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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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消滅危機の日本語を守る_知の学究達=206=/木部暢子(07/10)

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アイヌ語、八重山語、与那国語、沖縄語、国頭語、宮古語、奄美語、八丈語

ユネスコの発表によれば、これらは消滅の危機にある日本の「言語」だ

このユネスコの警鐘と連動する形で共同研究プロジェクトを立ち上げ 

日本の消滅危機言語を守るリーダーを務める木部暢子

【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ 木部暢子(07) / 消滅危機の日本語を守る_知の学究達 ◆◇

◆ 第4回 「方言」と「言語」の違いとは =1/2= ◆ 

 木部さんは、「消滅危機方言の調査・保存のための総合的研究」という共同研究のプロジェクト・リーダーだ。

 この研究を国立国語研究所が各研究機関と連携して行う背景には、やはり、2009年のユネスコ発表の影響がある。なにはともあれ国連機関が国際的スタンダードとして示した危機言語の中に、日本国内で話されているものがいくつも含まれていたのだから。

 目下のところ年に1~2カ所のペースでフィールドワークをして、危機言語の記録を作っているのだそうだが、そこに行く前に「方言か独立言語か」という問題に軽く触れておこう。

 ユネスコの危機言語の発表が報道されたとき、多くの人が「八丈語や奄美語」って方言じゃないの? と感じたようで、木部さんもよく質問されたという。この素朴な疑問の背景には、純粋に言語学的というより、歴史、社会、文化、政治などが複雑に絡まった複合的な事情が横たわっている。

 木部さんによると──

「言語学的に、同じ言語かどうかというと、まずお互いに通じるか通じないか、かりに通じないにしても地理的なつながりの中で連続的に変化しているかどうかを重視します。でも、国という概念が入ってくると、もう政治的な背景を抜きでは語れないんですね。例えば、奄美、沖縄の場合は、言語的な定義からは、本土とは通じませんし、ちょうどトカラ列島を境にしてはっきりと切れている。言語学的には別言語と呼んだほうがいい。でも、奄美語、沖縄語といってしまうと、じゃあ、ここは日本じゃないのかというイメージを地元の人たちが持ってしまう。日本に復帰するかどうかとか、復帰してよかったのかとか議論している時には、そうは言えませんよ。でも、最近になって、やっと、奄美語、沖縄語と言ってもいいかなって思える雰囲気ができた」

 その背景は、「日本ではないのか」という議論ではなくて、「言葉は我々の文化」という意識が芽生えてきたからだという。だから、2009年の段階で、例えば沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語などと、ユネスコから独立言語として扱われたことも、それほど問題にはならなかったそうだ。

 というわけで、「消滅危機方言の調査・保存のための総合的研究」の出番。ユネスコとは違い、あくまで「方言」としているのは、木部さんら研究者の見解とは違い、国立国語研究所としてはもう少し慎重になっているということか。

 なにはともあれ、この研究はどのように行われているのだろう。消滅の危機にある方言(言語)の調査・保存とは?

「言語の保存で一番望ましいのは、地元の方が子どもたちに残してくれることなんですね。わたしたちに何ができるかというと、手助けになるものをつくることです。外国語を学ぶのとおなじで、テキストをつくって、グラマー、文法書をつくる。それから辞書もつくる。この3つで、3点セットって言ってるんですけども、今は素人でもデジタル録音で、質の良い音声を記録できるので、録音資料を残すこともやっています」

 さらりと言われたが、非常に膨大な時間と努力が必要であるように思われる。ある言語の辞書と文法書をつくるとなると、それだけでも大部なものになるのではないか。

「たしかに、単語は無限といっていいほどたくさんあるので、辞書をつくるとしても、完璧を目指したらきりがないわけですよ。それで、とりあえず2000単語を目指しています。ただ、2000単語の辞書をつくるのも、それだけで大変です。意味記述をして、発音も書いて、辞書の形にしていく。それと文法書。その言語を知らない人、あるいは昔、話していたけど忘れてしまった人が、辞書を引きながら文をつくっていけるものをつくる。録音資料の場合は、それだけでは後の人が使えないので、文字化資料もつくって、この単語は名詞でどんな意味だ、この単語は動詞でどんな意味だとタグをつけていく。それが、ものすごく時間がかかる作業なんですね」

 ・・・・・・明日に続く・・・

■□参考資料: 「いま何もしなければ」なくなってしまう(4/4) □■

地域の言語を守る理由

では,地域の言語を守る理由はどこにあるのでしょうか。これについてよく言われるのは,次のようなことです。

(1)言語は地域の環境や文化・社会の中で,長い年月をかけて作られてきた。テプファー国連環境計画(UNEP)事務局長のことばを借りれば,「伝統,文化の継承を支えてきたことばを失うことは,自然の貴重な教科書を失うことに等しい」(2001年UNEP 閣僚級環境フォーラム,ナイロビでの発言)。

(2)言語はアイデンティティ(自分が自分であること)の象徴である。言語は人々の間に連帯意識をもたらし,コミュニティーのまとまりを強くする。

(3)言語には,コミュニケーションツール(道具)としての役割と知識や思考,感情・感性の基盤としての役割がある。人は言語によって世界を認識し,さまざまな思考を行い,感情や感性を働かせている。その仕組みの多くは,まだ解明されていない。多くの言語や方言がなくなるということは,言語の仕組みを解明する手がかりの多くが失われてしまうことを意味する。

(1)と(2)については,説明の必要はないと思います。ただ,(2)については注意が必要です。なぜなら,(2)は逆にいうと,その言語を使わない人を排除することに繋がるからです。人々を結びつけると同時にそれ以外の人を排除する,諸刃の剣であることを自覚しておく必要があります。

(3)は少し説明が必要かもしれません。言語をコミュニケーションツールとして捉えるならば,じつは言語は1つの方が効率的です。日本における1970年ごろまでの方言禁止教育は,子どもたちが仕事で都会へ出て行ったときに,きちんとコミュニケーションがとれるようにという配慮のもと,方言よりも標準語を優先させた結果です。

一方,知識や思考,感情・感性の基盤としての言語は,多様な方がいい。これについて考えるために,次のような想像をしてみましょう。

1つの言語しかない世界

もし,1つの言語しかない世界になったとしたら,どういうことが起きるでしょう。だれとでもコミュニケーションができて便利です。人々は1つの言語だけを学べばいいので,楽かもしれません。しかし,どこへ行っても同じ言語しか聞こえてこない世界が果たして豊かでしょうか?

人は他人と違うことによって,自分はどうなのだろうと考えます。「蜜柑」のことを奄美や沖縄でクニブと言いますが,「どうしてクニブなのだろう」と考えることにより知的好奇心が刺激され,知識の蓄積へと繋がっていきます。このような世界こそ,豊かな世界ではありませんか?

もちろん,コミュニケーションツールとしての標準語も必要です。言語を2つ覚えるのは負担だと思われるかもしれませんが,そんなことはありません。現に,沖縄のお年寄りたちは,立派なバイリンガルです。むしろ若い人たちの世代でモノリンガル化が進んでいます。とてももったいない話です。

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◆ 与論方言調査ドキュメント ~言語と文化の多様性を守るために~ ◆

動画のURL: https://youtu.be/vwfq2RpKksQ 

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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