ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月12日<ⰧⰊⰧ
☆★ サルの言いつけで三河の狸親父が関東地方全域の支配者に(1590年)。そして、時は流れ、のび太行きつけの三河屋でコカ・コーラが1本しか売れず、その王冠が一時はウン千万円の値がつく(1975年)。☆★ キツネ目の男がグリコ・森永事件の事件終息を宣言(1985年)。ちなみに、この事件に巻き込まれていたハウス食品の社長は事件終息を先代である父の墓前に報告しに行く途中、下の日航機事故=御巣鷹の尾根=で死亡。運が悪すぎる…☆★ 四万十川の水まで温まりアユも水煮になり兼ねないくらいの猛暑で、真夏の暑さにしても限度があるだろ!って誰もが思った日(2013年=日本国内観測史上最高の41.0度)。…今年を経験する以前のお話
本日記載附録(ブログ)
クレオパトラ7世フィロバトル;古代エジプト、プトラマイオス朝のファラオ(最後の女王)
ガイリス・ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスらとのロマンスで知られ、「絶世の美女」とも
紀元前51年、クレオパトラ18歳の時、遺言によって弟プトラマイオス13世と共同で王位に就く
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
イチジクに忍ばせていたコブラに乳房を噛ませて自殺したとも…
◇◆ クレオパトラの激動の生涯と逸話絶世の美女が歴史に残したものとは?=1/5= ◆◇
クレオパトラ(正式名称はクレオパトラ(クレオパトラ7世)は、世界三大美女の一人で世界の歴史上で最も有名な女性。エジプト・プトレマイオス朝の最後のファラオ(王)です。カエサル(Caesar=英語での読み方はシーザー)、アントニウス(Antonius)という二人の英雄と結婚したことでも知られています。
英雄2人を惑わせたのだから魅力的な女性であったことは確かでしょうが、絶世の美女であったかどうかは議論されたまま謎に包まれています…。このクレオパトラがどのような人物で、どのように生き、どのように世界の表舞台で輝いたのか、その生涯をカエサルやアントニウスとの出会いと併せて解説します。
クレオパトラってどんな人?主な逸話◎ 遺言に基づき弟のプトレマイオス18世と結婚して共同王位(ファラオ)に就く、クレオパトラ18歳 プトレマイオス10歳
◎ 戦闘中のアレクサンドリアに潜入するため自身を絨毯に包ませカエサルへの贈り物とする
◎ 人を魅了して子を成す2カエサルとアントニウスという時の英雄
◎ 彼女にぞっこんだったアントニウスからローマ帝国の一部であったトルコ南部をプレゼントされる
◎ ゆかりの深いトルコにはクレオパトラ島など彼女の名を冠した地名がいくつもある
◎ 自殺したアントニウスの後を追って自らを毒蛇に噛ませて死亡 また、フランスの有名な哲学者パスカルは、著書“Pensées(パンセ)"の中で、歴史におけるクレオパトラの活躍を称して以下のような名言を残しています。 『”Cleopatra's nose, had it been shorter, the whole face of the world would have been changed." / 「クレオパトラの鼻が低かったら、全世界の様相は違ったものになっていただろう」
エジプトの王家に生まれたクレオパトラ
クレオパトラは、紀元前69年エジプトのアレクサンドリアにて、父プトレマイオス朝ファラオのプトレマイオス12世と母クレオパトラ5世の元に生まれました(ちなみに母と父は兄妹で結婚しています)。プトレマイオス朝はエジプトであっても、ギリシャ人血筋です。
元々ファラオの地位の為の親子兄弟での骨肉の争いが絶えない家系でしたが、クレオパトラが18歳の時の父親の死に際し、8歳年下の弟のプトレマイオス13世と姉弟で結婚し共同でファラオに就きます。
市民に溶け込むためにエジプト土着の宗教を信仰したりしましたが、共同王位についていたプトレマイオス13世の不信を買い、またクレオパトラはローマ主義であったため市民からの反乱にも遭いシリアに追放されます。
紀元前48年21歳の時、クレオパトラはエジプト東部国境の町ペルシウム(ペルシオン)で交戦の為に備えます。そこに、ローマ内戦のファルサルスの戦いに敗れポンペイウスがカエサルから逃げてきますが、彼はエジプトにたどり着く前にプトレマイオス13世の部下によって殺されてしまいます。しかし、そこでポンペイウスを追ってやってきたカエサルがアレクサンドリアに上陸するのです。
・・・・・・明日に続く・・・
⨂⨁ 参考資料: 皇帝に成り損ねたカエサル =4/8= ⨂⨁
疑いを晴らしたのは、女性からのラブレター!
…カエサルが陰謀に加担したとする政争に巻き込まれ、その疑いについて彼を追及する会議が開かれた。相手はカトという政治家で、後にカエサルと戦うこととなる人物です。カトの追及の最中、カエサルに部下がある手紙を取り次ぐ。それを見たカトは、「その手紙こそが陰謀へ加わった証拠だから、今ここで開けて見せてみろ」と迫り、無理やり手紙を開封させた。
果たして内容は・・・・・なんと、その手紙はカエサルの愛人セルウィリアからのラブレターだった。しかもセルウィリアはカトの異父姉に当たる女性で、カトの面目は丸つぶれ。カトは「この女たらしめ!」としか言えず、追及することもできなくなってしった。議場は爆笑に包まれ、カエサルへの疑いは立ち消えてしまった。
ちなみにこのセルウィリアという女性、この時はまだ別の男性と結婚していた。つまり、カエサルとは不倫をしていたんです。しかも、カエサルが夫のいる女性と不倫をしていたのは、この時だけではない。!!?
当時のローマは恋愛に関してかなり大らかだったようですが、それにしてもカエサルの女性関係は派手でした。記述が残るだけでも結婚は3度、愛人は8人いたそうです。元老院議員の3分の1が彼に妻を寝取られたという噂まで立ち、彼のあだ名は「ハゲの女たらし」だった。
第1回三頭政治の主役となる
疑いの晴れたカエサルは、前61年にヒスパニア・ウルステリオル属州総督(今のスペイン付近)となり、現地の異民族の平定に功績を挙げた。そして翌年、念願の最高職・執政官(コンスル)となった。この時、彼は有力者だったポンペイウス、クラッススと手を結ぶ。そして3人でローマの政治を取り仕切る、「第1回三頭政治」という体制を生み出した。これは、依然として発言権が大きい元老院に対抗したもので、カエサルはこの体制の中で大きな改革を成し遂げていきます。
3人は互いに足りないところを補う形で権力の頂点にいました。ポンペイウスはすでに戦いで絶大な功績を挙げており、軍事面では他に比類なき武将でした。しかし元老院に優遇されずに不満を持っていたのです。
カエサルは、執政官となったもののポンペイウスほどの功績はなく、民衆からの人気に頼っていました。もう一人のクラッススはいちばん年上でもあり、とにかく莫大な経済力を持っていた。こうした得意分野を持ち寄ることで、彼らは元老院を牽制した。 ・・・・・・明日に続く・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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