仮面ライダー? 月光仮面? なまはげ? それともプリキュア?
連想ゲイムで並んだ語彙の共通点は、顔面に装着する仮面であろう……
アフリカの仮面に魅せられて、ザンビアの秘密結社に参加したレアでディープな体験から、
アフリカの仮面の魂と真実にたどりついた吉田憲司
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 吉田憲司(13) / 「異界」の力を形にした「仮面」 =2/3= ◆◇
吉田さんは、具体例を矢継ぎ早に挙げてくれた。
「例えば沖縄でいうと、まず自分たちが住む島があって、ニライカナイという、海の彼方がある。神々はそのニライカナイからやってきて、また去っていく」
「──鞍馬天狗は、大佛次郎の小説では幕末の話ですけど、元々はお能の鞍馬天狗からきています。鞍馬山の天狗が貧乏僧の格好で京の町におりてきて、誰も相手にしてくれなかったのに、源義経だけが手厚くしてくれた。それで義経に力を与えて去っていく、という物語です。この場合は、自分たちの世界が京の町で、異界が鞍馬の山。そこに天狗がいるという、そういう認識ですよね」
「──月光仮面だと、月からの使者といわれますから、地球が自分たちの世界で月が異界。ウルトラマンだと銀河系が我々の世界で、M78星雲が異界。手元で使える情報が増えれば増えるほど、村と森、京の町と鞍馬の山、地球と月、それから銀河系と別の星雲というふうに、自分たちの世界と異界の境界はどんどん遠くへ行く。でも結局、人間の知識っていうのは限界があるわけだから、自分たちの世界と異界の区別、異界の認識というのは未来永劫常に残るわけです。それが分かったのも、やっぱりチェワの人びとと一緒に暮らしていて、その考え方が非常にクリアに見えたからですね」
さて、日本では、能などの伝統芸能や、お祭りの中で見られる程度で、仮面の存在感はむしろメディアという別の意味での異界に入り込んだように思える。その理由は……と踏み込んでいくとさらに深い話になっていきそうなのだけれど、メディアはそもそも「ここにない何か」(≒異界)と、我々をつなぐものでもあったなあ、と素朴に思う。
あるいは、チェワ社会のニャウの仮面にしても、日本の能やお祭りの仮面などにしても、別に日常というわけではなく、むしろ非日常的な儀礼や芸能に用いられるわけで、メディアの発達で、そういった非日常が、「しつらえられた非日常」として日常的に見られるようになったのかも、と思う。いずれもぼくの素人考えだ。
それはそれとして、吉田さんは、非常に面白い指摘をした。
端的に言ってしまえば、「化粧は仮面ではないが、コスプレは仮面に近い」である。
「化粧した顔は鏡で見ても、少なくとも自分の眼で直接見たものではありません。一方、コスプレの場合は、顔はともかく、自分が身につけ、人目にさらす衣服を、自分の眼で確認することができる」
そもそも話題のきっかけは、知人で軽症うつと診断された人が、アニメのコスプレに目覚め、以来、症状が大いに改善した、という話。これは「1症例」にすぎないのだけれど、なぜかこの件も、頭の中に引っかかっていて、「仮面」の話題とは別だとは思いつつも、話題にしてみた。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: 民族の仮面 ・仮面の世界 (2/4) □■
仮面が旧石器時代の産物として,ほとんどすべての世界の文化に共通して存在しているとしても,ここでひとつ大きな区別がなされなければならない.即ち仮面の文化が,社会的宗教的生活の中で重要な役割を果たし,仮面を通じて生命そのものあるいは宇宙の神秘に関与し,世界の根源的秩序に定期的に参加する儀式を有する文化圏と,仮面が限られた独立した分野でのみ使用される文化圏との区別である.前者ほ私がこの小冊子で取り扱おうとしているもので,これまで文字を持たないとか,歴史のないとか原始とか未開とか呼ばれた文明の中のアフリカ・メラネシア・エスキモー及び北米インディアンである.後者は主にヨーロッパ,アジアである. ヨーロッパに於いては,ギリシャ悲劇・喜劇に使用された仮面が,酒神ディオニソスを祭るために,地の神,豊鏡の神を連想させる仮面をつけて長い行列をしたことに発したのは,やはり仮面のもつ呪術的要素すなわち人間と自然との関係が密であり,自然の意志にすべてを委ね自然を恐れていた古い起源を示すものであろう.しかし,悲劇,喜劇,風刺劇のジャンルに分けられ,劇という形式をもつようになると,仮面も芝居の中に出てくる人物の,固定化したひとつのタイプを観客に示す道具として用いられるようになる.ギリシャ語で役者の使う仮面をペルソナ(persona)と言い,役者の演ずる役又ほ役の性格をもペルソナと言った。
◆ History of African Masks ◆
動画のURL: https://youtu.be/E48hQOEz_LA
今日我々の用いるperson(人)の語源がギリシャ語の仮面連を意味する言葉からきているのは,後のキリスト教的仮面の解釈と関連して興味深い。ギリシャ悲劇の仮面の特徴である大きく開かれた口は,演ずる者の声の伝達器官としての機能的意味の外に,ジョルシュ・ビュオーの言葉を借りれば,「まさに運命の深淵に恐れおののく人間の顔−その瞬間をとらえた」という二重の意味があった。ここでは仮面はまだ形而上学的意味を持っていた.しかしながらギリシャ時代にもう既にヨーロッパ文化の個人主義は芽生え,仮面は少しずつ端役的役割を確立し,ローマ時代の仮面にはもうギリシャ時代の仮面が持っていたような,何か普遍的なものを表現するのではなく,道化役に使われるようになる.つまりヨーロッパ文明における仮面の堕落がここから始まったと言える。
ヨーロッパがキリスト教を受け入れてからは,自然と人間は明確に区別されるようになり,キリスト教は人間の仮面をはがすのが目的であり,仮面は悪魔がつけるものと考えられるようになった.人間は心にかかった仮面を外すことにより解放されるのである.こうしてヨーロッパに残存する仮面を使う風習は今でもスイス,オーストリアのチロル地方やイタリアの謝肉祭の折に見られるが,その表情は悪ふざけをしているような悪魔的なもので,また単なる祭の遊びに使われるもので,仮面としての深遠な意味はない.しかしながらイタリアの演劇コメディア・デル・アルテのプルチネッラやアルルカン或いは舞踊会で男性・女性のつけた半仮面よりも異教徒臭のする古い起源を暗示するものである。・・・・・・明日に続く
◆ African Masks ◆
動画のURL: https://youtu.be/tRve_j9was0
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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