もしも目の前の光景がホントかウソかまるっきりわからなくなってしまったら――
予め用意した「過去」の映像を「現実」と差し替えて・・・・
何が現実かをカンペキにわからなくする装置がついに開発された
その「代替現実」システムを発明した藤井直敬!!
【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた】 を基調に編纂
(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆藤井直敬(07) / 第三回 客観的な現実などそもそも存在しない? =1/2= ◆◇
この「研究室に行ってみた。」の連載の取材をする時は、それなりに下調べしてからのぞむ。
ただ、今回は、史上希にみるくらい勉強しないで藤井さんを訪ねた。というのもSR(代替現実)のシステムとそれを使った実験についての論文を読みかけた時、いきなり"Naive Participant"(素朴な被験者、SRについて知識のない被験者)という言葉が出てきたからだ。
ぼく自身も「被験者」と同じ体験をすることになっていたので、あまりシステムの詳細や、見せられるものの詳細を知らないNaiveな状態の方がよいのではないか。システムを使った実験の動画もサイトにアップされているが、それも見ないでおいた。
藤井さんにそのことを話したら、
「全部仕組みがわかっても問題はなかったですよ」とあっさりと言われた。
「何でうまくいくのか。仕組みはわかってはいても、本当にみんな引っかかってくれる。本当に、不思議ですね(笑)」
ぼく自身、SR体験した後、たしかにそのような配慮はまったく無用だったと感じた。SRの装置をつけてるとき、目の前に映っているものがリアルアイムの現実なのか、過去に録画されたものなのか、両方の可能性が分かっていても判断するすべはない。例えば、話しかけて返事がなければ過去映像だと感じても、実はリアルタイムであって単に返事をしなかっただけかもしれないのだ。
藤井さんは、さらに言う。
「僕自身、外から仕掛けていて、わかんないことがよくあるんです。被験者に現実と過去を混ぜて見せたりすると、自分が2種類のうち、どっちの時間に自分が属してるか、混乱してしまったり」
「あと、被験者が過去に録画された人を見ている場合ですね、例えばAさんって人が話しかけている過去の映像があって。僕らはそれを外から見ているとします。被験者も反応して話したりする。すると僕らは、Aさんは映像の中にいるんだなって思うんだけど、なぜかその存在感がこっちに戻ってくる感覚があるんですね。Aさんはどのみちここにいないんだけど、いるような気がする。不思議ですね……」
SRで「騙されている」人も、「騙している」人も、それぞれ、自分自身の現実を問わざるを得ない。それこそフィリップ・K・ディックの小説、あるいはコンピュータが作った仮想現実の世界での闘いを描く映画『マトリックス』や、階層性のある夢(夢の中の夢の中の夢など)の間を往き来するうちに訳が分からなくなる『インセプション』のように。ぼくたちが信じ切っている現実を揺さぶる効果を代替現実たるSRシステムは持っており、それを小説や映画の世界ではなく「リアル」(というのも変な言葉の使い方に思えるが)に体験させてくれるのである。つきつめると、ちょっと怖い。
・・・・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料:藤井直敬に聞く「VRの世界で、人は服を着るのか?」 (5/5) □■
この世が仮想現実であることは否定できない
──「この世はVR(仮想現実)である」というシミュレーション仮説について、藤井さんはどう思いますか?
本当にそこに存在するかどうかを確かめるには、実際に触れるしかありません。しかし、この世には触れることができないものもたくさんあります。「東京タワーの先端50cmは実在しない」と誰かが言ったとしても、それを否定するには誰かが登って実際に触るしかありません。VRが生活に浸透しはじめると、そういう曖昧な世界に突入するわけですから、この世がすべて嘘である可能性は常にあります。だって証明ができないのですから。
──ワクワクする一方、かなりややこしい世界になりそうですね。
人々の視覚はこれからどんどんハックされていきます。SR(代替現実)システムを体験するとよくわかりますが、どんな人でもはじめて自分の視覚がハックされた時は、世の中すべてが信じられないほどの衝撃を受けます。
現実が信じられなくなり、すべてを疑いはじめると、人は恐怖で身動きができなくなります。地面が存在しなかったらどうしようとか、目の前で話しかけてくる人は偽物かもしれないとか。ただ、ここからがおもしろくて、そうした現実とバーチャルの境目がわからない状態が続くと、人の意識には「ある変化」が生まれます。
──ある変化?
なにも信じられない状況が続いたあと、脳はすべてを疑うことをやめ、今度はすべてを信じ込もうとするのです。すべてを疑い続けることは、膨大なエネルギーと時間を必要とするので、脳にとってはコスパが悪すぎます。そこで疑い続けるよりも、信じてダマされるほうがいいと考え直す。つまり、人はすべてを信じることで生きていける、そういう生物といえます。
──人は、信じることで生きていける…。
それは小さい頃からいままで、現実世界が自分を裏切ったことがないからなんです。現実にあるものに触れて、存在しなかったということがこれまでは一度もなかった。だから信じても差しつかえない、という感覚が人には残されています。
これからの未来で大切なのは、すべてを疑ったあとに来る「すべてを信じる」というフェーズでしょう。それは、自分自身と世界との関係性を意識的に再構築するプロセスです。
これからの世代は大人へと成長していく過程、おそらく20歳ぐらいでもうひとつの成長ステージが現れ、世界と自分のかかわり方を考え直す時間が必要になると思います。それは新しい人の進化にも通じる話かもしれません。人の見た目はいまとまったく変わらないと思いますが、ぼくたちは常にテクノロジーの鎧を着ている、そういう未来になるわけですから。
・・・・・・明日に続く
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ハコスコVRはどんな感じか見てみた ◆動画のURL: https://youtu.be/BNJJMPp4yKk
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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