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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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めくるめく知のフロンティア・学究達 =073= / 渡辺佑基(40/mn) 

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地球に生息するアザラシから、チョウザメ、ウナギ、ワニ、ペンギン

つまり 北極圏―中国深部―マレーシア―フロリダ―南極まで

インディ・ジョーンズばりに世界の極地を飛び回り、兵器“データロガー”で野生動物を狙う

驚くべきデータを次々に発表する / 大型捕食動物の生理生態学者・渡辺佑基

【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/バイオロギングで海洋動物の真の姿に迫る”を基調に編纂】

(文/写真=渡辺佑基= & イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ ニシオンデンザメと奇跡の機器回収 =2/3= ◆◇

 記録計の切り離される当日は、朝からドキドキである。なにしろ首尾よく回収することができれば、世界の誰も持っていない貴重なデータが手に入る。でも逆に、何か予期せぬトラブルが発生し、回収できない事態に陥れば、ざっと百万円ほどの機器と貴重なデータが海の藻屑と消えることになる。

 記録計には人工衛星発信器と地上波の電波発信器の二種類が取り付けてある。人工衛星発信器はインターネットを経由して、おおまかな位置情報(緯度、経度)を知らせてくれる。いっぽう地上波の電波発信器は、アンテナで直接受信することにより、詳細な方角を教えてくれる。つまり人工衛星発信器で大まかな位置を摑んだ後、地上波の電波で絞り込んで探し出すという算段だ。

 私は船内でパソコンに向かい、「更新」ボタンを幾度となくクリックして、位置情報がアップデートされるのを待った。船内のインターネット回線は細く、うまく更新できたり、できなかったりするのでやきもきした。

 だが、あるときぱっと表示が変わり、緯度、経度の数字が更新された。記録計が無事に切り離され、海面に浮かんで人工衛星と交信を始めた証拠だ。まずはほっと一安心。表示された緯度、経度によると、記録計は10キロほど離れた場所に浮かんでいるようだ。

 船長がすぐに船を動かし、ポイントに直行してくれた。私は地上波を受信するためのアンテナを持って甲板に出、電波が入るのを今か今かと待つ。

 イヤホンを通じて「ピッピッ」という地上波の受信音が最初に聞こえたときの安堵感といったら格別である。それは全ての装置が予定通りに動いてくれた証だ。電波のいちばん強く聞こえる方向に船を動かしていくと、電波はさらに強くなっていった。

 最後は目視だ。目を皿のようにして海面を見つめていると、浮力体の鮮やかなピンク色がぱっと目に飛び込んできた。すぐに船をまわしてもらい、ぷかぷかと浮かぶ記録計をタモで掬い取った。謎の深海ザメ、ニシオンデンザメの行動データが得られた瞬間だった。

 10日ほどかけて、こうした放流実験を4度繰り返し、そのすべてにおいて記録計を回収することができた。ここまでは言うことなしの大成功だ。帰港の日が近づいてきており、次の一回を最後の放流実験とすることにした。とんでもないトラブルに見舞われたのは、そのときだ。

 いつものようにニシオンデンザメを延縄で捕え、記録計を取り付けて放流した。2日後、予定どおり人工衛星発信器から位置情報が送られてきたので、船でそのポイントに向かった。ここまでは何一つ問題はないように思われた。

 ところがポイントに近づき、アンテナを構えていても、地上波の電波がちっとも聞こえてこない。おかしい。念のため、予備の電波受信器に切り替えてみたが、やはり何も聞こえない。脂汗が滲み始めた。最悪の事態である。電波発信器が何かしらの理由で停止してしまっている!

 こうなると残された手段は一つしかない。目視のみで探し出すのだ。人工衛星から送られてくる位置情報には、500m程度のエラーが含まれている。さらに記録計が海流によって、常に流されているのも悩ましい問題だ。このような悪条件のもと、目の前の海のどこかに浮かぶ小さな記録計を目視のみで見つけ出すことが、果たして可能なのだろうか。わからないけれど、とにかくやるしかない。

・・・・・・明日に続く・・・・

■□参考資料:北西航路開拓の歴史概要 □■

15世紀終わりから20世紀にかけて、欧州列強諸国は航海者や探検家を各大洋に送り出し、東アジアに向かう海路を発見しようとした。いわゆる大航海時代である。その中でアフリカ大陸南端の喜望峰からインド洋に出る航路、大西洋を横断しメキシコ東岸に到着、さらに西岸から太平洋の向こうのアジアに至る航路がスペインやポルトガルによって開発されていたが、それを決定づけたのが1494年、ローマ教皇アレクサンデル6世の仲介でスペインとポルトガルの間に結ばれたトルデシリャス条約である。

これによりヨーロッパ以外の新発見の土地の両国間での分割(デマルカシオン)が取り決められフランス・オランダ・イギリスといった後発の諸国は、新領土の獲得競争からも既存のアフリカ回り・南アメリカ回りのアジア行き航路からも締め出された。

事態を打開し、より短いアジアへの航路を発見すべく、イギリスはヨーロッパから北西に向かい北アメリカの北岸を回ってアジアに至る仮説上の航路を北西航路(Northwest Passage)、ヨーロッパから北東へ向かいシベリア沖を経てアジアに至る同じく仮説上の航路を北東航路(Northeast Passage)と呼び、とりわけ北西航路の発見を目指した。

すでに中南米を確保していたスペインも、イギリスやフランスより先に北西航路を発見しようとした。こうして、アジアへの最短航路発見の夢が、ヨーロッパ人による北アメリカ大陸の東海岸と西海岸に対する探検活動の動機となる。

当初、探検家たちは北アメリカ大陸中央部を横断する海峡や河川の発見を目指したが、そういうものがないことが分かると、北の方からアメリカ大陸を回る北西航路の探索に注目した。今日では酷寒の地と分かっている北極圏において、根拠もなく安定した航路の存在が信じられていたわけではない。

例えば夏期においては白夜により夜間の気温低下が発生しないため、北極点周辺の海は結氷しないという推論や、18世紀半ばジェームズ・クックの報告により南極海の氷山が真水でできていることがわかり、海水は凍らないという仮説が存在した。

このような原因で北極海中央が海水面であるとすれば、流氷や氷結によって航行が阻害されるのは大陸周辺の一部海域のみということになり、航路の設定も可能なはずとされた。また海流や海路についての研究を成し遂げた19世紀半ばのアメリカ海洋学の父マシュー・フォンテーン・モーリーは、北大西洋で捕獲されたクジラから北太平洋の捕鯨船のモリが見つかったことから太平洋と大西洋が北極海でつながっていると推論し北西航路や北東航路の可能性を主張した。

同時にモーリーは、メキシコ湾流や黒潮など北方へ向かう暖流が北極海で海面に上昇すると考え、北極点付近には氷がなく航行可能な開水域が広がっていると推論した。このように北西航路の存在は当時としては妥当とされた科学的考察に基づいたものだったのである。

こうした説が広く信じられたことから、何世紀にも亘り北西航路を求めて極寒の海に探検隊が送り続けられることになる。彼らの中には悲惨な失敗をたどったものも少なくない。特に有名な失敗は、1845年に出発したジョン・フランクリンによる北西航路探検隊の全滅である。1906年になりようやく、ロアール・アムンセンがヨーア号(Gjøa)でグリーンランドからアラスカまで航海することに成功した。これ以後、氷圧に耐えられる船による航海が何度も行われている。

次回“ジョン・フランクリン隊の全滅”に続く・・・・・

◆ 北西航路 (Franklin's Legend) ◆

・・・https://youtu.be/t33xWvlgr8U・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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