世界の人口は2050年までに90億人に達する
宇宙生物として火星移住を非望する人・「地球永住計画」を真意に考える人
霊長類【化石人類】を起点に現生人類が出現して唯一の残存種となる進化と絶滅の経緯
“地球に生き続けることを考える”について人類の研究史や関連事象について言及する
【この企画はWebナショジオ_「新・人類進化の道」を基調に編纂】
(文=ジェームズ・シュリーブ・ライター・ライター、編集者 イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 人類の祖先「アルディ」が暮らしたエチオピア =6/7= ◆◇
彼らが実際に直立二足歩行をしていたのだとすれば(この時点ではまだ、間接的な証拠しかなかった)、森から草原に出たときに二足歩行を始めたという長年の定説がくつがえされることになる。この化石はアルディピテクス・ラミダスと命名された(アルディはアファール語で「地面」、ラミドは「根」の意)。
1994年、調査チームははやる気持ちで現地に戻った。着いたときには日暮れ近かったが、メンバー全員、急いで発掘地点に向かった。
日が沈むころ、前年に歯が見つかった場所の数メートル先でハイレ=セラシが手の骨を発見した。翌日以降、その周りの砂質シルト層(砂よりもやや粒が細かい堆積層)を詳しく調べると、手と足の骨、次に脛骨が見つかったほか、つぶれていたが頭骨と骨盤も出土した。
大きな骨はかなりもろく、掘り出すと粉々になりそうだった。骨を一つ見つけると、何度も硬化剤を注いで周りの岩と一緒に掘り出し、アディスアベバの博物館に輸送する間に壊れないよう、全体を石こうで固めた。
これはルーシーに匹敵する骨格化石ではないか。しかも、未知の初期人類ではないか。当初は慎重だった調査チームも、そう確信するようになった。アラミスで出土した他の骨はほとんど、死後にハイエナに食い荒らされた痕跡があったが、アルディだけは奇跡的にハイエナの攻撃を免れたようだ。おそらく死後、カバか何かの草食動物に踏まれて泥の中に埋まり、死肉をあさる動物に荒らされずに済んだのだろう。440万年も地中に埋もれていたアルディの骨格は、あのまま地表に露出していたら、1年か2年で粉々に風化して土に戻ってしまっていただろう。
「幸運と呼ぶにはできすぎた偶然だ」とホワイトは言う。「奇跡としか言いようがない」
アルディの骨格を発掘し終えるのにその後2年かかり、骨を補強しながら砂や土など付着物を取り除いて標本とするのに、さらに年月を要した。他の脊椎動物の骨6000個を標本にして分類し、歯の同位体を分析するのにも長い時間がかかった。
東京大学では、諏訪がCT(コンピューター断層撮影)技術を駆使して、もろい骨の計測を始めた。難解な3次元のパズルを組むように、画面上で破片を組み合わせて頭骨を復元し、解析できるようにしたのだ。発見から15年間、アルディの骨を実際に手にしたのは、諏訪とホワイトのほか、ごく少数の研究者しかいない。
アルディはどうやって歩いた?
車でアドガントレ村に戻る途中、アルディの発掘地点に立ち寄った。道から下ったところにある乾いた平地にテニスコートほどの広さの発掘跡があり、石を積み重ねて覆ってある。今は静まり返っているが、発掘当時ここに響き渡った歓声が聞こえるようだ。1個ずつ骨が見つかるたびに、興奮に満ちた歓声が上がったことだろう。
アルディの骨は全部で125個見つかったが、骨の詳しい分析を始めてからも、驚くような瞬間が何度もあった。
たとえば、親指の骨に連結する小さな足の骨、内側楔状骨(ないそくけつじょうこつ)をホワイトが博物館で取り出したときだ。現代人をはじめ人類の他の種では、この骨の関節部は、親指が他の指と平行に並ぶような形状になっている。そのおかげで、つま先でしっかりと地面を蹴って、効率的に二足歩行ができるわけだ。
一方、類人猿の足は、木の枝をしっかりつかめるよう、この骨の関節部が人類とは異なった方向を向き、親指が離れて対向するようについている。アルディの内側楔状骨は類人猿に近いものだった。だが、他の特徴を見ると、アルディの足は類人猿とは似ても似つかず、直立歩行を可能にするようなものだった。
調べてみると、アルディの骨のあらゆる部位で、非常に原始的な特徴と高度な人類特有の特徴が入り交じっていた。アルディは典型的な二足歩行タイプでも、四足歩行タイプでもなかった。両方の特徴をもっていた。
アルディは四足歩行から直立二足歩行に移行する過渡期の猿人なのか。ラミダス猿人は人類進化の歴史の“ミッシング・リンク(失われた環)”と言えるのか、ホワイトに聞いてみた。
「失われた環という表現は、いろいろな意味で間違っている。一番よくないのは、進化のある時点で、半ばチンパンジー、半ば人類といった生き物が現れたと思わせることだ。あの言葉は、そもそもの初めから進化の道筋について誤った概念を広めてしまった。アルディがこうした概念を完全に葬り去ってくれるだろう」
ミドルアワシュ調査チームの解釈が正しいなら、ラミダス猿人は現生のチンパンジーやゴリラとはまったく違う。類人猿と人類が共通の祖先から枝分かれしたことは言うまでもない。しかし、枝分かれしてからは、それぞれまったく異なる方向へ進化し続けてきたのだ。
・・・・・明日に続く・・・・
◇ 【人類誕生CG】180万年前の人類はマラソンランナーだった!? ◇
・・・https://youtu.be/k196j8ZkwT8?list=PLDPHugbMl1vGDdL_2Acex8iT6hEBYaDnN・・・
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//////参考資料///////
■□ 参考資料: 人類の進化 =後節= (6/7) □■
真猿下目とメガネザル下目の分岐
直鼻猿亜目は、その後、真猿下目とメガネザル下目に分岐する。この分岐の際に、真猿下目のX染色体に位置する錐体視物質に関連した色覚の多型が顕著になり、ヘテロ接合体の2本のX染色体を持つメスに限定した3色型色覚の再獲得につながり、さらに狭鼻下目のオスを含めた種全体の3色型色覚の再獲得へとつながる。
狭鼻下目と広鼻下目の分岐
真猿下目が狭鼻下目(旧世界サル)と広鼻下目(新世界サル)に分岐したのは、3000-4000万年前と言われている。 脊椎動物の色覚は、網膜の中にどのタイプの錐体細胞を持つかによって決まる。魚類、両生類、爬虫類、鳥類には4タイプの錐体細胞(4色型色覚)を持つものが多い。
よってこれらの生物は長波長域から短波長域である近紫外線までを認識できるものと考えられている。一方ほとんどの哺乳類は錐体細胞を2タイプ(2色型色覚)しか持たない。哺乳類の祖先である爬虫類は4タイプ全ての錐体細胞を持っていたが、2億2500万年前には、最初の哺乳類と言われるアデロバシレウスが生息し始め、初期の哺乳類は主に夜行性であったため、色覚は生存に必須ではなかった。
結果、4タイプのうち2タイプの錐体細胞を失い、青を中心に感知するS錐体と赤を中心に感知するL錐体の2錐体のみを保有するに至った。
これは赤と緑を十分に区別できないいわゆる「赤緑色盲」の状態である。この色覚が哺乳類の子孫に遺伝的に受け継がれることとなった。
人を含む旧世界の霊長類(狭鼻下目)の祖先は、約3000万年前、性染色体であるX染色体にL錐体から変異した緑を中心に感知する新たなタイプの錐体(M錐体)視物質の遺伝子が出現し、ヘテロ接合体の2本のX染色体を持つメスのみが3色型色覚を有するようになり、さらにヘテロ接合体のメスにおいて相同組換えによる遺伝子重複の変異を起こして同一のX染色体上に2タイプの錐体視物質の遺伝子が保持されることとなりX染色体を1本しか持たないオスも3色型色覚を有するようになった。
これによって、狭鼻下目に第3の錐体細胞が「再生」された。3色型色覚はビタミンCを多く含む色鮮やかな果実等の発見と生存の維持に有利だったと考えられる。
明日に続く・・・・・
地球大進化「第06集 ヒト」 ◆・・・https://youtu.be/V_cmslFUCko?list=PLfXD0Z1sfP2WLluOyetTuWEQhVdt3sBTR・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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