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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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バス席を決然と譲らぬパークス2/3; 歴史深層(016)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月26日<ⰧⰊⰧ

☆★ カルカッタで貧しい人々に死に場所を与えた聖女と言う名のマザー・テレサが、アルバニアで生を享ける(1910年)。☆★ 芥川龍之介脚本の映画『羅生門』が封切り(1950年)。これに合わせて、第1回24時間テレビ 「金はテレビを救う」が放送される(1978年)……両出来事の関係は謎である。☆★ 芝浦埠頭とお台場の間がデカいつり橋で結ばれる(1993年)。真下をデカい船が通る上に大量の車を捌くことから、勝鬨橋のバージョンアップとはならず。

本日記載附録(ブログ)

公営バスの車中、白人に席を譲るジム・クロウ法違反の容疑で逮捕され収監された

この事件が契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発、公民権運動の導火線となった

市内のすべての黒人がバス・ボイコット運動に呼応、ローザは文化的象徴と見なされて渦中に

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

公民権闘争の重要な節目に、「公民権運動の母」と呼ばれたローザ・パークスの…

◇◆ 人種差別の渦の中、席を立つのを拒みバス席を譲らぬパークス =2/3= ◆◇

 バスの車中で白人・黒人の乗客は前記のモンゴメリー都市条例に従わねばならない。 更には、それだけではない。白人乗客がいる場合、黒人は白人エリアを通って黒人エリアへ行くことさえ許されなかった。前方から乗って運転手に料金を支払った後、いったん下車して後方ドアから乗車し直さなければならない。

    おまけにバスの運転手はみな白人で、料金を支払った黒人がバス後方へ回り込む間に、バスを発車させてしまうことさえあった。ローザ・パークスにもその経験があったのである。

2857番
 1955年12月1日の夕方、ローザ・パークスは、お針子として働いている百貨店があるモンゴメリー中心街から、クリーブランド・アベニュー行きの2857番のバスに乗車し、黒人エリアの最前列に座った。バスは混み始め、黒人エリアも白人エリアも満席となり、1人の白人男性が立つ羽目になった。

    黒人は白人と同じ列に座ってはいけないことになっているので、白人男性を座らせるため、運転手は黒人エリアの最前列に座っている男女4人に席を空けるよう言った。4人のうち3人は、最初こそ多少気の進まない様子を見せながらも席を立った。

 しかし、ローザ・パークスだけは腰を下ろしたまま、運転手に再度促されても立ち上がらなかった。通報するぞと脅されると、(彼女自身の記憶によれば)「では、そうなさいな」と答えた。それから30年以上たつころ、彼女はこう書いている。

    席を譲らなかったのは疲れていたからだろうと人はいつも言いますが、そうではありません。肉体的な疲れはありませんでした。一日の仕事の終わりに疲れを感じることはめったになく、この日もそうでした。すると、私のことを年寄りだったのだろうと思う人もいますが、私は年老いてはいませんでした。42歳でしたから。私はただ、屈することに疲れていたのです。

 しばらくすると警官が到着し、パークスを逮捕した。彼女は警察署に連行され、人種隔離法違反のかどで正式に告発され、市の拘置所へ移送される。

市民的不服従
 拘置所に入れられてから約2時間後、ローザ・パークスは保釈される。その手続きをしたエドガー・ニクソンはNAACP(全米黒人地位向上協会)モンゴメリー支部の代表で、この街における人種隔離法の合憲性を検証するための事例を探していた。

    パークスから訴訟の同意を取りつければ、ニクソンは絶好の機会を手に入れられる。ただし、彼女にも家族にも危険な影響を及ぼす恐れがあった。

 NAACPモンゴメリー支部で書記を務めていたパークスは、数カ月前に出席したサマースクールで、インドのマハトマ・ガンジーによる市民的不服従などについての授業を受けていた。このことから、パークスの行動の計画性を指摘する者もいた。しかし、彼女がのちに語ったところによれば、人種隔離を不当だとは思っていたが、抗議行動を計画していたわけではなかった。

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: ローザ・パークス (2/3) ⨂⨁

1955年12月1日18時ごろ、当時42歳のローザは、百貨店での仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗車した。白人専用の席はバスの前方にあり、その次の列から後方が黒人の席だったが、運転手は境界を後方に移動することができた。

法にはなかったが、白人の座席が足りないときは境界を移動して、黒人を立たせるのが習慣だった。ローザは黒人席の最前列に座っていたが、次第に乗車して来る白人が増え、立って乗車せざるを得ない白人も出てきた。

このため、運転手ジェームズ・F・ブレークは境界を一列ずらし、座っていた黒人4名に立つよう命じる。3名は席を空けたが、ローザは立たなかった。ブレイクがローザのところにやって来て「なぜ立たないのか」と詰問し席を譲るよう求めたが、ローザは「立つ必要は感じません」と答えて起立を拒否した。

1987年に放送されたテレビ番組で、ローザは「着席したままだった私に気付いたブレイクがなぜ立たないかと訊ね、(私は)『立ちません』と答えました。するとブレイクは『よろしい。立たないんなら警察を呼んで逮捕させるぞ』と言ったので、私は『どうぞ、そうなさい』と答えたんです」と述懐している。

1992年に出版された『My Story(『ローザ・パークス自伝』:日本語訳著書参照)』においても、ローザは「疲れていたから立たなかったのでは」との指摘を「普段と比べて疲れていなかった」と否定し、「年寄りだったから立たなかった」「若者に対する差別だったのでは」との批判に対しても「まだ42歳で若かった」と反論。「屈服させられることに我慢できなかった」(*)から席を立たなかったのであり、単なるエゴではなく人間としての誇りを侵害されたため席を立たなかったのだと述懐している。

The only tired I was, was tired of giving in. / 直訳:唯一の疲れは、屈服することに疲れていたことだった。

乗り合わせた乗客の証言によれば、ローザは終始、静かで威厳に満ちた毅然たる態度を貫いたとされる。

ブレイクは警察に通報し、ローザは市条例違反で逮捕された。ローザは「どうして私が連行されるのか」と質問したが、警官は「知るもんか。でも法は法だからな。お前は逮捕されたんだ」と返答した。警察署での逮捕手続きが終わると一旦は市の拘置所に入れられたが、即日保釈され、やがてモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される。  ・・・・・・明日に続く

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

  =  I Am Rosa Parks  =

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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