ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年08月11日<ⰧⰊⰧ
☆★ ベルリンオリンピックで試合を観戦していた一個人の前畑ガンバレが、公共の電波に乗るアクシデント(1936年)。いや、作家マーガレット・ミッチェル、風と共に去る(1949年)。…ともにフェィクだね。☆★ ロナルド・レーガンがラジオ演説前の予習で「今から5分後にソ連攻撃を始める」と口走って、ボケているんじゃないか?と全世界から訝しがられる(1984年)。☆★ 初の4日間開催となったコミックマーケット3日目で待機列が実に3時間以上炎天下にさらされて、熱中症で危篤状態になる人も。これも全部来年の東京オリンピックのせいだ(2019年)。
本日記載附録(ブログ)
ガイウス・ユリウス・カエサルがルビコン川を渡る“逆境を跳ね返した決断”
「賽は投げられた」、「来た、見た、勝った」、「ブルータス、お前もか」と独言し
「身の安寧に汲々としているようでは生きている甲斐がない」と公言、歴史を開く
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
◇◆ 死に方を問われ、「思いがけない死、突然の死こそ望ましい」と…=3/3= ◆◇
スペインのポンペイウス軍を鎮定して後顧の憂いをなくした後、カエサルはギリシャに入り、何度かの合戦を経て、紀元前48年、ファルサルスの戦いで決定的勝利を得る。ポンペイウスはカエサルの追撃をなんとかかわし、エジプトに逃れるが、そこで若年のファラオ、プトレマイオス13世の命を受けた刺客に殺された。
凱旋
ポンペイウスの死によって、内戦はほぼ終息した。カエサルはなおも抵抗を続けるごく小数の残党を手早く片づけ、投降する者たちにはゆるしを与えた。紀元前46年、ローマに帰還し、今度は凱旋将軍としてしかるべき祝福を受けた。
その後はローマの独裁官(ディクタトル)となるが、その任期は10年と、従来は非常時に限って必要と考えられていた役職の任期としては、前例がないほど長かった。この新たな権力を使い、カエサルは首都ローマと帝国全土の行政に改革の大なたを振るう。そして紀元前44年の初頭、ついに終身独裁官となり、事実上の王となった。
暗殺
1人の人間がそれほど強大な権力を持つことに反発する者たちは、当然ながら少なくなかった。カエサルの友人マルクス・ユニウス・ブルートゥスを含む60名の元老院議員から成るグループが、カエサル暗殺の謀議を巡らし始める。運命の3月15日、カエサルは元老院で、このはかりごとに加わった大勢の議員たちの手で刺し殺された。
下手人のなかには、ブルートゥスの姿もあった。ちなみに、カエサルがいまわの際に何か言い残したとしても、当時の記録には残っていない。「ブルートゥス、お前もか」という有名なセリフは、シェイクスピアによる創作である。
カエサルの遺産は、妹の孫で養子でもある18歳のオクタビアヌスが受け継いだ。この青年は、養父の死後に続発した内乱で、非情さと狡猾(こうかつ)さを見せつける。やがて、紀元前31年、宿敵マルクス・アントニウスをアクティウムの海戦で破ると、アウグストゥス・カエサルの名でローマ史上初めての皇帝になり、帝政が始まる。
ルビコン川を渡ったとき、カエサルがローマの最高指導者になろうとしていたかどうかを知るすべはない。ポンペイウスを倒したことで強大な力を手にしたのは確かだが、その力をどうしたら最も有効に活用できるかという悩みは最後まで消えなかった。
1つだけ確かなのは、ルビコン渡河によって、カエサルは帝政ローマの成立に至る一連の出来事の口火を切ったということだ。このとき生まれたローマ帝国は、さまざまに形を変えながらも、以後1500年もの長きにわたって命脈を保つことになる。
出典:書籍『逆境だらけの人類史 英雄たちのあっぱれな決断』
追伸 : ポンペイウスの首級
カエサルがポンペイウスを追ってエジプトにやってきたとき、14歳になるかならないかの若いファラオ、プトレマイオス13世はポンペイウスの首を差し出した。当時エジプトの支配を巡って姉のクレオパトラと争っていたプトレマイオス13世は、ポンペイウスを殺せばカエサルが喜び、強力な後ろ盾になってくれると考えたようだ。
だが、カエサルは喜ぶどころか激怒した。ローマの執政官をこともあろうに暗殺し、あまつさえその亡骸を冒涜(ぼうとく)するとは何事だ、というわけだ。結局カエサルがプトレマイオスではなくクレオパトラと手を結んだことは、あまりにも有名である。
次回は“絶世の美女が歴史に残したものとは?”に続く
⨂⨁ 参考資料: 皇帝に成り損ねたカエサル =3/8= ⨂⨁
亡命後の生活、ローマに戻り冴える弁舌
彼が逃れた亡命先は小アジア(アナトリア)でした。ここは現在のトルコのアジア側の半島部で、黒海やエーゲ海、地中海に囲まれ、文化と交易ルートの重要拠点でもあった。その小アジアもまたローマの属州であり、カエサルはここで任務に就いています。
そして前78年、彼を粛清しようとしたスッラが死去したことで、ついにローマへ帰れることになった。帰国後の彼は、巧みな弁舌を生かして名を挙げていく。カエサルの弁舌は、たとえ最高職の執政官(コンスル)でさえも容赦しません。当時は属州を治めるに当たって脅迫や収賄が横行していたのですが、カエサルはその当事者たちを容赦なく告発したのです。その対象には執政官(コンスル)さえも含まれていたのですから、カエサルの勇気も大したものです。
しかし、彼の鋭すぎる弁舌は相手から恨みを買うこととなった。そのため彼は報復から逃れるためにローマからまたも逃亡します。行き先はエーゲ海に浮かぶロドス島でした。しばらくの間、彼はそこへ身を隠すこととなったのです。
カエサルの帰国、待ち受ける政界の荒波
ほとぼりが冷めた頃、カエサルは再びローマへ戻って来る。彼の最終的な目標は執政官(コンスル)。そのために彼はまず軍団司令官となり、次に財務官をつとめ、そしてついに元老院議員としての議席を得る。このためには買収工作などの陰謀も用い、同時に敵を追いつめる告発の手を緩めなかった。やはり、のし上がるためには多少のダーティーな手を使わざるを得なかったのでしょうか。同時にド派手な公共事業も立ち上げ、自分の存在感を高めていったのです。
元老院議員となったカエサルが次に目指したのが、最高神祇官という役職でした。最高神祇官とは文字通り神官職ですが、これになることで権威を高めることができたのです。そのため、上を目指すものにとっては必ず通らなければならない役職でした。
カエサルは、この職を多額の借金で賄ったお金で買収します。彼は本当にこのチャンスに賭けていて、この職に選ばれなければ国外退去をする覚悟を決めていたという。しかしまたもカエサルにピンチが待ち受けていた。政争に容赦なく巻き込まれ、陰謀への参加を疑われてしまい、またも少々の隠棲生活を余儀なくされた。しかし、ここで彼が政界へ復帰する際に役立ったのが、彼の積極的な女性関係だった。・・・・・・明日に続く・・・
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= カエサル戦記:内乱の一世紀『スパルタクスの反乱』 =
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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