、抵抗勢力を統治したのかは長年の謎だった。文字をもたなかったワリには歴史の記録が残っていない。だが都から約850キロ離れた、ここエル・カスティージョで発見された豊富な出土品によって、徐々にその空白は埋まりつつある。

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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森のなかえ

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