アイヌ語、八重山語、与那国語、沖縄語、国頭語、宮古語、奄美語、八丈語
ユネスコの発表によれば、これらは消滅の危機にある日本の「言語」だ
このユネスコの警鐘と連動する形で共同研究プロジェクトを立ち上げ
日本の消滅危機言語を守るリーダーを務める木部暢子
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 木部暢子(05) / 消滅危機の日本語を守る_知の学究達 ◆◇
◆ 第3回 今もありありと思い出すぼくの「言語喪失」体験 =1/2= ◆
よか、はだもっ(はだもち)、ごわすな。(≒すごしやすい陽気ですね)
木部さんが挙げてくれた失われつつある鹿児島の表現に、地域が育んだ一種の皮膚感覚ともいえる深みを感じて、胸がきゅーんとしてしまったわけだけれど、ぼくがそのように強く感じたのは、幼い頃の個人的な体験が関係しているかもしれない。
実はぼく自身、「言語を喪失した」経験がある。本人がそう感じているから、まあ、事実だと言ってよい。
ぼくは1964年に兵庫県明石市に生まれた。ざっくり言うところの関西弁を喋っていた。
親の仕事の関係で、小学3年生の春に、千葉県千葉市に引っ越した。生活環境はがらりと変わった。特に言葉の違いは、驚くほどだった。
10年ほど後になると漫才ブームが起きて、関西弁はテレビで普通に話されるようになった。でも、ぼくが引っ越した頃の千葉市では、訳の分からない言葉をしゃべる奴としか思われなかった。なにかを口にしただけで笑われた。特に、自己紹介の時に、爆笑されからかわれたのは堪えた。
というわけで、ぼくは無口になった。耳を澄まし千葉のイントネーションを覚え、関西弁を自ら封印した。ほんの1カ月か2カ月で、笑われることはなくなったし、ぼくとしても意識せずとも新しいイントネーションや語彙で話せるようになった。それで一件落着、というわけだった。
ところが、この時、無理に言葉を押し込めたことが、後になって喪失感と怒りとして表に出てきた経験がある。6年生くらいになって、級友が「そういえば川端って、転校生だよな」と思いだした時のこと。
「言葉、直ったんだ」と言われたとたんに、感情があふれ出した。
「直ったんじゃない! 変わったんだよ」
すごく強い語気で言った覚えがあるが、言われた側は何がなんだか分からなかっただろう。とにかく、その時、ぼくの心中にあったのは、「だべ」とか「だっぺ」とか語尾につけるような千葉の子に「直った」と言われる不条理と、昔、話していた言葉を忘れてしまったという喪失感だった。
これはとても強い感情で、今もありありと思い出すことができる。
国立国語研究所に、本来、話を伺う立場として訪ねておきながら、ぼくはこの件を、木部さんに語らずにはいられなかった。うんうんと、共感をあらわしつつ聞いてくださったので、調子に乗って、最後まで話した。
「それって、集団の中でアコモデイト(適応)する力、ですよね」と木部さんは言った。
ぼく個人の体験と似たことは社会の様々な局面で見られ、実際に言語の多様性を減らす方向に働くことがあるそうだ。
「方言札教育のように、上からこういう言葉を使っちゃいけないと押しつけることがあるわけですが、もう一つは子どもたちのコミュニティの中で、自分は仲間外れにされたくない、コミュニティに溶け込みたいという、アコモデイト(適応)する力が働くわけですよ。社会生活を送る者なら、人間でもそうだし、多分サルの社会でもそうでしょう。転勤族で、親はなかなか転勤先の言語習得ができないのに、子どもは幼稚園なり小学校なり行き出すとすぐですよね。それが外国語であろうと。言語習得期という年齢の問題もあるけれど、やっぱりみんなの中に同化していかなきゃっていうんで、自ら古いものを捨ててしまうという選択をするというのは大きいと思いますね」
ぼくの場合、個人の問題だった。ただ、社会的な背景として、ある地域の特定の言語の話者が、いっせいに、より大きな言語集団にアコモデイト(適応)していくこともごく普通に起こる。言語の多様性が失われる一大要因でもあるという。考えてみれば、標準語教育、共通語教育にしてみても、集団就職した子が、都会で馬鹿にされないように(早くアコモデイトできるように)という配慮だった面があるわけで、「三丁目の夕日」の六ちゃんは、言語の上でいつまでもアコモデイトしない珍しい例だったのかもしれないと、あらためて思う。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: 「いま何もしなければ」なくなってしまう(2/4) □■
琉球諸語の継承保存の例
たくさんの「潜在話者」がいる
消滅危機言語の流暢な母語話者世代と,標準語モノリンガルの子どもの世代の間に,「流暢には話せないけれど聞いて理解できる」世代がいることは,これまでほとんど注目されてきませんでした。
しかし,例えば沖永良部島の40歳前後の人たちは,地域言語の理解に必要な言語知識を流暢な母語話者と同じように持っていることがわかりました(下のグラフ参照)。彼らを地域言語がまったくわからない人たちよりも少ない労力で(再び)地域言語を話すようになる「潜在話者」と呼ぶことができます。
潜在話者の多くは,言語獲得期にある子どもを育てている「親の世代」であり,彼らの地域言語使用の増加は,子どもたちが聞く地域言語量の増加につながると考えられます。私たちは,潜在話者の地域言語使用を増やすことができれば,世代間継承を再開させられると考えています。
地域言語の世代間継承度を客観的に測定する
沖永良部島の二つの集落(鹿児島県大島郡知名町上平川,和泊町国頭/クニガミ)において,それぞれの集落のことばで理解度テストをつくり,日常的に地域言語を使用している世代と,その地域で生まれ育った比較的若い世代を対象に,理解度を測定する実験を行いました。その結果,これまで「流暢な母語話者ではない」とされてきた40歳前後の人たちも,日常的に地域言語を使用している世代と同じように地域言語を理解できることが明らかになりました。また20代の理解度は個人差が大きく,地域言語をある程度理解できる人からほとんど理解できない人までいることもわかりました。
地域言語復興の課題
どうすれば潜在話者の地域言語使用を増やすことができるでしょうか。流暢な母語話者が健在なうちに,言語の継承保存だけでなく,記録保存も並行して進めなければいけません。また消滅危機言語の復興は,地域言語コミュニティの一人ひとりが取り組まなくては達成できません。
日本語標準語が支配的な現在,価値観や文化の多様性,心の豊かさの支えとなっている地域言語の価値は,中央・地方ともにじゅうぶん認められているとは言えず,「今さら方言なんか役に立たない」と考える人もいるかもしれません。そのため,地域言語コミュニティ内においても,地域言語を使用する内発的な動機づけが必要です。
これらを解決するために私たちが地域言語コミュニティと協働して行っている取り組みを一つ紹介します。 ・・・・・・明日に続く
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◆ 現代語への長い道(後半) ◆
動画のURL: https://youtu.be/XiyebMZUNEA
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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