2011年3月11日 東北地方沖でのマグニチュード9の巨大地震による巨大津波
場所によっては波高10メートル以上 遡上高40メートル以上を記録
宮城県・岩手県・福島県を中心に 北海道から関東地方の太平洋岸に膨大な被害
近代都市を襲った史上はじめての巨大な津波
私たちは何を学び、これから何をすべきなのか / 津波研究者・今村文彦
【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 今村文彦・実は“2つの津波”が重なっていた =2/4= ◆◇
三陸沖地震や宮城県沖地震というのはよく耳にする有名な地震だが、個々の地震を指すというよりも、同じ場所、同じメカニズムで周期的に発生する地震のことを指している(特定の地震を指したいなら「明冶三陸沖地震」のように「いつ」の情報を付加した言い方になる)。
3月11日に東日本太平洋岸を襲った津波の元になったのは、宮城県沖地震を基点として周辺の地震も誘発したタイプのものであり、さらに、津波地震(分岐断層、海底地滑りなどの説もあるが)と言われる極浅部での地震も活動したと考えられている。つまり、多くの「なんとか地震」が同時に起きる、いわゆる連動型の大地震だったのだ。今村さんは、前に紹介したコンピュータシミュレーションによるCG【 東北大モデル : https://youtu.be/-wX5HDkXKKo 】を見せながら解説してくれた。
──震源を細かく見ていくと、北は三陸沖の北部、南は茨城県沖に至る、少なくとも4つの領域で連動して発生しています。これまで考えられていたものよりはるかに大きかったんです。我々の事前の評価では、宮城県沖地震ですと、連動タイプでもせいぜいマグニチュード8クラスなんです。それが今回マグニチュード9ということで、地震エネルギーとしては数十倍、津波エネルギーでいうと大体数倍ぐらい、さらに、高さや浸水範囲も格段に大きなものになってしまったんですね」
「──破壊した断層は南北に400キロメートルから500キロメートル、幅が東西に200キロメートル。そこで大体、平均10メートルぐらい水がブワッと持ち上がったということになりますね。単純計算すると、この持ち上がった分の水は、1000立方キロメートルにもなります。そのうち2分の1くらいが東日本の太平洋岸に来てしまったということなんです」
1000立方キロメートルの2分の1というと、500立方キロメートル。ちなみに、日本で最大の年間流出量を誇る信濃川の年間流出量は、およそ16立方キロメートルだ(信濃川河川事務所)。つまり、信濃川が1年かけて海に注ぎ込む水の、30倍以上の水が一気に押し寄せたことになる。
津波は、普通に海で見るような「波」とは根本的に違う。「波」だと思っていた人は、心底驚いただろう。短周期で寄せては返すのではなく、だーっと、海から押し出されるように水が迫ってきた。これは海から水の塊が一気に押し寄せ、洪水のように長い時間続くもので、普通の波とは全く違う。もちろん最高点まで遡上すればそこからは引いていくし、第2波、第3波もあったのだが、周期が長く、また水量も破格なのだから、「波」とは別物だと考えた方がいい。今回の津波は規模という点でも、日本での近代的な観測史上、最大であったわけで、「見た目」も「実際」の凄まじさもいやがうえにも増す。
・・・・・・明日に続く・・・・・
◇ 黒い津波 / Black Death Wave ◇
・・・https://youtu.be/TLu3dj1PM1A・・・
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//////参考資料///////
■□ 参考資料: 津波総論(2/2) □■
一例として、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(M9.0を観測)に伴う津波は沿岸の広い範囲に甚大な被害をもたらしたが、岩手県下閉伊郡普代村の普代水門と太田名部防潮堤(ともに高さ15.5 m)や同県九戸郡洋野町の防潮堤(高さ12 m)は決壊せず、津波の影響を大幅に減衰させて集落進入を防いだ結果、軽微な被害にとどまっており、特に普代村においては被災民家および死者は発生しなかった。
その一方で、津波被害をカバー出来ず、人々が防潮堤があることで「楽観バイアス」がかかった結果、甚大な被害を出す事態もある。防潮堤の高さや強度が不足している場合のほか、津波を起こした地震で損壊したり地盤沈下により海面が上昇したりして、堤防の機能が弱まることがある。また防潮堤などにある水門は、人が駆けつけることができない場合や、停電の影響で閉められないことがある。こうした事例から、防潮堤による津波対策を再考する動きもある。 =図表(津波記録)=参照
日本国内・近海における歴史地震での例
701年の大宝地震。丹波国(後に丹後国に分国、現・京都府北部)で大地震が発生し、三日に渡って揺れがあったという。日本三景天橋立の北側の山中である、真名井神社の参道傍ら、「真名井神社」と書かれた石柱の後に見える祠が波せき地蔵堂(京都府宮津市大垣)である。大宝地震大津波の際、遡上高約40メートルの津波が起こり、この地点まで遡上した。 1605年の慶長地震。地震動の被害としては淡路島の千光寺、および阿波宍喰の被害程度しか知られていない(加えて、千光寺の震害記録については疑問視する見方もある)。ところが地震動がほとんど記録されていない房総半島から九州にかけての広範囲で沿岸を波高10 m以上の津波が襲い、溺死者5,000 - 10,000人とされている。津波襲来範囲から震源域は南海トラフと考えられて来たが、波源域は伊豆・小笠原海溝付近であると仮定すれば津波が説明できるとする説や、震源がインドネシアあたりの遠地津波も否定できないとする説]など、南海トラフの震源を否定する見方もある。 1677年の延宝房総沖地震。震源の位置ははっきりしていないが、津波遡上高を元にした波源解析によって震源は房総沖で、推定されるマグニチュード (M6 - 6.6) に対して津波マグニチュード (Mt) は8.0。 1771年の八重山地震。推定されるマグニチュード (M7.4) に対し津波が大きく、津波マグニチュード (Mt) は8.5と推定する説がある。黒島海丘で生じた海底地すべりによって大きな津波を発生させたとする研究や、Mw8.7程度のプレート間の断層を仮定すれば津波が説明できるとする説もある。明日に続く・・・・・
研究進む『黒い津波』の恐怖とは? ◆・・・https://youtu.be/1_eB47H8Eak・・・
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森のなかえ
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