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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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霊長類学者_D.フォッシーの学究達=178= / カリソケ研究所(04/mn)

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世界に800頭ほどしかいないマウンテンゴリラ、ルワンダ共和国には約500頭が生息

1967年にダイアン・フォッシーが設立した「カリソケ研究所」はゴリラ研究で世界的中心のひとつ

映画「愛は霧のかなたに」や、自著『霧のなかのゴリラ』で世界中で認知される 

設立から約半世紀がたつ今なお、D.フォッシーの情熱が受け継がれる

【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=川端裕人 & イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ カリソケ研究所(04) / マウンテンゴリラ ダイアン・フォッシーの後継者たち ◆◇

◆ 第2回 「母親の気持ちとか、すごく通じる」 =1/3= ◆ 

現在のカリソケ研究所は、国立公園に近い町の目抜き通りに面してたたずんでいる。

 緑色の扉に「カリソケ・リサーチ・センター」と書いてあるが、表からは奥の建物はほとんど見えない。見えたとしても、茶色い屋根の民家くらいにしか思えないだろう。それでもここは、世界のゴリラ研究者の間で一目置かれる、由緒正しい研究所なのである。

 カリソケ研究所を拠点にして活躍している3人の女性のうち、最初に話をうかがったのは、森啓子さんだった。森さんは、その名で分かる通り日本人だ。目下、日本人で一番、ヴォルカン国立公園のマウンテンゴリラたちに詳しい人物と言って差し支えない。

 研究者ではなく、動物番組を手がけてきたテレビのディレクターである。ちなみに、カリソケ研究所では、『霧のなかのゴリラ』でも言及されているように、伝統的にジャーナリストを受け入れてきており、とりわけナショナル ジオグラフィック誌やいくつかのテレビ局は研究所の存続にも貢献してきた。

 ぼくは森さんを、その流れの中に見る。たまたま、日本語を話す人が、そのような立場に今あるのは、すごくラッキーなことだし、後で述べるように必然も感じる。

 だから、森さんにざっくりと、ヴォルカン国立公園のマウンテンゴリラについて語ってもらおう。

 まずは、森さんとゴリラとのなれそめから。

「1998年、はじめて動物番組のディレクターをしたのがコンゴのヒガシローランドゴリラだったんです。その後、ゾウ、ライオン、チーター、シャチ、オランウータン、チンパンジーと、大型類人猿を含めて哺乳類の番組を作り続けてきましたが、撮影自体はせいぜい3週間から3カ月くらいなんですね。それだけかければ、肉食動物なら狩りですとか、生活の中のハイライトは撮れて番組が成立しますから。そういうのを10年やって、2008年に今度はマウンテンゴリラを撮るためにここに来ました。そのときに、ああ、ゴリラって特別なんだってはじめて気づいたんです。10年間いろいろ哺乳類や大型類人猿を見てきた中で、一番人間に近いんじゃないか。母親の気持ちとか、すごく通じるものがあると」

 ぼくも類人猿を見ていると、ふとした時に「人間(自分)と動物」の境界が消えてしまうことがある(森さんのように「ゴリラが一番」という確信はない)。理由としては、やはり「似ている」ことが大きいのだと思う。かといって「同じ」というわけでもない。だから、類人猿に興味を抱くことは、そのまま「人間ってなに?」と問うことでもある、とぼくは思っている。

・・・・・・明日に続く・・・・

■□ 参考資料: ダイアン・フォッシー氏が愛した最後のゴリラが死ぬ □■

ルワンダの「霧のなかのゴリラ」、最後の1頭が死亡か

(CNN 2019.05.29) アフリカ・ルワンダの森林で1960年代から80年代にかけ、マウンテンゴリラの生態を研究した米国の霊長類学者、ダイアン・フォッシー氏の著書に登場していたゴリラのうち、最後の1頭が死んだとみられる。同氏の遺志を継ぐダイアン・フォッシー国際ゴリラ基金が発表した。

ルワンダの保護区で暮らしていた「ポピー」という雌ゴリラで、生きていれば先月1日に43歳を迎えていた。しかし昨年8月以降、観察チームの前に姿を見せていないことから、すでに死んだと推定された。

ポピーはフォッシー氏が保護区内にキャンプを設けてから9年後の76年に生まれた。同氏は30年前に現地で何者かに殺害されたが、晩年に出した著書「Gorillas in the Mist(邦題・霧のなかのゴリラ―マウンテンゴリラとの13年)」の中では、幼かったポピーを「愛きょうがあって魅力的」「何をしてもかわいい」と手放しでほめていた。

この著書は88年に同名(邦題・愛は霧のかなたに)のタイトルで映画化され、話題を呼んだ。

同基金によると、ポピーは王者の家系に生まれ、5人の子どもを産んだ。成長してから別の群れに移ったり、マウンテンゴリラの記録としては最高齢の41歳で出産したりと、観察者らを驚かせることも多かった。同基金の専門家は、ポピーの生涯を通して豊富な知識を得ることができたと振り返り、「彼女のことは永遠に忘れない」と誓った。

フォッシー氏が森に入った時、ゴリラの生息数はわずか240頭だったが、保護活動によって生息数が増え、16年6月時点で604頭となったことが報告されている。

◆ Close Gorilla Encounter | Explorer ◆

動画のURL: https://youtu.be/7fQmjbx9zoY

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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