ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月23日<ⰧⰊⰧ
☆★ 白虎隊が腐女子の妄想の種にされた末に、やおい穴をおっぴろげて滅亡(1868年)。&so、東京・竹橋で近衛兵が反乱したのは10年後。白虎隊の怨念が再燃したか……☆★ 新潟の萬代橋の欄干が崩落。一万年どころか20年しか持たなかった(1948年=花火大会の見物客が殺到、死者11人)。☆★ 伝説の名文句、『何のための前進守備だ!』が横浜スタジアムから全国に鳴り響く(2006年)。
本日記載附録(ブログ)
ニューディール政策と第二次世界大戦への参戦は世界恐慌のどん底からアメリカ合衆国を救う
ラジオを通じて国民との対話「炉辺談話」を重視し、重度の身体障害を持った大統領
アメリカ政治史上で唯一4選るが、第二次世界大戦の終結とその勝利を目前にした死であった
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
「枢軸国との和平交渉を拒絶し、無条件降伏を唯一の戦争終結とする。」と表明…
◇◆ どん底の世界恐慌に立ち向かった、大統領ルーズベルトの決断 =2/3= ◆◇
ウォール街大暴落
「ウォール街大暴落」として知られる株価大暴落が始まったのは、1929年10月24日のことである。投資家たちのパニック売りは、さらなる株価暴落を招き、10月29日(いわゆるブラックチューズデー)には、株式市場は完全に崩壊した。壊滅的な株価崩落の結果、銀行は数百万ドルの損失を出し、企業倒産が相次いだ。失業者が急増し、人々は物を買うことをやめた。そして不況、貧困、窮乏は、アメリカ全土はおろか世界各地に波及していった。
絶望的な貧困
1932~33年の冬は、多くの人にとって絶望的な季節となった。失業者やホームレスが至る所に見られ、アメリカでは、掘っ立て小屋の立ち並ぶ集落(いわゆる「フーバービル」)が、多くの町や都市の郊外に突如出現した。子どもたちは、靴なしで暮らし、それどころか十分な食べ物さえ手に入れられなかった。失業率は25パーセント近くまで上昇し、1300万人が職にあぶれ、工業生産高は1929年の暴落以来45パーセントも下落した。
さらに追い討ちをかけるように、アメリカの農業の中心地に「ダストボウル」という砂嵐が襲いかかった。異常な乾燥と、環境に合わない農耕法が相まって、中西部の広い地域で巨大な砂塵嵐がたびたび発生。かつては豊かだった農地の表土を吹き飛ばしていった。
百日議会
一方ホワイトハウスでは、膨大な問題がルーズベルトを待っていた。彼が解決策を見いだす試みにおいて、イデオロギー的政策を追求しなかったことは称賛に値する(そもそも追い求めるイデオロギーを持ち合わせていなかったと論じる者もいる)。ルーズベルトはむしろ、うまくいく可能性があるかどうかを基準に政策を立て、誰の発案であるかは問わなかった。顧問団「ブレーントラスト」は、銀行制度や労働市場の改革法を提案した。
そのメンバーには、ルーズベルト政権で国務次官補を務めたレイモンド・モーリー、米国初の女性労働長官を務めたフランシス・パーキンスらがいた。
ルーズベルトは、いわゆる「百日議会」で矢継ぎ早に法案を提出し、民主党と共和党から等しく支持を受けて、すべての法案を成立させた。それ以来、アメリカのメディアには、「就任後最初の100日間が経過してから、新大統領の仕事ぶりを査定する」という伝統が定着している。
第一次ニューディール
ルーズベルトは手始めに国内のあらゆる銀行を一時閉鎖させ、その間に緊急銀行救済法を提出した。これは銀行の倒産という最も切迫した問題を打開するための法案だった。銀行の破綻を恐れた人々が預金を全額引き出したため、結果的に銀行が破綻に追い込まれる事態が各地で起こっていた。
ルーズベルトは国民に政策を説明し、そのなかで銀行の閉鎖を「バンク・ホリデー(銀行の休業日)」と形容した。このいわゆる「炉辺談話」は定期的におこなわれるようになる。3月9日に連邦議会へ提出された銀行法案は、1回しか目を通されないまま、その日のうちに議会を通過。これにより、連邦準備銀行を通じて公認銀行への無制限貸付が可能となり、実質的に全預金が保証された。
銀行が4日後に営業を再開したとき、外には人々が列を作っていたが、その多くは、以前引き出した金を預け直そうとする人たちだった。マットレスの下に隠しておくよりも、銀行に預けるほうがずっと安全になったからだ。
・・・ 明日に続く・・・・・
⨁⨂参考資料: ルーズベルト大統領の実話 (2/3) ⨂⨁
5:政治家としての資質が備わっていた
彼は目的のためならば手段を選ばない冷酷さを持っていました。反対勢力には容赦なく粛清処分を下し、彼に反発する勢力にも恐れられていたといいます。
それに加え、ハンサムな顔つきと魅力的な声で、ラジオや演説では時に皮肉や冗談を交えながらその才能を遺憾なく発揮し、人々を魅了しました。これらの武器を巧みに使うことができたルーズベルトは、政治家として大変有能でありました。
6:不倫していた
彼は海軍時代の秘書、ルーシー・ページ・マーサー・ラザーフォードと一時愛人関係にありました。別荘にて彼が急死した際も、側にいたのは彼女だったと言います。しかし、愛人は1人だけではなかったようです。
7:妻と離婚騒動にまで発展したこともあった
妻・エレノアが闘病中のルーズベルトの荷をほどいていた際、ルーシーとの手紙を発見したことで不倫が発覚します。「愛人とは2度と会わない」という条件で、表向きは和解したことになりましたが、その後も夫婦の仲は冷え切ったままだったそうです。
・・・・・以下、彼に関する逸話を紹介している著作・・・・・
=ルーズベルトの開戦責任: 大統領が最も恐れた男の証言/2014.09.11/ハミルトン フィッシュ/草思社=
旧友・ハミルトン・フィッシュから見たフランクリン・ルーズベルト
本書は20年間友人として、そして1933年以来は政敵としてフランクリン・ルーズベルトと関わってきたハミルトン・フィッシュによって綴られた一冊です。
「真実を知らせなければならない」というフィッシュの信念の元、第2次世界大戦の裏側で何が起きていたのかが記されています。
ルーズベルトや第2次世界大戦の裏事情など、政界に深く関わる立場にいたからこそ知ることのできた各国の思惑を、フィッシュ自身の会合の記録やさまざまな人物の日記、メモ、新聞や議事録からも引用し詳細に記されています。
「歴史にifはない」といいますが、読者は本書を読み進めるうち「もしもこの時……」と思いたくなることでしょう。
=ルーズベルト秘録〈上〉・〈下〉/産経新聞「ルーズベルト秘録」取材班/産経新聞ニュースサービス=
フランクリン・ルーズベルトが日本をどのように見ていたのか
本書は、「産経新聞」にて連載されていた「ルーズベルト秘録」を、一冊にまとめたものです。
本書を作成するうえでの入念な取材と膨大な量の資料調査が、大統領時代のフランクリン・ルーズベルトの秘密にたどり着きました。
日本人が第2次世界大戦を考えるに当たって、フランクリン・ルーズベルトはマッカーサーと同等、あるいはそれ以上に重要視せざるを得ない存在です。しかし、そんな彼がこの大戦や日本をどのように見ていたのかというのは、あまり公にはされてきませんでした。
そこで、戦後しばらく経ってようやく公開された秘密文書を含む、第2次世界大戦前後の彼に関するたくさんの資料により、真相をまとめ上げたのが本書です。
限りなく真実に近い、ルーズベルトの人物像に触れられる作品となっています。 ・・・・・・明日に続く
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= フランクリン・ルーズベルト 3-2 =
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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