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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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大統領ルーズベルトの決断3/3 ; 歴史深層(014)

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ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月24日<ⰧⰊⰧ

☆★ 1572年のフランス(サン・バルテルミの虐殺)や1929年のエルサレム(嘆きの壁事件)などこの日は神の名の下に異教徒を幾らでも血祭りに挙げても赦される日らしい。☆★ ソビエト連邦共産党(1991年=ミッチィが党の解散を宣言)と冥王星(2006年)がリストラされた日。☆★ アメリカに不法占拠された松江市が、右も左もない連中によって攻撃を受ける(1945年)が、ヴェスヴィオ火山の桁違いの吐瀉物によって、ポンペイが消えて無くなった(79年)事件に比べれば屁のような事件で1ヶ月遅れで報道された。

本日記載附録(ブログ)

ニューディール政策と第二次世界大戦への参戦は世界恐慌のどん底からアメリカ合衆国を救う

ラジオを通じて国民との対話「炉辺談話」を重視し、重度の身体障害を持った大統領

アメリカ政治史上で唯一4選るが、第二次世界大戦の終結とその勝利を目前にした死であった

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

「枢軸国との和平交渉を拒絶し、無条件降伏を唯一の戦争終結とする。」と表明…

◇◆ どん底の世界恐慌に立ち向かった、大統領ルーズベルトの決断 =3/3= ◆◇

銀行法に続いて、農業、工業、住宅、労働に関する法律が次から次へと制定される。また、酒類の製造販売を禁じる禁酒法が廃止されたが、この措置はアメリカ国民に大いに歓迎され、税収増加にもつながった。すべての新法が銀行改革ほど成功を収めたわけではないが、ニューディール政策は全般的にうまくいっているようだった。そしてアメリカ経済は、3年間苦しんだ大恐慌から徐々に脱却していった。

有言実行の人
 結果的にアメリカの大恐慌は1933年3月に底を打った。ルーズベルトが最初の2年間に取り組んだ「第一次ニューディール」の最大の功績は、アメリカの一般大衆に自信を取り戻させ、仕事や家を失う不安なしに暮らしていける状況を作ったことにある。

 国の直面する問題の大きさにひるんだような印象を与えたフーバーとは対照的に、ルーズベルトは、アメリカ経済を再び動かして雇用を増やすために必要なことはなんでもする「有言実行の人」として、国民の目に映った。

   銀行や企業は通常業務に戻り始め、産業は持ち直し、大量に解雇していた従業員の一部を再雇用し始めた。大恐慌が終わったわけでは決してなかったが、多くの人々が、以前よりも明るい未来を思い描けるようになっていた。

第二次ニューディール
最初の2年間に成し遂げた成功を足場として、ルーズベルトはいわゆる「第二次ニューディール」に着手する。差し迫った多種多様な社会問題に取り組むべく、1936年から1938年にかけて、さまざまな法案を提出した。

   しかし、最初に導入した経済施策に比べて、健康保険や社会保障といった社会問題に連邦政府が関与することは、はるかに大きな物議を呼んだ(アメリカではいつものことなのだが)。この試みは、改革支持のリベラル派と絶対反対の保守派との対立を再燃させた。これはオバマ大統領がおこなった医療保険制度改革を巡る状況にも似ている。

まだ不十分?
 ニューディールに対しては、その最初の導入以来、同じような批判が繰り返されてきた。「国民生活に国が関与する可能性をルーズベルトが広げすぎた」とする意見がある一方、「ルーズベルトのやり方は不十分であり、多くのヨーロッパ諸国で採用されている包括的な社会的施策を導入すべきだった」とする向きもある。

 しかし、ニューディールの結果がどのように評価されようと、アメリカ史上、いや世界史上最も深刻で、最も破壊的な不況に立ち向かうべく、直接的な行動を起こそうと決めたルーズベルトの決断は、間違いなく、アメリカ史上最善の政治的判断の1つだったはずだ。

 ルーズベルトのニューディールの効果は、最初の導入時から数十年にわたって続いた。今なお有効な計画もある。ニューディールはまた、アメリカの政治に根本的な再編をもたらした。いわゆる「第五政党制」である。この制度において、リベラルな信条を持つ有権者が民主党を支持するようになり、保守的な人々は共和党を支持する傾向が見られた。この状況は今もさほど変わらない。

 ルーズベルトは史上初めて4期目に突入し、任期途中の1945年にこの世を去るまで、アメリカ大統領の職にあった。つまり、世界恐慌に対処しただけでなく、アメリカを第二次世界大戦に導いた人物でもあり、さらに大きな決断をいくつもおこなったのである。

次回は“公民権闘争の重要な節目に、ローザ・パークス”に続く・・・

⨁⨂参考資料: ルーズベルト大統領の実話 (3/3) ⨂⨁

・・・・彼に関する逸話を紹介している著作・・・・・

=ルーズベルトの死の秘密: 日本が戦った男の死に方/2015.03.19/スティーヴン ロマゾウ , エリック フェットマン/草思社=

隠され続けた大統領の死因とは
フランクリン・ルーズベルトが死亡した当時、死因は過労として世論の理解は落ち着いていました。しかし、彼の身近にいた人々の証言や、名演説家だったはずのルーズベルトのヤルタ会談後のスピーチの様子、そして目の上に突如あわられ、消えたシミから、彼の死因について、ある疑いが出てきました。

彼は癌だったのではないか、と。

フランクリン・ルーズベルトはかなり病弱な体質でした。歴史の裏側では常に多くの病と闘い続けていました。本書は彼の死因を探るだけではなく、彼の60数年にもおよぶ闘病人生を辿りながらフランクリン・ルーズベルトという男の性格や政治を読み解こうとしたものです。

果たして死因は過労死だったのでしょうか?病気だったのでしょうか?もし、病気だったとしたら、なぜひた隠しにされ続けたのでしょうか?
本書を読むことで、彼に対する新たな見方ができるようになるかもしれません。

=ルーズベルトは米国民を裏切り 日本を戦争に引きずり込んだ ─アメリカ共和党元党首ハミルトン・フィッシュが暴く日米戦の真相/2017.02.13/青柳 武彦/ハート出版=

フランクリン・ルーズベルトが「卑劣」と言われるのはなぜ?
『FOR:THE OTHER SIDE OF THE COIN』の邦訳書(上記で紹介したものとは訳者が異なる)を元に、原著の要約とそれについての著者による解説とコメントが書かれたものです。本書は、フランクリン・ルーズベルトを批判するだけの単なる歴史書ではありません。

著者は歴史の大まかな流れの解説などを挟みながら、フィッシュの著書を参考に、戦後日本に根付いている自虐史観からの脱出を切言しています。

そして、そのうえで今後日本が米国や諸外国、そして今も多く存在する外交問題についてどう向き合うべきなのかを読者自身に考えさせる内容になっています。
要約と解説、コメントははっきりと区別して書かれているので、原著を読まれた方もぜひ一度目を通してみてはいかがでしょうか。

以上、フランクリン・ルーズベルトについてさまざまな側面から書かれている著書をいくつか紹介しました。読む著書によって彼に受ける印象はまた少しづつ変わっていくことと思われます。彼は偉大な大統領だったのでしょうか?それとも……?ぜひご自身で判断してみてください。

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  = フランクリン・ルーズベルト 3-3 =

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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