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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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バス席を決然と譲らぬパークス1/3; 歴史深層(015)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月25日<ⰧⰊⰧ

☆★ 船代をケチったイギリス人の船乗りが、泳いでドーバー海峡を渡るのに成功(1875年)。クラゲに刺され潮流に流されもしたが21時間45分かけて泳ぎ切った。以降、後継者達がチラホラ。大和撫子・大貫映子が9時間32分(1982年)で泳いだ。☆★ パリを4年間も我が物顔に振る舞ってきたナチスとその協力分子に、市民の不満が爆発。この日から数年間、市内全域をリンチの嵐が襲うことに(1944年=パリの解放)。☆★ 安藤さんちがお湯をかけて3分で食える袋ラーメンをロールアウト(1958年)。故に即席ラーメン記念日ってことになってしまっているが、同業他社にとってはお察し下さい。

本日記載附録(ブログ)

公営バスの車中、白人に席を譲るジム・クロウ法違反の容疑で逮捕され収監された

この事件が契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発、公民権運動の導火線となった

市内のすべての黒人がバス・ボイコット運動に呼応、ローザは文化的象徴と見なされて渦中に

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

公民権闘争の重要な節目に、「公民権運動の母」と呼ばれたローザ・パークスの…

◇◆ 人種差別の渦の中、席を立つのを拒みバス席を譲らぬパークス =1/3= ◆◇

2001年、米国のミズーリ州議会は7年間に及ぶ法廷闘争に敗北した。「アダプト・ア・ハイウェイ清掃プログラム」に白人至上主義集団クー・クラックス・クラン(KKK)を参加させまいとする試みは、失敗に終わった。この清掃プログラムは、文字通り「ハイウェイを養子にする」という意味で、道路沿いのごみ拾いをする団体が、そのハイウェイの“里親”として看板に団体名を記すことができる。

 州はせめてもの対抗措置として、KKKが受け持つセントルイス郡の州間高速道路55号線の名称を「ローザ・パークス・ハイウェイ」に改名した。結局、KKKは清掃の約束を果たさなかったので、人々はKKKをだしに大笑いする機会を失ったが、この名称は今も残っている。このように、2005年に92歳でこの世を去ったローザ・パークスへの尊敬の印は、アメリカ全土で多く見かけられる。

 2001年、米国のミズーリ州議会は7年間に及ぶ法廷闘争に敗北した。「アダプト・ア・ハイウェイ清掃プログラム」に白人至上主義集団クー・クラックス・クラン(KKK)を参加させまいとする試みは、失敗に終わった。この清掃プログラムは、文字通り「ハイウェイを養子にする」という意味で、道路沿いのごみ拾いをする団体が、そのハイウェイの“里親”として看板に団体名を記すことができる。

 州はせめてもの対抗措置として、KKKが受け持つセントルイス郡の州間高速道路55号線の名称を「ローザ・パークス・ハイウェイ」に改名した。結局、KKKは清掃の約束を果たさなかったので、人々はKKKをだしに大笑いする機会を失ったが、この名称は今も残っている。このように、2005年に92歳でこの世を去ったローザ・パークスへの尊敬の印は、アメリカ全土で多く見かけられる。

 1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリーの市営バスで白人乗客に席を譲るのを拒んだため、ローザ・パークスは逮捕された。この一件はモンゴメリーでの抗議運動に火をつけ、やがてアメリカの公民権闘争の重要な節目となる。パークスによる市民的不服従は比較的ささいな行為にも思えるが、それを実行するという彼女の決断は、とてつもない波紋を巻き起こした。

    そして最終的には、1776年のアメリカ独立宣言の有名な一節「すべての人(men)は平等に作られている」が、ようやく真実味を帯びてくる。もっとも、「すべての男女(men and women)は平等に作られている」としたほうがよかったのだろうが。

人種隔離
 誰に聞いても、ローザ・パークスは口調が穏やかで信心深い、きちんとした女性だった。しかし、のちに自らの行動を通じて明らかにする通り、彼女はアラバマでの黒人抑圧に強い不公平感を抱き、この問題について何かしたいと内心決意していたのである。

    アメリカの南部諸州では1870年代以降、人種隔離を認めるジム・クロウ法が施行されていた。建前としては、「区別するが差別しない」状況を作るためだったのだろう。しかし実際の目的は、黒人に社会的、経済的不利益を強制することだった。

 モンゴメリー都市条例は1900年に公共交通機関での人種隔離を定めており、1950年代までには、市内のバス会社はすべてのバスで前方の座席を白人用としていた。法律では、「立っている白人に黒人が席を譲らなければならない」とまでは定めていなかったが、実際には席を譲ることが慣例になっていた。つまり、白人エリアが満席で、座れない白人がいた場合、運転手は白人エリアのすぐ後ろの列に座っている黒人を後方の席に移動させるか、空席がない場合は立たせて、白人エリアを後方へ拡大するのである。

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: ローザ・パークス (1/3) ⨂⨁

“リー”ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークス(Rosa "Lee" Louise McCauley Parks, 1913年2月4日 -2005年10月24日)は、アメリカ合衆国の公民権運動活動家。

1955年にアラバマ州モンゴメリーで公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、ジム・クロウ法違反の容疑で逮捕されて著名となる。これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発。アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の導火線となったことで、ローザは米国史における文化的象徴と見なされ、米国連邦議会から「公民権運動の母」と呼ばれた。

人権擁護運動の共有財産(共有遺産)として、その行動は国際的に高く評価されている。

ローザ・ルイーズ・マコーリーは、アラバマ州タスキーギで、アフリカ系アメリカ人で大工の父ジェイムズ・マコーリーと、教師の母レオーナの間に生まれた。両親はほどなくして離婚。農業を営む母と母方の祖父母のもとで弟シルベスターとともに育ち、終生所属することになるアフリカン・メソジスト・エピスコパル教会員になる。

母レオーナは11歳になるまでローザに教育を施したが、1924年に州都モンゴメリーの女子職業学校に入学させた。同学校が1年後に閉鎖されたため、他の中学やアラバマ州立黒人師範大学(現:アラバマ州立大学)附属の実験学校で教育を受け、16歳で縫製工場に就職する。

1932年、黒人理容師のレイモンド・パークス(1903年 – 1977年)と結婚。結婚後、夫の奨めで高校生課程を修了している。レイモンドは全米黒人地位向上協会(NAACP)のメンバーであり、ローザも第二次世界大戦後にNAACPモンゴメリー支部書記を務めた。同職は専業ではなく、収入を得るため何度も転職して様々な職業に就いている。1955年にはモンゴメリー・フェア百貨店で裁縫の仕事をしていた。

当時、アラバマ州はじめアメリカ南部諸州にはジム・クロウ法(Jim Crow laws)と呼ばれる人種分離法が施行され、あらゆる場所で黒人と白人は隔離されていた。公共交通機関のバスでも人種隔離が実施され、黒人席と白人席は制度上明確に分けられていた。

 1955年12月1日18時ごろ、当時42歳のローザは、百貨店での仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗車した。白人専用の席はバスの前方にあり、その次の列から後方が黒人の席だったが、運転手は境界を後方に移動することができた。法にはなかったが、白人の座席が足りないときは境界を移動して、黒人を立たせるのが習慣だった。ローザは黒人席の最前列に座っていたが、次第に乗車して来る白人が増え、立って乗車せざるを得ない白人も出てきた。

このため、運転手ジェームズ・F・ブレークは境界を一列ずらし、座っていた黒人4名に立つよう命じる。3名は席を空けたが、ローザは立たなかった。ブレイクがローザのところにやって来て「なぜ立たないのか」と詰問し席を譲るよう求めたが、ローザは「立つ必要は感じません」と答えて起立を拒否した。

1987年に放送されたテレビ番組で、ローザは「着席したままだった私に気付いたブレイクがなぜ立たないかと訊ね、(私は)『立ちません』と答えました。するとブレイクは『よろしい。立たないんなら警察を呼んで逮捕させるぞ』と言ったので、私は『どうぞ、そうなさい』と答えたんです」と述懐している。

1992年に出版された『My Story(『ローザ・パークス自伝』)』においても、ローザは「疲れていたから立たなかったのでは」との指摘を「普段と比べて疲れていなかった」と否定し、「年寄りだったから立たなかった」「若者に対する差別だったのでは」との批判に対しても「まだ42歳で若かった」と反論。「屈服させられることに我慢できなかった」から席を立たなかったのであり、単なるエゴではなく人間としての誇りを侵害されたため席を立たなかったのだと述懐している。

The only tired I was, was tired of giving in./ 直訳:唯一の疲れは、屈服することに疲れていたことだった。
乗り合わせた乗客の証言によれば、ローザは終始、静かで威厳に満ちた毅然たる態度を貫いたとされる。

ブレイクは警察に通報し、ローザは市条例違反で逮捕された。ローザは「どうして私が連行されるのか」と質問したが、警官は「知るもんか。でも法は法だからな。お前は逮捕されたんだ」と返答した。警察署での逮捕手続きが終わると一旦は市の拘置所に入れられたが、即日保釈され、やがてモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される。 ・・・・・・明日に続く

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

  = The Rosa Parks Story - Arrested -  =

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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