見た目はホントにそっくりな双子 一卵性双生児なわけだ
つまり遺伝子が100%同じなのだが、性格や気質も見た目ぐらい同じなの?
認知能力とパーソナリティの発達を調べる「双生児法」
遺伝と環境が人間に与える影響研究する / 心理学者・安藤寿康
【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=的野弘路 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 安藤寿康・パーソナリティも遺伝で決まる? =1/3= ◆◇
1996年、ある特定の遺伝子と、特定のパーソナリティとの関係を明らかにする一大発見が発表された。それも、一気に2つの遺伝子(群)が特定されたということで、「遺伝と環境」に興味を持つ関連領域は大騒ぎになった。
なお、パーソナリティは、心理学の用語としてカタカナのまま使われることが多いようで、定義も研究者によってまちまちだ。日常的な言葉としては、性格とか気質、といったものに近いのだろうがこれらも心理学の言葉としてそれぞれ使われるから紛らわしい。ここでは、カタカナのままにしておく。
1996年の大発見のうちのひとつは、このようなものだ。
「DRD4という遺伝子がありまして、これはドーパミン(脳内に存在する神経伝達物質のひとつ)の受容体に関するものだと分かっていました。それが、心理学的なパーソナリティのひとつ、「新しいもの好き」──専門的には新奇性追求とか言われますが──と関係があることが分かったんです。双子の研究ではパーソナリティに遺伝の影響があるのはずっと昔から言われてきたんですが、それだけだと他の研究領域の人があまり真剣に受け取ってくれなかったんです。
この研究が発表された1996年以来、双子研究で言われてきた遺伝の影響が、本当に実体としてあるんだというのが通用しやすくなったわけです」
ちなみに、「新しいもの好き」は、クロニンジャーというアメリカの精神医学者のパーソナリティ理論に登場する因子のひとつだ。他に「損害回避」(できるだけ損するのを避けようとする気質。この因子が強いと、心配性、内気、悲観的、用心深い、といった傾向と結びつく)、「報酬依存」(人から褒めてもらいたいという気持ちの度合い。
この因子が強いと、共感的、情緒的、感傷的、他者を喜ばそうとする、甘えん坊、といった傾向が強くなる)といった因子がある。また、それらの因子を測定するテストも、クロニンジャー自身によって開発されている。
安藤さんは、これらについて、双生児法で調べてみた。
「新奇性追求、損害回避、報酬依存、この3つの次元で、検証しました。すると、たしかにきれいに3つの独立した遺伝要素として、確認できたんです。たぶん、すでに見つかっている新奇性追求のほかのものの背後にも、対応する遺伝子群があるわけです。それを国際誌で明らかにしました」
安藤さんの研究によれば、新奇性追求、損害回避、報酬依存に遺伝が寄与する割合は、それぞれ、34パーセント、41パーセント、44パーセントだ。残りの66パーセント、59パーセント、56パーセントは、環境影響によって決まる。
・・・・・・明日に続く・・・・
◇ 【雑談 才能】すべての能力って、結局遺伝で決まってしまうのですか? ◇
・・・https://youtu.be/yXpPe4bPH9Q・・・
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//////参考資料///////
■□ 参考資料: 「全ての能力が遺伝で決まる」世界で、凡人はどう生きるか (2/4) □■
知ると後悔するかもしれない… / 早い段階であきらめ、別の道を
運動だってオリンピックや地区大会に出られなくとも、健康な身体で、野球やゴルフやダンスができれば楽しいし仲間は広がり、上達の達成感も味わえる。音楽も絵画も、それを理解できて自分でも楽しめるくらいだと人生は格段に豊かになる。
そのなかのどの領域にどのような素質を発揮し、どのような学習をし、どのくらい自分のものにできるかに、すべてその人の遺伝的条件が反映している。
学校は個人の才能を伸ばすか
するとどうやってその才能を発見し、伸ばせばいいのかという問題になる。
そしてこの話の流れから、読者はきっと、学校だけが才能を発揮する唯一の場所ではない、もっと世界を広く見渡して、探してみよう、という答えを期待するだろう。あるいは遺伝子検査にそのヒントがあるという答えを予想するかもしれない。
贅沢な世になったものだ。一般大衆の組織的な学習の機会が「学校」という近代以降に発明されたしくみで人々に提供されるようになったことは、それがなかったそれ以前の社会と比べれば格段にすばらしいことだった。
それは、それを設計した人たちの期待に比して、残念な結果しか生んでいないかもしれないし、学校に通うことが義務とされている国民にとっても、必ずしも快適な場所とはいえないかもしれない。
しかしそれがなかった社会(中世までの西洋や日本、あるいは現在の狩猟採集民族社会や、命がけで女性に教育を求め続けることがノーベル平和賞に値する社会など)と比べれば、その恩恵は計り知れない。
国民は原則として全員無償で、文字や計算、社会の仕組みや歴史、輝かしい科学的発見の数々や、心を揺さぶる芸術作品を学ぶ機会が与えられており、子どもから青年になるまで、生計を立てるために労働を強いられることもなく、それらを「学ぶ」ことが義務づけられてすらいる。
私たちの社会が知識によって作り上げられている以上、そしてその知識が幾何級数的に増大する現代社会に生きねばならない以上、それは避けることができず、むしろ学ぶことで豊かな恩恵をもたらしてくれる。
それはあたかも、毎日朝から晩まで、おいしくて栄養のある食べ物を与え続けられているようなものだ(別の本で、これは男が毎日売春宿に通わされて、擬似的な愛情でエッチすることを強いられるようなものだと表現したら顰蹙を買ったので、ここでは食べ物の比喩にさせてもらう)。
それでも「前向きに」知識を食べ続けられる子どもたち、そのことが自尊心に結びけられる子どもたち、たくさんの知識という食べ物をできるだけたくさん、効率よく食べさせようと苦心する親や知識レストランのシェフたち(学校の先生たち)に恵まれた子たちが、重量級の知識人間に育ち、高い学歴を得て社会の上層に君臨する。
学校教育は、そうした遺伝的素質の個人差を顕在化させ、増幅させている。その結果、収入や地位や健康や希望というモノサシの上で社会的格差が生ずる。
これが教育のパラドクスだ。
・・・・・・明日に続く
◆ 行動遺伝学では家庭教育は無意味?教師も無意味?! ◆
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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