2011年3月11日 東北地方沖でのマグニチュード9の巨大地震による巨大津波
場所によっては波高10メートル以上 遡上高40メートル以上を記録
宮城県・岩手県・福島県を中心に 北海道から関東地方の太平洋岸に膨大な被害
近代都市を襲った史上はじめての巨大な津波
私たちは何を学び、これから何をすべきなのか / 津波研究者・今村文彦
【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 今村文彦・実は“2つの津波”が重なっていた =3/4= ◆◇
「この津波の規模を説明するには、2つのことがまず言えます。広域な浸水域。もう水が至るところに入ってきていた。それから、甚大な波力、波の力です。今回、コンクリートの防波堤、防潮堤も破壊されてしまいました。これは防災をやっている我々にとってもちょっと想定できなかったことで、それだけ非常に強い力が作用してしまったと。この2つになると思います」
さらに細かく見ていくと、この津波ではじめて観察された、特別な現象もあるという。今村さんは、地震発生時から、釜石沖で波形を監視していた圧力センサー時系列データを見せてくれた。=下図参照:Table-1=
「日本で地震が発生して津波が出れば、リアルタイムで監視できるようになっているんですね。14時46分、地震でちょっと揺れて、その後、水面がこう、ガーッと上がります。マグニチュード9でかなり大きな波ですので、津波の周期も長くて、押し波だけで30分もあるんですよ。で、次にまた引き波が30分待って来て、それを繰り返すと。ところが今回の場合は、通常の長い周期のほかに、こういうふうに周期の短いシャープな成分が見られたんです──」
先生が、指さした部分では、地震発生後、しばらくして周期の長い2メートルほどの「波」が発生しており、さらにその後、はるかに短い周期の波が上乗せされる形で、3メートルほどのピークを示していた。なお、沖で2メートル、3メートルということは、沿岸に近づいた時点で、平均しても2倍から3倍になっているそうなので(当然、最大値はもっとすごくなる)、「大したことない」とはゆめゆめ言えないと、付記してしておく。
「ゆっくりの周期ですと、水面が上がって水圧は確かにかかるんですけど、動きによる圧力、つまり動圧は、それほどでもないんです。ところが周期が短いとその動圧が作用して、防波堤・防潮堤を破壊するほどに力を増してしまったんですね。こんな短い周期の波が、基本的に長周期の津波に乗るのは、これまでではじめて観測されたことなんです」
世界的に観測史上初。もちろん、観測網が稠密(ちゅうみつ)な日本で起こったからこそ捉えられたのであって、過去に他にも事例はあったのだろう。しかし、それをきちんと観測できたのはこれがはじめてなのだ。
では、基本的に長周期である津波に、短周期の津波が上乗せされるメカニズムはどうなっているのだろう。
「それは、今まさに議論をしてます。まず、太平洋プレートが我々の住んでいる日本列島の下のプレートに沈み込み、陸側のプレートを引っ張り込んで、それが耐えきれなくなったところで、破壊が起こり、跳ね上がってくるというのが津波を起こす地震の平均的な発生メカニズムなんですね。
ところが、浅いところにあるプレート境界の先端で、特別な地層があるかもしれない、と。柔らかい層ですとか、より跳ね上がりやすい成分で出来ている部分があるのではないか。もう一つは、プレートが沈み込んで、陸地側のプレートを引っ張ってくるとき、傾きはせいぜい20度程度なんですね。
ところが、この主断層に分岐が時々入ったりします。分岐が入ると、角度が急になり、幅が短くなります。同じ2メートル断層がずれたとしても、ポコッと急に上がる形になるんですね。それが第2の可能性です。第3ですが、こういうところで海底地滑りみたいなものが起きたら、局所的に津波が発生するかもしれない──」
・・・・・・明日に続く・・・・・
◇ Japan Tohoku Earthquake & Tsunami ◇
・・・https://youtu.be/4E_Yj6iEQhI?list=PLORrVF9ZX_qHAYpj7t5OjmELuQZ9bqHn7・・・
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//////参考資料///////
■□ 参考資料: 追跡 震災復興五年 (1/4) □■
= 震災5年を総括(1)津波発生から10分で浸水範囲を伝達 =
――東日本大震災は、津波工学の分野でどのような転機となりましたか?
震災前、三陸地方では明治三陸津波(1896年)を、宮城県や福島県では宮城県沖地震(1978年)単独や連動形を主に想定していました。今回はそれらの評価やハザード情報をはるかに上回る地震・津波が発生してしまったのです。
改めて思うと、啓発や避難体制について有益なところはたくさんありましたが、多くの人命を守れなかったという点で、反省しなければなりません。これが大きな出発点でした。
ただ、どんな対策を実施するうえでも想定は必要です。皆でぼんやりと防災対策を行っても効果がありません。重要なのは想定を上回った場合にどうするかです。今までは想定に対して頑張って防ごうと、それを突き進めるのが防災でした。
けれども震災後には、対策が途中であったとしても、想定を超えるような場合も同時に考える、つまり、最初から想定内も想定外も両にらみで考えることが、私の研究活動で大きなウエートを占めました。
震災後には、レベル1・レベル2津波という考え方が生まれました。防災施設などのハードでレベル1の津波はしっかり防御すると。人命だけじゃなくて、住宅や工場など地域を丸ごと守る。
ただ、防御には限度があるので、限界を示してそれを超えたらレベル2と位置付けようと。そこでも少なくとも人命だけは守ることになりました。これは社会的コンセンサスが得られたのではないでしょうか。
――被災地からは、防潮堤の高さを巡って不満の声が聞こえてきます。
実際に防潮堤などの事業を進めるなかで、レベル1やレベル2の考え方に賛否があるのも事実です。例えば、ハード施設の基準をレベル1と一律に決めて良いのか、場所によっては基準を少し変えても良いのではないかという声が上がっています。
今振り返れば、地域の合意において防潮堤の高さを少し下げて、その分を多重防御で補うとか、大切な地域だから少し高さを上げるとか、そういう議論をもう少し時間を掛けて積み重ねられれば良かったと思います。
イラストA=レベル1、レベル2津波の設計への踏まえ方(資料:国土交通省)[画像のクリックで拡大表示]
ただ、現実には復興計画が作成され、各地の事業を一気に進めなければならない状況がありました。事前に、まちづくりや防災についての議論の場があったならば、市民・行政間だけでなく市民間でもプロセスが理解され、議論の進め方などが変わっていたと思います。
津波の防ぎ方は大きく二つに分かれます。多重防御でレベル1の基準を確保するのが一つ目の考え方です。レベル1というのは設計の基準であって、防潮堤という施設の高さではありません。例えば、防潮堤の高さを計画高の「0.8」に下げて、残りの「0.2」を2線堤で守る。実際に、いくつかの地域では採用されました。
もう一つが、段階的整備の考え方です。整備目標はレベル1だけど、第1段階として計画高の80%まで造って、その後は協議して決めるというのもありだと思っていました。
ただ、被災した自治体側からすると、今回、国が100%の補助金を出してくれるので、この機会を逃せば整備するチャンスが無いと思ったのでしょう。段階的整備を公式に口にする施設管理者はいませんでした。もし、補助率が95%で地域負担が5%であれば、整備の在り方などについて、もっと様々な議論ができたかもしれません。
明日に続く・・・・・
歴史上最も強力な波はなに? ◆・・・https://youtu.be/sVYp0vaCB4I・・・
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